第五話 幽霊探偵緋瑪
5-1
「お嬢様、本日はビーフシチューでございます」
「知ってますわ。お買い物も一緒でしたしお料理するところも見ていましたもの」
「減らず口! さっさと降りてきなさい」
私が強く言うと、天井付近を漂っていた琴子は不承不承の体で、けれど微笑を浮かべて降りてきた。
私はシチューとサラダをテーブルに並べて着席する。
「いただきます」
スプーンでシチューを掬う。琴子の期待の籠もった眼差しを感じる。
はてさてお味は……。
「腕を上げましたわね」
琴子が目を細めてそう言った。
「そりゃ毎日やってればね」
と私が返すと、琴子は、
「減らず口はどっちですの。褒めて差し上げたのだから素直に受け取りなさい」
と口を尖らせた。
私はゆっくりと夕食を口に運ぶ。早食いすると琴子が怒るのだ。
除霊を企て失敗してから三日が経った。
相変わらず琴子は私のアパートにいるし、私は琴子の言いつけにしたがって毎日料理をし、掃除もし、早朝のジョギングもしている。
一見して、何も変わっていないように見える。
けれど、同じようでいて、それまでとはなにかが違っていた。
何が――距離感だ。
私は琴子に「この世から消え失せろ」的な振る舞いをしたし、琴子は私に「死ぬまで呪ってやる」的な宣言をした。
普通に考えれば最早関係は断絶でありその後に待つのは完全な破局しかないのだけれど、不思議とそうはならなかった。
むしろ前よりも打ち解けたような感触がある。
どうしてこんなことになったのか。
私なりに考えた結果としては、お互い本音をぶちまけたからだ。
私は「悪霊の機嫌を損ねてはどんな祟りがあるか分からない」とビビって琴子に従っていたし、琴子は琴子で、「この世界で唯一の話し相手を失いたくない」みたいなことを思っていた……と思う……自信ないけど――生活にあれこれ口出しをしてきたのは、「有用なアドバイスをすれば必要とされるはずだ」と考えてのことだろう。
ところが除霊騒動を経て、私は琴子が最初から幽霊だったのではなくて、一人の人間であることに気付いた。琴子の方も、よかれと思ってやったことが私にとってはただのありがた迷惑だったと知った。
そんなわけで私たちは、お互いに歩み寄ることにしたのだった。
まあその前には琴子怒りのオールナイトリサイタルがあったのだけれど。
「今日もあれ、ありますわよね?」
夕食の終わり頃になると、琴子はそわそわしながらそう言った。
「あれ?」
「ああ、あれね。……まだあったっけ?」
「とぼけないでくださいまし。買い物籠に入れるところを見ましたのよ」
「あーそうだっけ。どうしよっかなー。さすがに毎日だとねえ……」
「おひめひめ」
「冗談だって」
琴子が怖い声を出したので私は降参した。
あれ、というのはプリンのことだ。名のある名店のものではなく、スーパーで三カップつながって売ってる安物の。先日何となく食べたくなって買ってみたところ、琴子様はいたくお気に召されたようで、毎食後のデザートとして要求するようになってしまったのだ。
冷蔵庫からプリンを出してきて蓋を開けると、琴子がにじり寄ってきた。何かもう、今にもよだれを垂らしそうではしたのうございますよお嬢様?
