6-4
「お帰りなさいませ」
はなや旅館に戻ると、髪に白いものが混じった小柄なおばあさんが、私たちを出迎えた。
「お食事の方、ご用意できておりますけれど、すぐにお部屋にお持ちしてもよろしいですか?」
なんて聞いてくるからには宿の関係者なんだろうけど、はて……と思っていると、
「何やってるのおばあちゃん!」
奥から咎めるような声を上げながら、依里さんが小走りでやってきた。
依里さんのおばあさん?
「……ということは大女将、ですかしらね」と琴子。
確かに着物の着こなし、所作なんかも年季が入っていて、依里さんには悪いけれど、格の違いみたいなものを感じさせる。
そのおばあさん――大女将は全身で依里さんの方を向いて、
「団体さんがご宿泊だと言うから手伝いに来たんじゃないか。お前こそなんだい。お客様のお帰りにお出迎えもせずに」
「してなくないもん。ちょっと遅れただけで」
「遅れるのもダメに決まってるでしょう」
「う」
正論に声を詰まらせる依里さん。
「忙しいのは分かるけどねえ……」
「あの!」
このままだとお説教モードに入りそうだったので、私は二人に割って入った。
「依里さんを叱らないでください。私たちは気にしてませんから」
「たち?」
しまったついうっかり。私としては琴子と一緒、二人旅のつもりだけど、他の人にはそうは見えないのだ。
依里さんも大女将も不審そうな目をしている。ごまかさなきゃ。
「あ、そうそうランタンフェスティバルってやるんですね。街で幟が立ってるのを見ました。宿が取れないって言ってたのはその関係ですか?」
「話の切り替え下手過ぎですわ」
琴子、うっさい。まあその通りだけど。
幸い依里さんは不審がらずに話に乗ってくれた。
「ええ、そうです。この街、元々宿泊施設が少ないものですから。緋瑪さ……仲谷様はランタンフェスをご覧にいらしたのではなかったのですか?」
大女将がいるからだろう、依里さんは接客用の丁寧口調でそう訊ねた。
「あー、まあ、ちょっと別件で」
「そうだったんですか。お時間ありましたら是非、見ていってください。実は私、お祭りで舞うことになってるんです」
「ダンサーなんですか?」
「私が? あっはっは。っと失礼しました。仲谷様が想像されてるのとは多分違いますよ。フェスの前に……」
「依里。まずはお客様を休ませて差し上げたらどうなんだい?」
大女将が孫娘をジロリと睨む。
「あっ! ごめんなさいおばあちゃん」
「謝る相手が違う!」
またしても説教が始まりそうな流れに、
「……やれやれですわ」
琴子が肩をすくめるのだった。
そんなこんなで部屋に戻り、浴衣に着替えてくつろいでいると、依里さんが夕食を部屋に運んできてくれた。
ご飯にお味噌汁、白身の焼き魚、お刺身盛り合わせに茶碗蒸しにお一人サイズの鍋……卓に温泉旅館の定番メニューが並べられる。
「お鍋はひっつみですか?」
「あら、よくご存じですね」
ある意味、これを食べに来たようなものだ。
固形燃料に火を付けて、「ではごゆっくり」と下がろうとする依里さんを私は引き留めた。
「さっきの話、ちょっと気になって。お祭りで踊るっていう」
「ああ。ランタンフェスにもステージはありますけれど、そこで踊るわけじゃないんですよ。同じ日の昼に神社で神事があって――地元の人間としてはこちらがメインなんだけど。ランタンフェスは観光客向けのイベントだから――神楽の奉納があるの」
光咲市の、というか山端の昔話。
山端には龍神が住んでいた。龍神は若い娘の姿に化け、村の人々と暮らしていた。ところがあるとき、村の乱暴者が龍神を自分だけのものにしようと企み、龍の姿に戻るための羽衣を奪い、洞窟に閉じ込めてしまった。龍神の加護を失った川は荒れ狂い、村は洪水で大きな被害を受ける。龍神を助け出そうにも乱暴者はとても強くて、村人たちでは敵わない。そこに京から侍がやってきて、乱暴者を討ち果たしたことで村は救われた。その後、龍神は人と交わるのをやめて山に戻り、村人たちは龍神を祭る社を建てたのが織幡神社の始まりである。
「……で、この伝承を伝えるためのお祭りが、毎年夏に開かれてて、山端の若い娘が龍神役を務めるというわけ。昔は中学生くらいの子がやってたらしいんだけどね。時代の流れというの? 勉強や部活で忙しいとかそもそも少子化でなり手がいないとかで、一度もやってないなら誰でもオッケーにしたんだけどそれでもなり手がいなくて毎年困ってるのが現状」
「へえー。龍神様ですか」
「似合わないでしょ。庄ちゃんなんかひどいんだよ『そんな黒い龍神様がいるか! 闇の波動でも放つのか!』って。頭来たから蹴ってやったわ」
と依里さんは笑う。
「お侍さんはどうなったんですか?」
「わかんない」
「はい?」
