あやかしの密談

 夜も深まり、静寂に満ちた庭園。

 勝手知ったる小道を通り抜け、暗闇に溶け込む離れに近づく。


 あやかしであるこの身に、灯りなど必要ない。

 相手が人間だったのなら、俺の存在など微塵も気付かないだろう。けれど生憎この邸宅に人間はひとりしか存在しない。

 案の定、黒に沈んだ玄関口からぬらりと影が現れた。


「……こんな時間に何の用だ」


 寝巻の浴衣に羽織をひっかけ、不機嫌を隠すことなく腕を組んで玄関から出てきた白い男。

 既に就寝していたのだろう、髪に僅かながら癖がついている。


 想定していた通りの出迎えに、「俺なりに気を遣ってやったんだが」と鼻を鳴らせば、「……そうかよ」と頭を掻いた。

 あの人間に聞かれたくない話だと、気が付いたのだろう。


「で、主題は」


 端的に問う赤い瞳は、他を従える者のそれだ。

 あの人間はこの男を"優しい"などとのたまうが、それは己に限った話だと、いったいいつ気付くのか。


「監視につかせていた小鬼たちから連絡があった。件の男、探偵を雇ったようだ」


「……まだ諦めてなかったのか」


「目くらましの結界を張っているとはいえ、外との繋がりを完全に絶たせているわけでない以上、ここが伝わるのも時間の問題だろう。その上で、仕掛けてくるかはわらないがな」


「わかった。目を離さないでおく。……面倒なのが増えちまったしな」


「冴羽玄影、か」


 男の眉が不快に跳ねた。

 俺は気付かないふりをして、


「大旦那様の命だからな、調べはするが……。人間か?」


「そのはずだ。アイツから妖気は感じなかったからな。だが……あやかしを、知っている」


「生まれつき"気づきやすい"人間もいるだろう」


「……そうだな」


 巡らせるその思考には、いくつもの懸念が渦巻いているのだろう。

 俺はそれを告げられた時に考慮してやればいい。それが、俺とコイツの線引き。

 俺はわざとため息をつき、


「それにしても、あの人間はどうやら厄介者を引き寄せる才があるようだな。まったく、仕事を増やしてくれる」


「茉優のせいじゃない」


 非難する強い口調。俺ははっと笑い飛ばし、


「俺からすれば結果は同じだ。この調子だと、いずれもっと大きな厄介事を引きこんでくるのが目に見える。本人だけは何も知らず大事に守られ、呑気に夢の中か。お気楽なものだな」


「朱角」


 低い、咎める声に言葉を切る。

 俺を見据えるのは赤い瞳。うっすらと光を帯びているのは、興奮しているからだ。

 腹を立てているのだろう。


(本当に、あの人間を愛しているんだな)


 だからこそ。

 俺はその目を、侮蔑を込めて見返す。


「大切だとのたまうくせに、よくもまあこんなにも非道な真似が出来るな。あやかしと人間の婚姻がどれほどの苦悩を伴うか、お前だって忘れたわけではないだろう」


 揶揄したのはかつてここの主だった、大旦那様の奥方様。

 あやかしの存在が希薄になってしまった現代において、その存在を認知し受けいれる人間というのは、それだけで希少価値が高い。

 つまるところ、狙われやすくなるのだ。特に女は。


 だからこの離れが作られた。元々病気がちだったこともあり、少しでも静かで穏やかな日々を一緒に過ごすためにと大旦那様は言っていた。

 俺達も言葉を尽くし、態度でも示していた。

 これは俺達あやかしの問題で、奥方様がここにいてくれるのは、俺達にとっての幸福なのだと。


 けれども奥方様は結局最期まで、"迷惑をかけてしまった"と責任を感じていた。

 幸せそうな笑顔の裏に隠していたのだ。


 寿命も違う、価値観も違う。

 それでも奥方様がこの地にとどまり生涯を終えたのは、大旦那様を愛していたからだ。


 そもそもが、違うのだ。

 奥方様と大旦那様は初めから互いに惹かれ合っていて、それなりの時間をかけて互いを理解し、それでも一緒になりたいと告げたのは奥方様だった。


 大旦那様はちゃんと一線を引いたところで待ち、決定は奥方様に委ねていた。

 愛しているからこそ、欲を押し込んでいたのだろう。奥方様の幸せのために。

 なのに、だ。


「全てを奪って囲い込み、己の容姿を承知したうえで、愛を囁いているのだろう。前世で夫婦だったと、嘘までついて」


「嘘じゃねえ。"マオ"と"ねね"はたしかに夫婦の契りを交わした」


「夜更けに二人で密かに指切りをしただけだろう。おまけにそれっきりで、翌朝には死に別れたというのなら、夫婦と呼べることなど一つもしていないじゃないか」


「契りは結んだんだ」


 赤い瞳が、ますます鋭利な光を帯びる。

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