夫婦になるのなら

「……マオさん、途中になっていた、朝の話なんですが」


『茉優は、夫婦になるのなら人間がいいか?』


 私を嫁にと望んでくれていて、けれどそれ以上に、私の幸せを願っていくれている、優しい問い。

 ここでいう"私"とは、茉優ではなく"ねね"のことだ。

 わかっている。だけど。


(違うけれど同じ。同じだけれど、違う)


 私は"ねね"じゃないけれど、この魂は"ねね"と同じ。

 もしもマオが、私の"同じ"部分を見つめているのなら。この優しい人に、少しでも真摯でありたい。


「……ああ、あの話なんだが」


 マオは軽く頬を掻いて、


「少し急いた問いだったな。茉優はまだ新しい生活に慣れてもいないってのに。また今度で……」


「マオさん、私、"夫婦"というものがよくわからないんです」


「!」


 マオが息を詰める。焦燥を浮かべる彼に、私は大丈夫だと伝わるよう笑んで。


「先日お話した通り、私の両親は七歳の時に亡くなりました。それからは、祖母が育ててくれて。だからなのか、"夫婦"という存在をよく知らないんです。知識とはしてはあります。生きていくうえで、"夫婦"はどこにでも存在しますから。だけど私にとって"夫婦"は、あの日帰ってきてくれなかった"お父さんとお母さん"で、何年歳を重ねようと、私はどうしても"子供"のままなんです。自分が誰かと"夫婦"に、"お父さんとお母さん"の位置になるなんて、考えもしませんでした」


 身体は、社会的立場はすっかり大人だというのに。

 心の奥底ではまだ、あの時のままの私が二人の帰りを待ち続けている。

 もう、二人と過ごした記憶さえ、朧気なのに。


「今回、沙雪さんたち家族と関わらせていただいて、少し"夫婦"という存在を羨ましく思いました。行き違いはありましたが、ああやって互いにその存在を慈しみ合えたなら、きっと、心強いんだろうなと」


(マオはきっと、"ねね"とそうであったのだろうけれど)


 その言葉は飲み込んで、私は「だから」とマオを見据え、


「夫婦になるのなら、"夫婦"を知らない私でも構わないと。共に"夫婦"を築いていくことを許してくれる人となら、"夫婦"になれるのかなと思いました。それと、私にとってあやかしの皆さんは助けてくださった恩人でもあるので、嫌だという感情はありません。答えになりましたでしょうか」


 刹那、バチンッ! と威勢のいい音が轟いた。

 マオだ。自身の頬を挟み込むようにして、両手で頬を打ったのだ。


「え!? マオさん!? なにを――っ」


「戒めだ」


「へ?」


「茉優は俺を殴ってくれないだろ?」


「なぐっ!? しません、そんなこと!」


「な? だから、自分でやる」


 申し訳なかった、と。

 マオは両手を机について、深く頭を下げる。


「幸せになってほしいなんて言いながら、俺は自分のことしか考えないで……! 言いづらいだろう話を、茉優に強いてしまった」


「いえ、頭を上げてください……っ! マオさんは私を気遣ってくださっただけですし、私がこんな、変に真面目に捉えすぎなければよかっただけで」


「俺は、それが嬉しい」


「……え?」


 きょとんとしてしまった私に、マオは苦笑を浮かべ、


「申し訳ないと思いつつも、茉優が、こうして真面目に考えてくれたことが。それを、俺に話してくれたのが嬉しいんだ。無遠慮に振舞っておきながら、茉優の苦渋の決断を"嬉しい"だなんて。性根が悪いにも程がある。だが俺は、この気持ちを変えられない。だからせめて、罰を受けるべきだ」


「そんな……っ」


(このままじゃ押し問答になるだけ)


 手をぐっと握りしめ、勢いよく立ち上がる。

 マオがビクリと肩を跳ね上げたけれど、気にせずその眼前に立った。


「ま、茉優……?」


 意を決して、その場で膝を折る。そして私はマオの両手に触れて、痛みが引くようにと祈りながら軽く撫でた。

 マオが息を呑んだ音。顔を上げるには恥ずかしさが勝って、私は撫でる手を見つめたまま、「私も、嬉しいです」と告げる。


「私、昔からしょっちゅう考えすぎだって、真面目すぎだって呆れられるんです。冗談が分からないとか。だから、マオさんがこうやって嬉しいって受けとめてくださったのが嬉しいですし、マオさんの性根が悪いだなんて絶対に同意できません。私が出来ないからとマオさんが勝手にマオさんを傷つけるのなら、これからは、ちゃんと嫌なことがあれば私が直接叩きます。なので……私の大事な人を、マオさんが罰さないでください」


(さすがにちょっと、図々しすぎたかな)


 恥ずかしさよりも不安が勝って、ちろりとマオを見上げる。

 と、そこには硬直する、真っ赤な顔。


「あ……」


 つられるようにして、自身の顔も一気に熱をおびるのが分かった。

 マオは「ああ、と。そうだな……」としどろもどろに視線を彷徨わせながら、


「茉優、モノは試しってことで訊きたいんだが」


「は、はいっ!」


「……抱きしめてもいいか?」


「!?」


(マオさんに抱きしめられる!? むりむりむり……っ!)


 そんなことをされたら、この心臓は確実に破裂する……!

 私は急いで自席に戻り、


「せっかくのシフォンケーキが乾いちゃいますよ! 早くいただいちゃいましょう!」


 不自然に食べ始めた私に、マオは「だよなあ」と残念そうに肩を落としていた。

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