シフォンケーキと甘い罠

 お言葉に甘えて、プレーンとロイヤルミルクティーを頂く。

 ちょうど時間になったので、ポットから茶葉を取り出し、お盆に乗せたティーカップと一緒に乗せた。

 小皿にはマオがシフォンケーキを二つずつ乗せてくれて、揃って縁側の出っ張った箇所にある、外を望めるテーブルへと向かう。


 紅茶を淹れて、向かい合うようにして椅子に座る。

 窓の外ではピンクのツツジが満開を迎えていて、茂る緑とのコントラストが美しい。

 くゆる紅茶の香りに混ざる優しい甘さに引かれるようにして、私は両手を合わせた。


「いただきます」


 一口分に切り分けようと、フォークを薄黄色の生地に入れる。瞬間、しゅわ、と微かな音が聞こえた気がした。

 気のせいかな、と思いつつ、切り分けた一口を口内に。


「!」


 ふわりと柔らかい生地はほんの数度咀嚼しただけで、あっという間になくなってしまう。

 軽い。けれど水分を含んだ、しっとりとした口当たり。


「おいしいです……! シフォンケーキが溶けるなんて……っ」


 感嘆の声を上げる私に、マオが「な? びっくりの体験だろ?」と喉を鳴らす。


「そんなにふわふわなのに、膨張剤はなしの卵の力だけらしいぞ。種類も全部で三十くらいあってな。けれど店に並んでるのは六種類くらいだから、なにがあるかは行ってのお楽しみってやつなんだ」


「三十……! シフォンケーキって、そんなに種類を作れるものなんですね」


「凄いよなあ。今日はなかったが、俺はラムレーズンが一番の気に入りだ」


(ラムレーズン。シフォンケーキで出来るんだ)


 好奇心に心が疼く。食べかけで行儀が悪いとは思いつつ、今度はロイヤルミルクティーをひとくち。

 優しい紅茶の香りが、ほわりと鼻を抜ける。こちらも美味しい。


「よかったら俺のも食べてみるか?」


「え? いえ、そちらはマオさんのですし」


「なに、ひと欠けずつだ。他の味もどんなもんか、試してみたくはならないか?」


「…………」


 正直、とても気になる。

 マオのお皿に乗る二種類はまた違った味がするのだろうし、マオの話だと、仮に私が買いに行ってみたとしても、同じ味があるとは限らないようだし。


「……少しだけ、頂いてもよろしいでしょうか」


「ああ、もちろんだ」


 マオが手付かずだったチョコレートシフォンの端を、フォークで切り取る。

 先に刺して、自然と伸ばされた腕。


「ん」


「……ん?」


 にこにこと好青年顔で笑みながら、マオは私にフォークに刺さったシフォンケーキを差し出し「味見」という。

 いや、いやいやいや。

 これじゃまるで、"あーん"なのですが?


「マ、マオさん。その切れ端を私のお皿に置いていただければ自分で……」


「ん? なにか不都合があったか? 親父や朱角もよく味見だ腹が減っただと言って、こうやって食べるんだが」


「……んん?」


「そういえばタキにもよくやってたなあ。もしかして、何かまずい行為だったのか? これ」


(え、もしかしてあやかし……というかこの家では、至って普通のことだったり?)


 家族だから……とか?

 思えばたしかに私も、おばあちゃんからこうやって貰っていたし。


(私は家族ではなく部外者なのでって言っても、マオのことだから、もう家族だろ! て全力の善意で言いそうだし)


 マオにとっては"普通"の行為。

 過剰に反応しているのは、私だけってことなら。


「そ、それじゃあ……失礼します」


 ドキドキと騒ぎ立てる心臓を悟られないように、顔をフォークに寄せて口を開く。


(これは普通、これは普通……!)


 唇がフォークに触れないよう、慎重にシフォンケーキだけを口先で挟んで顔を引いた。

 自身のフォークで助けるようにして口内に入れると、先ほどまでの軽やかな二種と異なって、ビターなチョコレートの香りが広がる。


「ほい、こっちも」


 再び当然のように差し出されたそれを、先ほどと同じように唇で食む。

 フォークで口内に転がした途端、たちまち広がる、香ばしいコーヒーの味。


「すごいです、どれも感じる味……香りでしょうか。全然違くて、でもおいしくて。あ、それと、口当たりも少しずつ違いますよね? シフォンケーキってだけでどれも似た感じなんだろうなとか、勝手に想像したら駄目ですね……って、あれ? マオさん?」


 片手で目元を覆い、天井を仰ぐマオ。

 明らかに様子のおかしい彼に、


「だ、大丈夫ですか!? 体調不良……? は! タキさんを呼んできます! フォークは危ないので置いて……」


「いや、体調は問題ない。ただすこぶる元気すぎたというか、思ってた以上に駄目だったというか、もろもろ噛みしめているというか……」


「はい?」


 いそいそとフォークを置くマオ。

 彼は「茉優」と心配げな微笑で私を見て、


「ホント、俺の目の届くこの家に留まってくれて、ありがとうな」


「……? いえ、お礼を言うべきは私のほうです。何から何までありがとうございます」


「いえ……こちらこそ」


(なんで敬語なんだろう?)


 と、コツリと窓の鳴る音がした。

 首を巡らせると、窓のすぐ外でにこやかに手を振る狸絆さん。


「大旦那様!?」

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