契約させていただきます
(味のあるイラストだけど、おかげで雰囲気がわかりやすいかも)
マオと二人で文字と絵を参考に読み込みながら、次のページへと進むと、『給与体系』の文字。
(そっか、本来は人を募る予定だったから……)
なんとなしに目を通して、思わず「え」と固まる。
記載されていた内容は、衣食住を含む生活全般の提供。日々における護衛代金を差し引き、報酬として現金二十万を与えるとなっている。
(衣食住を全て提供してくれて、さらに二十万なんて……っ)
「狸絆さん、これは、さすがに……っ」
「ああ、やはり今どき現金というのも不便だよねえ。申し訳ないのだけれど、そこは我慢をしてもらって……」
「いえ、違います! 生活させていただいて、護衛までして頂くというのに、更に現金支給までいただくなんて多すぎます……! どこまでお役に立てるかもわかりませんし、せめて、現金支給はなしで――」
「それはいけないな」
狸絆さんはにっこりと微笑むと、
「労働に見合った対価を与えるのは、雇用者としての基本だからね。それにね、なにも大盤振る舞いをしているわけではないよ。雇用主があやかしであることを理解し、血が薄まっているとはいえ、あやかしの血族の家に入り仕事をする。本来ならば、この条件を満たせる"人間"を探すこと自体が難しいからね。おまけに誠実さと信頼性が重要視されるなかで、茉優さんは申し分ない素質を持っている。正直に言って、またとないほど貴重な人材なんだ」
だからね、と。狸絆さんは居住まいを正し、
「なにぶん、私も初めての分野なものでね。仕事内容については、都度相談しながら調整していきたいと思っている。この条件で、のんではくれないかな?」
「……本当に、いいのでしょうか」
ただでさえ迷惑をかけているというのに、こんな、どう見ても私に利の多い条件で。
戸惑いに視線を落とすと、隣から「俺も親父の提示条件は妥当だと思うぞ」と冷静な声。マオだ。
そういうものかと訊ねるようにして横目で見上げると、
「これは親父にも、俺にも、この家の誰にも出来ない仕事だしな。それに、ほとんどヒトではあるとはいえ、依頼人はあやかしでもある。あやかしと関われば関わるほど、普通の……あやかしなどお伽噺だとする"普通の人間"としての生活と異なってしまうのは、避けられない」
よく考えたほうがいい、と。
気遣ってくれるマオにもう一度用紙を眺めてから、私は狸絆さんへと向き直った。
「精一杯頑張らせていただきますので、何卒、よろしくお願いします」
「……そうか、ありがとう」
朱角、と。狸絆さんが控えていた彼の名を呼ぶと、すべて承知しているかのように「かしこまりました」と朱角さん。
彼は私に感情の見えない黄金の目を向け、
「名刺をお持ちでしたら、頂戴してもよろしいでしょうか。それから、雇用関係などの仔細もお伺いさせていただきます。現在お住まいの場所からの引っ越しも、早急にこちらで対応いたしますので、なにか注意事項などございましたらお伝えください」
「え? それは……」
「この後のことは、私たちで進めておくよ。今は退職代行サービスなんてものもあるくらいだから、怪しまれることもないだろうしね」
「そんな、そこまでご迷惑をおかけするなんて……」
「それは違います」
きっぱりと言い放ったのは、朱角さんだ。彼はバインダーから別の用紙を取り出しながら、
「あなた様に不用意に動かれては、どこで例の男に見つかるやもしれませんから。今はこちらで大人しくしていただいていたほうが、俺達にとっても助かります」
「……そうです、ね」
こちらを記載しておいてください、と。渡された用紙を受け取りながら「すみません」と告げる。
すると、マオは不満気に鼻頭に皺を寄せて腕を組み、
「朱角、お前、俺を嫌うのは構わねえが、だからって茉優にまで冷たく当たることないだろ」
「俺は事実を述べたまでだ。それと、俺が忠義を尽くすのは大旦那様にだけだと、お前も知っているだろう。なにも"お前の縁者"だからと愛想を欠いているのではない。うぬぼれるな」
ぴりりとした空気に、私は慌てて、
「朱角さんの言う通りです。それに、私、冷たくされたなどとは感じていません。朱角さん、お手間をかけて申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「……賜りました」
頭を下げた私に、朱角さんが軽く会釈を返してくれる。
充分礼儀を尽くしてくれる人だと思う。ヒトではなく、あやかしだけれど。
(朱角さんは、なんのあやかしなんだろ……)
雰囲気からして、狸絆さんやマオとは違う気がする。
かといって尋ねられるような立場ではないのは、重々承知している。
「それじゃあ、ひとまずまとまった所で、タキに部屋まで案内してもらおうか。明日以降もその部屋を使ってもらっても構わないし、庭の奥に離れがあるから、茉優さんが生活しやすい方を選んでくれれば。ま、そちらは明日かな」
タキ、と。狸絆さんが名を呼ぶと、ほどなくして「お話はおすみでしょうか」と襖が開かれた。
「茉優さん、ウチで過ごしてもらうことになったから。後を頼めるかい」
「承知いたしました。茉優様、お部屋へご案内いたします」
よろしくお願いします、と立ち上がってから、私はあれ? と振り返る。
(マオは来ないんだ……)
そんな不安が顔に出ていたのか、マオは二カリと笑んで、
「俺はちょっと親父と話をしてから会いに行くな。長時間のドライブからの挨拶で緊張させっぱなしにしちまったし、ひと休みしてくれ」
「あ……、はい。ありがとうございます」
会いに、来てくれる。
その言葉にいいようのない安堵を覚えながら、私は「失礼します」と頭を下げ、タキさんと共に部屋を出た。
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