クロユリの恋文
驚きに玄関に目を向けた私は、即座に玄影さんを見遣る。
彼はやはり優しい笑顔のまま、こくりと頷いた。人差し指は立てたまま。
今度はドンドンドンと扉が叩かれ、何かが郵便受けに入れ込まれる。と、
「なんだ今の音!? 茉優! 無事か!」
お風呂場から飛び出してきたマオが、私の姿を見るなり目尻を吊り上げて、瞬きの間に側に来た。
私を背後から抱きしめるようにして玄影さんから引き離し、
「茉優には指一本触れるなって言ったはずだ」
低い声と、ざわりと肌を震わせる冷淡な空気に私ははっと彼を見上げる。
赤い双眸が、うっすら光を帯びているような。
(マオ、本気で怒って――!?)
「ちがいます! 玄影さんじゃありません!」
私は咄嗟にマオの両手を掴んで、腕の中でむりやり振り返った。
マオの両頬を掌で覆って固定して、射るような瞳の興味を自身に向かせる。
「さきほどの音は玄関からです! それに、何か入れられたみたいなのですぐ確認しないと――っ」
「ま、まゆ、茉優……っ!」
「はい!」
先ほどまでの冷えた雰囲気はどこへやら。
マオはうっすら赤みを帯びた顔で「ああと」と視線を彷徨わせ、
「積極的なのは嬉しいんだが、その……茉優にはそのつもりがないだろう? だから、その……この体制は、刺激が強すぎるんだが」
「体制……? は!」
(たしかにこれじゃ、キスをしようとしているみたいに……!)
「す、すみません! つい!!」
(早く止めなきゃと思って……っ!)
なにもこんな近い距離で向き合う必要もなかったはずで。
気づいてしまえばますます恥ずかしくなるだけで、とにかく離れなければと両手を上げて、勢いよく後ずさった。
途端、マオは焦ったように手を伸ばして、
「茉優、危な――っ」
「おっと、間一髪でしたね」
背にあたった衝撃と声に見上げれば、にこりと笑む玄影さんが。その後ろにはドア枠が見える。
私が当たる前にと、間に入ってくれたのだろう。
「すみません、玄影さん! お腹と背中、大丈夫ですか!?」
「ええ、僕はなんとも」
ほっとしたのもつかの間、
「てめっ、また茉優に……! と、いいたいとこだが、今回ばっかりは許してやる……っ!」
「おや、案外分別のある方なんですね。てっきり感情任せの束縛男かと踏んでいたのですが」
「な!?」
(爽やかな笑顔でなんかすごいワードが……)
マオと玄影さんはお互い苦手なタイプなのかな、と考えつつ、「ありがとうございました」と頭を下げ。
「玄関、見てきますね」
「いや、俺が行く。何か入れられたんだろ? 茉優は万が一を考えて、連絡できるように用意しててくれ」
「でも……」
「心配は無用ですよ。害のあるものではありませんから」
「え?」
スタスタと玄関のドアまで歩を進めた玄影さんは、私達に一度微笑むと躊躇なく郵便受けをガコンと開けた。
玄影さんが手を差し入れる。引き抜かれたその手には、ピンポン玉ほどの黒い塊が握られている。
「花……なのか?」
私を背に庇うようにして立っていたマオが、訝し気に目を細める。
玄影さんは「造花ですね」と戻ってきて、私達に見えるよう掌を開いてくれた。
紫を帯びた黒い花弁が六枚。丸く膨らんだ根本から先にかけて星型に広がるその中央には、黄色い
「黒いチューリップ……でしょうか」
「おそらくは、クロユリではないかと」
「クロユリ? また大層な恋文だな。ストーカーがいるのか?」
「まあ、当たらずとも遠からずというところでしょうか」
「え? あの、すみません。恋文とかストーカーとか、どうして分かるんですか?」
小さく挙手した私に、マオが「花言葉がな」と肩をすくめる。
「クロユリに代表的な花言葉のひとつに、"呪い"ってのがある。これは富山の伝説が元になっていて、戦国武将の
「なんやかんやで滅亡、ですか」
「ああ、それもクロユリが関わったなんやかんやだ。詳しく知りたかったら夜にでも話そうか。長くなっちまうからな。それと……」
「一方、"愛"という花言葉もあるのですよ」
ずいと私の眼前に、にこにこと笑む玄影さんの顔。
マオが「あ、てめっ」と慌てふためくもなんのその、玄影さんは「どうぞ」と私の掌にクロユリを乗せる。
「こちらは北海道……アイヌ民族の言い伝えといわれています。好いた相手の近くに密かにクロユリの花を置いて、誰が置いたのかもわからないその花を想い人が手に取ったなら、二人は結ばれるだろう。可愛らしいおまじないですね」
「おまじない……」
「そのまじないが造花でも有効なら、僕と茉優さんは結ばれる運命になりますね。こうして受け取ってくれましたから」
「まてまて、"誰が置いたかもわからない"が重要になっているのなら、茉優の相手がそのストーカー野郎になっちまうだろうが」
「許せませんね。造花は無効にしましょう」
(そもそもこの花を入れた人の想い人が里香さんなのだから、私は関係ないんじゃ?)
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