離れで豚汁を作りましょう
これまでの言葉を嘘だと思っていたわけではない。
いうなれば、私が本気で受けとめてはいなかった。
だって私は"ねね"じゃないから。
ほんの数日とはいえ、これだけ一緒に過ごしているのだから、マオも気づいているだろうに。
それでもまだ、私との結婚を。私の幸せを願ってくれるのは、"ねね"であると信じたいからだろうか。
「……マオさん、私は」
「お食事中のところ失礼します」
平坦な低い声がして、朱角さんが現れた。
彼は私の傍らで両膝を畳につけると、
「昨日、茉優様のお引越しが完了いたしました。離れの部屋に運んでありますので、後程ご確認ください」
「もう運んでくださったんですか!?」
「お荷物の箱詰めと荷解きは、女性の世話人のみが触らせていただきました。大きな家電や家具につきましては、事前にご相談させていただきました通り、処分させていただきます。マンションも解約済みですので、これ以降は入れないものとお考えください」
「荷解きまでしてくださったんですね……。お手間をかけまして、すみませんでした」
「いえ、荷物があまりに少なかったので、手間と言われるほど動いてはいません。それと、退職の件ですが、使用されていない有給が多分に残っていましたので、月末までは有給扱いとして頂きました。とはいえ書類上の話ですので、通勤の必要はありませんし、社員からの連絡に応じることも不要です。先方とも話はついていますので、連絡先を削除していただいて構いません」
「……わかりました」
(お世話になりましたって、挨拶もなしに申し訳ないことをしちゃったな)
せめて、気にかけてくれていた優秀な後輩ちゃんにだけは、挨拶を送っておこうか。
刹那、朱角さんが「言わずともご承知の上かと存じますが」と目尻を吊り上げ、
「この家については他言無用です。件の"不届き者"にどこから情報が漏れるかわかりませんし、たとえ悪意がないにしろ、興味本位で訪ねてこられても面倒ですから。ここは大旦那様の邸宅であると、お忘れなきよう」
「朱角、伝えるにしてももう少し言い方をだな」
「いえ、平気です。朱角さんの話は要点がはっきりされているので、とても分かりやすいです。いろいろとありがとうございました、朱角さん。このお家についても、しっかり心得ておきます」
「……よろしくお願いいたします」
お邪魔いたしました、と軽く頭を下げ、朱角さんが部屋を出る。
マオが「ったく、俺は無視かよ……」と嘆息するのに苦笑を返して、
「私は朝食が終わったら、離れに行ってきます。あちらで生活できるよう、整えてしまいたいので」
「わかった。俺も一緒に行きたいところなんだが、生憎このあと親父の手伝いがあってな。八つ刻には済むだろうから、その頃に合流するな」
「ありがとうございます」
そうして朝食を済ませた後、私はさっそくとタキさんと共に離れに赴いた。
タキさんは着物が汚れないようにと、白い割烹着に三角巾を身につけている。
中途半端だった掃除も済ませてくれたらしい。家の中はすっかり埃がなくなっていて、家電も全て電気が通っている。
タキさんが一階の窓を開けてくれている間に、二階の自室に向かった。動きやすい服装に着替えるためだ。
扉を開くと、記憶にあるそこよりも整えられた部屋。
ベッドにはマットレスと布団がひかれ、木製の卓上には、元のマンションでも置いていた写真たてが置かれている。
久しぶりに顔をあわせるそれを手にして、やっと、ここが自身の住まいになったのだと実感する。
映っているのは両親と、まだ幼い私。そして記憶よりも皺の少ない、背の曲がっていない祖母。
「話したいことは色々あるんだけれど、また、落ち着いてからね。いい人達に助けてもらえたから、心配しないで」
写真を戻して、浴衣から着替える。
服は箪笥とクローゼットに綺麗に収められていた。まさしくお手本のような収納で、勉強になる。
かわいく結ってもらった髪は、せっかくなのでそのままで。ティーシャツとはちぐはぐだろうが、崩すには勿体ないから。
二階の窓を開けて、急いで階段を降りる。
「ありがとうございました、タキさん」
「いいえ、これしきのこと」
タキさんいわく、この家は狸絆さんの奥さんが使いやすいようにと、妖力を使わずに生活できるようにしてあるという。
だから、家電も多いのだと。
なんだか違和感を感じるなと思ったら、昨日のうちに家電も新しくしてくれたらしい。
「もう三十年も前のものでしたから、当然のことでございます」
タキさんはなんてことでもないように言うけれど、申し訳ない。
台所やお風呂場、設備などの説明を受けて、「では、実際にやってみましょうか」と簡単な昼食を作ってみることにした。
お米を炊いて、冷蔵庫に詰めてもらっていた野菜やお肉を使って、具沢山の豚汁を。
今日は人参、大根に白菜。ぶなしめじと、長ネギではなく玉ねぎを入れた。たっぷり入れると、トロッと甘くなって、香味野菜が苦手な子供でも食べやすくなる。
祖母も、両親も。私の幼い頃から、そうして作ってくれていた。
ダシ粉と、ちょっぴりのお醤油と味醂を加えて煮込む。味噌は風味を残したいから、煮込み終わってから最後に溶かすので、まだ待機。
二人分よりも多い量を作っているのは、夕食もこのまま活用するつもりだからだ。
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