第20話 帰還
血の海のなかに佇む。
体がずっしりと重いのは単に服が血を吸ったから、というだけではなく、酷使しすぎた腕が、足が、脳が、悲鳴を上げているからだろう。
あたりには霧散した血が霧のように立ちこめている。
その霧の中にやがて、見覚えのある人影が現れた。
「お疲れ様。冬枝くん」
「・・・・ただいま。引金さん」
人影―引金御伽は俺のそんな返事を聞いて、きょとんとした顔をする。
「ただいま?そんなに離れた時間は長くなかったと思うけど」
「それが長かったんだよ。結構さ」
「・・・・ふうん。ま、よくわかんないから取り敢えず信頼の証っていう意味で受け取っておく。後で詳しく話してね・・・・で、どう?怪獣になってみた感想は?ていうか今君は」
「どちら側なんだ?」
引金の言葉を継ぐ、しかし確実に彼女のものではない男の声。
首筋に走る冷たい感覚。
恐る恐る視線を首元へと滑らせる。
血に濡れて鈍く光る白刃がそこにはあった。刃先の形状からして日本刀のようだが・・・・。背後から突き付けられているため、下手人の顔は分からない。
「先ほどの戦闘―いや、殲滅。拝見させていただいた。結論から言えば君は人間ではないな。では怪人か?いや、おそらく違う。根拠はないが、俺の怪獣狩りとしての感覚がそう言っている」
男はそこでいったん言葉を切る。
白刃がわずかに動き、首の皮膚に数ミリほど食い込む。
「が、見ず知らずの人間の勘で生死が分かたれるというのはいかにも理不尽だ。それがたとえ正しくても正しくなくても。故に敢えて問う。君は怪人か怪獣か、どちら側だ?」
無回答を許さない誰何。
その問いに応えるべく、俺は一つ息を吸って、刀身を掴む。
皮膚が裂け血が滴る。痛みはあるがいまさらどうということもない。ただそれだけだ。
今にも崩れそうなほどずたずたな腕を力ませ。
刀身を首筋から離す。
―而して答えは。
「人間」
「・・・・そうか」
白刃がきらめく。
それは俺の首ではなく、血風を巻き起こしながら空を切り裂いた。
霧が晴れる。
そこにあった光景は。
日本刀に槍に鉾に鎖鎌。ありとあらゆる武器が俺たちを取り囲んでいた。全員が彼の仲間―すなわち怪獣狩りなのだろう。
「いつでも殺せたってわけ?」
引金が呻くように言う。対して男は極めて冷静に、感情の起伏を感じさせない無機質な声で答える。
「殺すまではしなくとも腕の二本や三本は貰うことになっただろうな。それももし抵抗されればの話だが。結果的にそうならなくてよかったよ。俺も、人を殺すのは得意じゃないんだ。それがたとえ形だけであってもな」
男が言い終わるのと同時に、周囲を取り囲んでいたひりつくような殺気がおさまる。辺りを取り囲んでいた武器が戦意の喪失を示すように下げられる。
「突然襲って悪かった。俺の名前は
「・・・・とは言ったものの、俺自身話すのが得意じゃなくてな。できれば君たちから話を振ってほしい。冬枝、だったか。もちろんそちらのお嬢さんからでもいいが」
「私は特に何も」
「・・・・・・・・」
あれからしばらくして。
なんとか誤解を解いた俺たちは今、居住区に乱立するバラック小屋の一つにいる。その生活感のなさから鑑みるに、どうやらここは彼の家ではなく、空き家か、会議室のような用途で使われる場所のようだ。
先ほどは背後にいたため見えなかった九月の容貌は、無精ひげに濁った眼、こけた頬に手入れされていない蓬髪と、戦闘へのストイックさがうかがえる(?)ものだった。街を歩いていて肩をぶつけてしまった暁にはすかさず卒倒してしまうだろう。歩いているだけで職質されそうだ。それほどの威圧感というか凄味がある。本人は自覚していないのかもしれないけれど。
「じゃ、じゃあ俺から。普段から九月さんたちはここに住んでるんですか?」
「ああ。普段はここを根城にしている。怪獣狩りは基本的に放浪の民だ。『家族』とよばれる小規模なコミュニティを作って各地を転々としている。一か所に長い間留まって生活することは少ない。が、俺達には特殊な事情があってな。ここにいるのはそのためだ」
「事情?」
「『獣』だよ。七年前に襲来し、九州に文字通り大きな『爪痕』を残した大怪獣。その再来が近いっていう噂が流れている。奴を狩るべく俺たちはここに留まっているわけだ」