「わかんないの。村に残ったのか京に帰ったのか。その後が分かるような記述は一切なし。まあ昔話なんてみんな適当なものでしょ」
ひどい言いぐさだけど、「確かに」と私はうなずいてしまった。
いい感じにお鍋も煮えて、今度こそ依里さんは部屋から下がった。
いよいよ本場のひっつみとご対面だ。
小鍋の蓋を取るとふわりと湯気が立ち上る。
季節の野菜をふんだんに。小さなホタテが入っていた。
私は好きなものからいくタイプだ。なのでホタテをガブリ。それからひっつみを頬張って一緒に味わう。つるりとしたひっつみに濃いめの汁が合わさって絶妙な味わい。
「おいしーい。どう、琴子?」
「ええ、とっても美味ですわ」
琴子も微笑んでいたけれど、心からの笑顔という感じではなかった。
ひっつみは郷土料理であり家庭料理だ。ご家庭毎に独自の味がある。琴子にとってのひっつみは、やはり琴子の家を見つけなくては味わえないのだ。
†
探索二日目。
とりあえず長袖のシャツと日焼け止めを買った。
昨日ノーガードで走り回った結果、私の腕と顔は見事に焼けまくって地獄のように痛い。
今さら意味はないのかもしれないと思いつつべたべた塗り込んで、昨日行かなかった馬止地区を回ってみることにした。
どこに手がかりが転がっているか分からないので、あえて遠回りの道を選んでスクーターを走らせる。
馬止地区の市街地に入って少しすると、琴子がこんなことを言い出した。
「……それにしても何というか、特徴のない街ですわね。並んでいるお店も日本全国どこにでもありそうなチェーン店ばかり」
それは私も感じていた。地元の人には悪いけれど、「量産型地方都市」のちっちゃいの、って感じなのだ。この街は。地名の書かれた看板を取っ払ったらどこなのかさっぱり分からないのではないか。そのくらい特徴がない。これでは琴子の記憶が刺激されないのも無理はない話だった。
何かアプローチを変えないといけない。
もっと個人の思い出とリンクするような場所、建物、イベント――
自分だったらどうだろう、と考えた。
我が故郷は新潟のそこそこ栄えた街で、ものすごく寒い。思い出すのは冬の寒さと、他県の人が思っているほど雪が積もらないこと。通学路でバスを待つ辛さ。教室に入って温かさと友達の笑顔にほっとしたこと。そして何より、演劇と出会った高校時代。
「閃いた! 学校に行ってみない? 琴子がどんな子供だったか知らないけど、学校には通っていたはずでしょ」
琴子がどこの学校に通っていたかは分からない。けれど人口の少ないこの街の学校の数なんてたかがしれている。しらみつぶしにあたることは十分可能だ。
「……なるほど、やってみる価値はありますわね」
「決まり」
そうして私たちは市内の小中学校巡りを始めた。
ところが、である。
市内の全校――本当に文字通りの全校を巡ったのに、琴子はそのどれにも反応を示さなかった。
「どうなってんの……」
「……ごめんなさい」
「責めてるわけじゃないから」
慰めているわけではなく、いやもちろん慰めの気持ちもあるけれど、私は本当に困惑していた。いいことにしろ悪いことにしろ、学校に思い出のない人間なんているの? いるとしたらよほどの事情だ。未就学。不登校。それとも前提――琴子はこの街で生まれ育った――が間違っているのか。
けれどそれも琴子は否定する。
「山並みですとか、何となくの景色ですとか、見覚えはありますのよ。学校に通った覚えも」
これも嘘ではないはずだ。「小中学校」から範囲を拡げて「小中学校の活動で行きそうなところ」も回ってみたら、琴子は馬止地区にある牧場に、小学校の遠足で来たことを覚えていた。男子児童が牛の糞を踏んづけて転んだという、なかなか具体的な記憶だ。けれど児童の名前や小学校の名前までは出てこなかった。
「自分でももどかしいの。隔靴掻痒、と言うのでしょうね。わたくし、靴を履く感触なんて忘れて久しいですけれど」
幽霊ジョークも滑り気味。
思い出せなくて申し訳ないと思っていて、焦っているのが伝わってくる。
「今日はもう引き上げよう」
「でも……」
「無理することないって。それに私もお尻が痛くて限界。今日はもう走れない」
「……」
琴子はためらったけれど、結局は私の言うことに従った。
はなや旅館に帰り着くと、玄関を開ける前から依里さんと大女将の言い争うような声が聞こえていた。争うと言ってもガチに対立しているわけではなく、「もう歳なんだから無理しないで」「あんたに任せておけないからだよ」という、互いを思いやる気持ちのぶつけ合いだ。
私は静かに玄関を開けた。
途端に二人は言い争いをやめて客を迎えるための笑顔。
「「お帰りなさいませ」」と新旧女将の声が重なる。
「あ、はい」
こういうときなんて言えばいいのか、旅慣れてない私にはいまだに分からない。自宅じゃないのにただいまも変だし、「今戻りました」じゃ仕事みたいだし。