と、そのときだった。前触れもなくスマートフォンがなった。
「ひっ」
この数ヶ月なかったことに私は悲鳴を上げ、デザートの邪魔をされた琴子はむっつり不満顔になる。
画面に表示された相手は「実家」。
「うあ」
と私は呻いた。
家族からの最後の連絡は、三ヶ月前だった。
初めての大きな舞台を前に、母から激励があった。「絶対に見に行くからね」と。
そして大失態の初日の夜にも電話があり、そのとき私は「大丈夫大丈夫、次は絶対に上手くやるから」と請け負った。そして降板させられた。
二日目以降の舞台を母が見に来ていたかは分からない。
それから一週間ぐらいの間、ほとんど毎日電話はかかってきていたけれど、私は一度も電話に出なかった。その後、兄からラインに一度だけ「母さんが心配している。返事だけでもしてやれ」というメッセージがあったけれど、私はそれにも返信をしなかった――できなかった。
家族はみんな、舞台女優という無謀な夢を否定することなく、私のことを応援してくれていた。
けれど私はその期待に、応援に、答えられなかった。
合わせる顔がなかったし、返す言葉もなかった。
やがて諦めたのか、電話はかかってこなくなった。
その家族からの、三ヶ月ぶりの電話だ。
私は電話を取ることができずに液晶画面を見つめている。様々な思いがよぎったけど、特に大きいのは後ろめたさだ。
私はこのまま呼び出しが途切れることを願った。「取れなかったんだからしょうがないよね」と自分に言い訳をしたかった。
けれどもそうしなかった。琴子がいたからだ。
両手を膝の上に重ねて、不安そうに、何かを訴えるように琴子は私を見守っている。
私は息を止めて、通話ボタンにタッチした。
「…………もしもし?」
『あ、緋瑪? お母さんだけど。今大丈夫?』
「うん。平気」
『あんたの声を聞くのも久しぶりねえ』
何を言われるのかとがっちがちに緊張していた私とは対照的に、母の声は普通だった。あまりにも普通すぎて違和感を覚えるくらいの、普通。
「で、何?」
『何って、用がなければ電話しちゃいかんのかね』
「そんなことないけどさ」
『まあ要件はちゃんとあるよ。そろそろお盆でしょ? あんた、どうするん? 帰ってくる?』
舞台のことにも、連絡を無視し続けたことにも触れずに、母はそう言った。
「あー」
そういえばそんな時期なんだった。毎日が夏休みになって以来、曜日や行事が遠くなった気がする。
『何? 帰ってこないの? あんた連休も帰ってこなかったじゃない』
「そうなんだけど……」
『一回ぐらい顔見せんしゃい。お父さん寂しがっちゅうよ』
懐かしい訛り。意識が新潟の田舎町に飛ぶ。
帰りたい――そう思った。理屈も現状も一切無視して。
(だけど、だ)
私は横目で琴子を見た。
もしも私が帰省すると言ったら、この幽霊お嬢様は素直にアパートで留守番をしているだろうか。
考えるまでもなかった。ついてくるに決まっている。死ぬまで取り憑くなんて言ってたくらいだし。
「ごめん今はちょっと無理。こっちでやることがあって」
早口の、嘘。胸がちくちくした。
琴子がもの言いたげにこちらを見ている。何? プリン? プリンか? こんな時に琴子お前……。
「もうちょっと待ってすぐ済むから」
私は携帯電話を口から遠ざけて、琴子にだけ言ったつもりだったけれど、その声はしっかりマイクに拾われて母にも聞こえていたらしい。
そして母はありがちすぎる勘違いをした。
『何? 誰か来てるん? 友達? まさか恋人?』
「んんっ!? そっ、そんなんじゃないから!」
私は焦り、母は私の反応で勘違いをさらに加速させる。
『なんだ。そんならそうと早く言いなさい』
「違うから!」
『あんた意外と抱え込むタイプだったし、どうせ一人で鬱々してるんだろうと思ってたけど。一人じゃないって知って安心したわ。その友達か恋人か知らんけど大事にね。たまには顔見せに来なさいよ。それじゃあ』
「だから違、」
『……ご飯だけはちゃんと食べるんだよ』
言い返そうとした私は、母のその言葉で息を詰まらせた。
母はどこまで分かっていたんだろう。いや、分かっているはずがない。
けれど、何も察してないはずもまた、ない。
「ああ疲れた……」
呟き、私はスマホをベッドの上に放り投げた。
そのまま自分もベッドに倒れ込もうとして、片手に持ったプリンを思い出す。
「ごめんお待たせすぐ食べるね」
私は座り直してプリンを頬張る。親との会話で削られたメンタルにカラメルの甘さが染み渡る。
けれど大好物を味わっているはずの琴子の反応はよくなかった。
「あれ? おいしくなかった?」
前にも食べたことのある、琴子のお気に入りのメーカーのはずだけど。不審に思った私はプリンのパッケージをじろじろ観察した。「おいしくなって新登場!」とかいう詐欺的文言は見つからなかったから、中身も変わってないはずだけど。
「わたくしに遠慮したの?」
突然に、琴子はそう言った。