「・・・・まさか。何を根拠に」
「『獣』の災禍は基本的に七年サイクルで行われる。一度襲来した場所に再来したというケースは俺も聞いたことがない。だが、ここは、九州は特別なんだよ。・・・・曰く、七年前の災禍は中途半端なまま終わっている。『廃人』達によって寸前で食い止められたからだ。だから、その埋め合わせをしにくるんじゃないかって言うのが一応の根拠。眉唾物と言えばそれまでだが、信じるだけの価値が『獣狩り』にはある。国一つ相手どれるほどの獲物だからな。奴は」
「・・・・・・・・」
七年前、九州を蹂躙し尽くした『獣』。
俺が空っぽになってしまったその要因。全ての始まりにして終わり。それが再来するというのか。ようやく少しずつ『埋まってきた』というのに。
「もちろんここにいる理由は『獣』の事だけじゃない。ここには子供達がいる。彼らを守ろうという気持ちも、無くはないんだ。実際。自分の姿を重ねざるを得ないからかもしれないが・・・・ま、それにしたって副次的な理由に過ぎない。要は建前だ。一番の理由は自らの利益のためだよ。質問への答え、これでいいか?」
「あ、はい。ありがとうございました」
そんな俺の返事を聞いて、話疲れたのか水を一口飲む九月。口下手だと自称していた彼。またこちらから話題を振らなければならないかと考えていた俺だったが、幸いにもその必要はなかった。
「そういえば俺からも一つ、聞きたいことがあったんだった。かまわないか?」
首肯する。
ほんの少しだけ間をおいて、九月は再び口を開く。
「〈共食い〉―イーターの剣柄白羽を知ってるか?俺の妹なんだが」
「「妹⁉」」
「・・・・もちろん妹と言っても実際血縁関係があるわけではない。さっきも言った通り俺たちは『家族』と呼ばれるコミュニティを形成して生活している。『妹』というのは要するにその中での役回りと言ったところだ。その反応を見るに何か知っているようだな。有益か無益かはこちらが決めること。なんでもいいから知っていることを話してほしい」
「理由を聞いても?」
「ああ、そうだな。大切な部分が抜けていた。実を言うと先日から行方不明なんだ。あいつ。気ままな奴だからフラッといなくなることはよくあるんだが・・・・。二週間も連絡を寄こさなかったことは無い。心配してるんだよ。奴に限ってそんなことは無いとは思うが、もしもの事を考えるとな」
「つい昨日会いましたけど」
「何?」
俺と剣柄の邂逅。その顛末を九月に説明する。彼は手入れされていないその髭をさすりつつ話を聞いていたが、だんだん顔色が悪くなってきて、しまいにはこちらに向けて平身低頭して詫びを入れてきた。
「うちの妹が・・・・本当に申し訳ない」「腹を切ってわびたいところだが、充分だろうか」「介錯の人手なら事足りる」「何なら君が殺してくれても構わない」
・・・・宥めるまでに三十分と、しびれを切らした引金の床パンチ一発を要した。
「・・・・なるほどな。どうやら手掛かりになりそうな情報はなさそうだ。思わず手が出そうになる情報はあったがな。重ね重ね、本当に済まない。―だがまあ、今回の心配も杞憂に終わるだろう。あいつの事だからな」
「ずいぶんと信用があるんですね、彼女」
「ああ」
即答された。表情の変化が乏しい彼の顔が、心なしか綻んでいるように見える。
「あいつが放浪して帰ってくるときはいつも、厄介ごとと大手柄がセットで手に入るって相場が決まってるんだ。今回も例に漏れずそうだろうさ。もっとも、完全な勘だが、その勘に命を預けてる俺が言うんだ。少しは説得力あるだろ?」
「これ以上ないくらいの証明です」
俺も彼女がそう簡単に死ぬとは思えない。そして、ここでその縁が切れるとも思えない。
―不意に地面をたたく湿った音が耳朶を打つ。どうやら雨が降りだしたようだ。血の雨ではなく、本物の恵みの雨が。
剣柄は今頃どこかで雨宿りでもしているのだろうか。あるいは意外にまだあの廃墟の中にいるのかもしれない。
俺はそんなことを考えた。そんな、何の意味もなさない詮無きことに思いをはせた。
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