「そうそう、仲谷さん。さっき連絡があって。お車直りましたよ」
「ありがとうございます」
朗報のはずなのに、私の声には覇気がない。
「顔色が少々優れませんね。お部屋にお戻りになる前に、そこのソファで少し休んでいかれては?」
大女将がそう言った。
「お構いなく」
「そう言わずに、今何か冷たいものをご用意しますから。依里、何をぼさっとしてるんだい!」
私は遠慮したのに大女将は私の行く手を遮り、依里さんを厨房に走らせてしまった。
こうなると抵抗するのも面倒だ。私はソファにぼすんとお尻を沈ませる。まあ実際疲れてはいた。丸二日炎天下をスクーターで走り回ったし、なのに目立った成果はないし。
何より琴子の表情が効いた。自分だってがっかりしているだろうに、それを悟らせまいと取り繕っているのが私の心を痛ませる。
「面倒くさかったら部屋に戻ってていいよ」
私は琴子に小声で言った。
琴子は静かに首を振り、私の隣、ソファの背もたれに腰掛けてない足を投げ出す。それを見て(あれ?)と私は思った。スカートが少し短くなってる? 暑いから? でも琴子って温感はなかったはず。まあ服装は琴子の意志で自由に変えられるんだし、気分によって多少の変化はあるか。
すぐに依里さんが冷たいお茶と、一口サイズにカットされたスイカの小鉢を持って戻ってきた。
私は塩の小瓶を手にして琴子を見る。
「たっぷりと」
リクエストに応じて、私はスイカに塩をじゃんじゃか振りかけてから食べた。
「ん~~~~っ! 夏はやっぱりスイカですわね!」
同感。
「ああ、生き返った感じがする。ありがとうございます」
「ずいぶんお疲れみたいですね」
と依里さんが話しかけてきた。
「つかぬ事を伺いますけれど、仲谷さんはこの街に一体なにをしにいらしたんですか? 観光にしてはランタンフェスのことをご存じなかったし、かといって宿でゆっくりすることもなく、朝から晩まで走り回って……」
もしかして不審人物だと思われているんだろうか。ちょっとそれは失礼……でもないな。事情を知らない人から見れば私は、観光するでも休養するでもない、目的不明の一人旅の女だ。しかもときどき虚空を見つめたり話しかけたりする。
「まともな客とは言えませんわね」
おい琴子、原因の半分はお前だぞ?
「あー……何というか……」
適当にごまかすべきだったし、口を開いたときはそのつもりだった。事情なんか説明したって分かってもらえないしそもそも説明不能だし。
けれども調査は行き詰まっていたし、私はだいぶ疲れていた。
だから聞いてしまったのだ。
「人を探してるんです。三上琴子、という人物をご存じないですか?」
「緋瑪!」
と琴子が咎めたが、言ってしまったものはもう撤回できない。
「三上?」
「……知り合いにはいませんねえ」
大女将と依里さんが口々にそう言った。
「名前だけではさすがにちょっと……何か他には?」
「すごい美少女です。十年見てても見ほれるくらいの」
「ちょっ!」
琴子が口をパクパク、手をバタバタさせた。そういえば容姿を褒めたの初めてかも。反応が面白かったからいじりたくなったけど二人きりになるまでお預けだ。
「あとは歌が上手で、多分ですけど、上流階級? すごいお金持ちかもしれない」
「私は知らないなあ……おばあちゃんは?」
依里さんの問いに大女将は神妙な顔付きで、
「もしかして、誠史さんのことかねえ」
「っ! お爺さまですわ!」
琴子が叫ぶ。すさまじい音量に私はひっくり返りそうになった。
「やりましたわ緋瑪! 捜し物はやめたときに見つかるものだと、歌にある通りでしたわね! 踊りたい気分ですわ!」
うん分かったからちょっと落ち着いて声のボリュームを下げて。
「仲谷さん?」
「あ、ごめんなさい大丈夫大丈夫。ちょっと脳がキーンってなっただけ」
ちっとも大丈夫じゃないことを言ってしまったので依里さんがますます不安がる。
私は琴子に「静かに」と目で訴えてから大女将と向き合った。
「多分その人の身内です。ご存じなんですか?」
「ここいらでお金持ちの三上といったら誠史さんしかないからねえ」
「その人の家はどこにあるんですか?」
私は勢い込んで訊ねた。
琴子もソファの背もたれから降りて、大女将のすぐ隣にしゃがみ込み、固唾をのんで次の言葉を待っている。
ついに、ついにだ。
琴子の素性が分かるときが来たのだ。
そして、大女将は頭を振り、衝撃的な事実を告げた。
「三十年くらい前の大雨で山崩れが起きてね、お屋敷に直撃したんだ」
「それじゃ……」
「誠史さんも奥様も使用人も、あのときお屋敷にいた人たちは、みんな助からなかったよ……」
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