「え?」
「帰省を取りやめたのでしょう」
「んー、遠慮したわけじゃなくて。バレたら面倒だし」
と私は言ったけれど、実際バレることはないと思う。琴子のことは私にしか見えないのだし。もし事情を説明したところで、私の頭がおかしくなったと思われて終わりだ。そっちの方がよっぽど面倒だな……。
「残念ですわ。緋瑪のご両親にご挨拶するのが楽しみでしたのに」
「……どうやって?」
冷え冷えとした突っ込みを琴子はスルーした。
そこで、ふと気になることが生まれた。
「あんたの方はどうなの?」
「わたくし?」
琴子が首を傾げる。
「家族の様子とかさ、気になったりしない?」
「と言われましても……わたくし、生前の記憶がございませんし……。気がついたらこのような姿で、覚えているのは名前だけで……」
「ああ」
驚きは、大きくはなかった。むしろ納得感があった。
琴子はこれまで自分の身の上話を一切しなかった。できなかったのだ。
私はまた、琴子のことを考えた。
その孤独について。
立った一人で幽霊としてさまよっていた彼女は、それだけではなく、生きていた頃との繋がりもまた、失っていたのだ。
一人きり……ぼっちと言えば今の私もそうだ。劇団の仲間とも大学時代の友人とも連絡を取らず、一人でアパートに引きこもって暮らしている……琴子の出現で微妙に違ってきているけれど。
それでも私には、向こうから連絡を取ろうとしてくれる家族がいるし、いざとなれば帰る家だってある。
琴子にはそれすらない。
「知りたいとか、思わなかった?」
「思ってもどうしようもありませんわ」
寂しげな微笑。知りたいと思ったことはあるのだろう。当然だ。
自分がどこの誰かも分からないなんて、耐えられるものではない。
私のようなファッションぼっちですら寂しくなるんだから。
「……あのさ」
話しかけ、けれどその先を言うのには――自分から他人に強く関わろうとするのには、少し勇気が要った。
「調べようか?」
「えっ……」
「だからね、私が琴子のことを調べようか、って」
琴子が目を丸くする。
この子を驚かせたのは初めてだなと思った。ちょっと気分がいい。
「琴子が自分のこと調べられなかったのは、琴子が幽霊だからでしょ?」
幽霊には物理的な干渉ができない。
そしてこれまで、琴子の姿が見えて、声が聞こえる人は現れなかった。
これでは聞き込みも記録調査もできない。
けれど、生きて肉体を持つ私にはそれができる。
「琴子のこと、調べてあげる。どこの誰なのか、どうして死んだのか」
「それは……」
琴子のかんばせに戸惑いと不安が浮かぶ。年相応に幼く見えた。
諦めたような口ぶりだったけど、実際はまだ諦めてはいないのだ。そして、知るのが怖いと感じている。
「……どうしてそこまでしてくださるの? 緋瑪には何の得もないのに」
予想された問いだったので、返事はすぐにできた。
「お詫びというか、そんな感じ。ほら、ひどいことしちゃったし」
私はちらりと机の下、除霊グッズがつまった段ボールを見る。
「なんの効き目もありませんでしたわね」
そう返されると苦笑するしかない。
除霊未遂に対する報復はもうやられたし、琴子はもう怒ってはいないみたいだけど、私の負い目はすっきり晴れてはいなかった。
謝って終わりではなく、何か行動を返したいと思っていたのだ。
「というか私が知りたいの。琴子のこと」
その言葉に琴子が顔を上げる。先ほどとは別の意味の戸惑いが浮かんでいた。
「あとね、素性が分かれば弱点も分かるかもしれないし」
私が照れ隠しに言うと、
「緋瑪!」
琴子は目を吊り上げ、それからふっと肩の力を抜いた。
「それでしたらお願いしようかしら。そして、もしわたくしの死因が他殺だった場合は、犯人と対決していただくことにいたしましょう」
「うっ。それは……」
殺人犯との対決……そうか、そういう可能性もあるんだ。ミステリだと定番の流れだけど困ったな、私、格闘技とか全然できないんだけど。
私が返事に窮していると、琴子はふふっと笑ってこう言った。
「おひめひめったら心配のしすぎですわ。そんな展開はあり得ません」
「……根拠は?」
記憶もないのにどうして自信たっぷりに言い切れるのか。
「だって、この善良と慈悲の化身のようなわたくしが殺されるほどの恨みを買うはずがないで……ちょっと! なんですのその目は!?」
おっと、いけないいけない。気持ちが表情に出てしまっていたみたい。
「ごめんごめん。そうだよね、善良でお優しい琴子様が人の怨みを買うはずないよね」
「ううう。不愉快な……」
と琴子は歯ぎしりしながら私を睨み付ける。
けれどその目は本気で怒ってはいない。むしろそれとは正反対の光が宿っていた。
そんなわけで、私は幽霊お嬢様の素性を調べることになったのだった。
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