猫又な旦那様は転生した花嫁を迎えたい~前世の夫婦といわれても記憶がないので、あやかしの血族向け家政婦はじめます~

千早 朔

プロローグ 夢の終わり

 幼い頃から、繰り返し見る夢がある。


 宙に浮いているような、小舟で揺られているような、心地よい揺れと浮遊感。

 横たわったまま身を委ねている私の視界は、霧のように真っ白な薄雲に覆われていて。

 なのになぜか、ヒガンバナに似た白く細い花弁を咲かせた花々だけは、妙にはっきりと認識出来ている。


(なんて名前の花だっけ)


 知っている、気がする。ずっと……思い出せないくらい、遠い昔。

 考えながら目を閉じて、眠ってしまいたい衝動にかられる。

 微睡に瞼がうとりとした刹那、その声が現れた。


「――ねね、ねね……っ」


 若い、といっても少年ではなく、とうに成人を超えた男性のそれ。

 遠く霞む声は次第に大きさを増していき、その声が、悲哀の満ちた切羽詰まったものだと気が付く。


「ねね、ああ、ねね……っ! 必ず、必ず見つけ出す。なあに、"契り"を結んだこの小指が、必ず巡り合わせてくれるさ。だから、だから次こそは――」


 目が覚める。夢の中の私じゃない。現実の私だ。

 遮光カーテンの隙間から入り込んだ朝陽が、クリーム色の天井をうっすらと照らし出している。


(……"ねね"って、誰なんだろ)


 私の名前は白菊茉優しらぎくまゆだ。"ねね"ではないし、"ねね"という知り合いもいない。

 なのになぜか無性に懐かしく、そして愛おしく感じる。


(相変わらず、変な感覚)


 知らない名が、まるで自分のもののように思えてしまうのは、あまりにも同じ夢を繰り返しすぎているからだろうか。

 微かな引っ掛かりを抱えつつも、慣れ親しんだ日常が始まるのはいつものことで。

 そしてまた、なんの前触れもなく、ある日突然にあの夢を見る。

 白い靄、細身の花弁を星のごとく開いた、真っ白な花。


 寸分たがわず繰り返される、同じ夢。けれどその日は、いつもと違っていた。

 浮遊感も、横たわっている感覚もない。初めて立つ足下には、清らかな水の感覚。


「――ねね」


 声がした。あの声だ。

 けれどいつものように遠くはなく、はっきりとした、近い位置からのもの。


「ねね」


 繰り返される、誰かの……まるで"私のもののような"呼びかけ。

 そこにいつもの悲壮感はなく、心なしか弾んだ、歓喜を染み渡らせるような声色だ。

 霧が晴れる。徐々に露わになったのは、周囲の花に似た真っ白な髪をした、赤い目の男性。


 歳は私よりも少し上の、二十半後半辺りだろうか。

 これまた白の着物の上に、淡い藤色の羽織を重ねている。

 一言でいえば、美しい人。強烈に惹きつける存在感があるのに、触れれば煙のように消えてしまいそうな儚さも纏っている。


(こんな綺麗な人、初めて)


 そう、初めて。そのはずなのに、どうしてこんなにも懐かしさと恋しさが、胸に溢れてくるのだろう。

 口元に微笑みを携えた彼が、私に向かって静かに歩を進めてくる。

 声は出ない。動けもしない。

 立ちすくむ私の眼前で歩を止めた彼はすっと左手の薬指を立て、一帯の花々を震わせるかのごとく輝かしい笑顔を咲かせた。


「やっと、繋がったな」

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