6-3

 軽トラの運転席に依里さんが座り、私は助手席。琴子には仕方ないので荷台に乗って貰う。出会ったときの依里さんの運転がかなりアグレッシブだったので心配したけれど、私という客を乗せているからか今回はおとなしくて、琴子が置いて行かれることはなかった。

 来た道を逆に辿って、エンストした交差点で折れる。そこから十分ほど行った川の畔に、はなや旅館はあった。依里さんの言葉通りにめちゃくちゃ古くてこぢんまりとした宿だった。

 依里さんの先導で玄関から入ると、

「あ、お帰りなさい女将」

 とフロントっぽいカウンターにいた仲居さんが言った。

「女将!?」

 私は思わず驚きの声を上げてしまった。

「見えないでしょ? でもそうなの」クスッと笑い、

「いらっしゃいませ。はなや旅館にようこそおいでくださいました」

 接客用の口調に改まった依里さんは私に深々とお辞儀をした。

 これは後で聞いた話だけど、依里さんの両親は四年ほど前に雪の事故で亡くなって、それで依里さんが予定よりもずっと早く旅館を継ぐことになったらしい。

「一名様ご案内お願いします」

 と依里さんが指示を出すと、仲居さんは困惑した。

「それが……さきほどご予約のない団体のお客様がいらして……今空いているのは柳の間だけなんです」

 依里さんは眉間に皺を寄せた。

「柳の間か……」

「何か問題があるんですか?」

「柳の間は家族連れ向けの二間続きのお部屋なんですけど……」

「広くてお高いお部屋ってことですよね」

 それは確かに困るなあ、と思っていると、

「料金については約束通り割引します。六畳と同じ、いえもっとお下げしても構わないんですが……」

「何か問題が?」

 依里さんは私に顔を寄せ、辺りをはばかるようにこう言った。

「……柳の間はいわゆる『訳あり部屋』でして……『でる』らしいんですよ……以前にお泊めしたお客様からもクレームがありまして……」

 私は琴子と顔を見合わせた。

 依里さんからすれば、私が恐ろしい話を聞きたくなくて顔を背けたように見えただろう。でも違う。私は笑いそうになっていたのだ。そして琴子に至っては相手に聞こえないのをいいことに大笑いしていた。

「私、そういうの全然平気ですよ」

 何しろこの二週間、幽霊と同居していたのだ。今さら何が怖いというのか。

「本当に、いいんですか? 責任取りませんよ?」

「ええもう全然平気です。その代わり料金についてはどーんと」

「もちろんです」

 というわけで話はまとまり、私たちは柳の間へと通された。

「それではごゆっくり」

 案内してくれた仲居さんは挨拶もそこそこに逃げるように去って行った。

 ふたりだけになると、私たちは笑いを爆発させた。

「幽霊がでるからやめた方がいいって、幽霊を連れた相手に!」

「幽霊ならずーっと一緒にいたのにねえ!」

「ご先泊の幽霊様、いらっしゃるならでてきてくださいまし! さあさ、恥ずかしがらずにどうぞ」

 囃し立てる琴子。けれどそれっぽい気配は何もない。

 私は調子に乗って客室中の襖を開けて回る。はなや旅館の柳の間は、普通のホテルならスイートルームに相当するんだろう。それもかなり豪華な。居間は十二畳もあったし寝室も八畳、さらにはその奥に内湯まで備えていた。お風呂を含めた客室のどの部屋からでも、裏の渓谷を眺めることができるようになっている。もちろん幽霊はどこにもいなかった。

「素敵ですわねこのお風呂。小さいけれども風情があって。ねえ緋瑪、あとでいっしょ……何かしら?」

 琴子が私を見て首を傾げた。私が異様ににこにこしていたからだろう。

「琴子の機嫌が直ってよかったなあって」

「わたくしがヘソを曲げていたと?」

「うん」

「そんなことありませんわ。わたくしはいつも通りですわ」

 と琴子はムッとした顔で答えた。

「そんなことはあったよ。間違いなく。修理工場で……いや、その少し前からかな?」

 あの辺で琴子は明らかに機嫌が悪くなった。故障を琴子のせいにしたから? いや、そうじゃない。あのとき私がパニック状態だったことは琴子は分かっていた。そういうことでは琴子は怒らない。冷静に言い返して終わりだ。

 それ以外で何かあったはず……と私が原因を考えていると、

「失礼します」

 と声がかけられ、部屋に依里さんが入ってきた。落ち着いた柄の着物に着替えた依里さんは、日に焼けすぎてることを除けばまさしく「女将」って感じだった。

「うわあ、綺麗な着物! 依里さん、あ、女将って呼んだ方がいいですか?」

「どうでもお好きなようにお呼びください。お部屋の方は不都合ございませんか?」

「あ、はい。とっても素敵なお部屋で。ありがとうございます」

「それはよろしゅうございました」

 そう言って依里さんは微笑む。

 と、琴子がすーっと離れていった。

(琴子?)

 私は訝しみ、

「…………ああっ!」

 気付いた瞬間大声を上げていた。

 依里さんがびくっと後退る。

「な、何かございましたか? まさか……」

 依里さんは幽霊が出たと勘違いしたんだろう。視線が忙しなく動き回る。

 まさかも何もまさに幽霊がいますよ、私が連れてきた……言えないけど。

「何でもないです。ちょっと忘れていた用事を思い出しただけで」

 と私はごまかした。

「そうですか。それでは……」

 依里さんは客室内の設備の説明と食事の時間の確認を済ませると下がっていった。

 再び二人だけになると、私は素知らぬふりで天井付近を漂っていた琴子を見上げて呼びかける。

「こーとこっ」

「何です? ……あなた、気持ち悪い顔してますわよ」

 そう言われてもニヤニヤしてしまうのを止められない。

 琴子が不機嫌だった理由……それはずばり「嫉妬」だ。

 私が依里さんと親しげに話していたのが、琴子には面白くなかったのだ。

 そして琴子が嫉妬したことが、私はたまらなく嬉しかった。

「ごめんね。でも好きで琴子のこと無視してたわけじゃないから」

「分かってますわよそのくらい。人前でわたくしとお話ししてたら、緋瑪が頭のおかしい人だと思われてしまいますもの」

 そう、理屈の上では分かっているんだろう。でも感情は割り切れない。私もそこはちゃんと慮ってあげないとダメだった、と反省。琴子には、私以外に見てくれる人も声を聞いてくれる人もいないのだから。

 私は笑うのをやめ、真摯に琴子を見つめた。

「心配しないで。私はいつでも琴子のことを第一に考えてるから」

「……」

「この旅だって琴子の過去を取り戻すための旅だし」

「…………」

「あとで一緒にお風呂入ろうね」

「……あなたが入りたいというなら仕方ありませんわ。付き合って差し上げます」

 ようやく琴子は天井から降りて来てくれた。

 ふふっ。面倒くさいお嬢様だこと。


    †


 ただの観光旅行なら宿に着くなりひとっ風呂浴びるのも悪くない。むしろ義務でしょ真っ先に行かないでいつ行くの!? って感じだけど、私たちはこの光咲市に遊びに来たわけじゃない。

 琴子の過去を見つけに来たんだ。

 だから私たちは街へと探しに行こうとしたんだけど、ここで一つ問題が。

 車が故障してしまったので足がない。

 私は依里さんに頼んで、修理工場で代車を貸してくれないかと聞いてもらった。

「ごめんなさい。今は全部出払ってるみたいで」

「あちゃー」

「困りましたわね……」

 岩手の中でもさらに過疎っぽいこの街では、首都圏みたいに待たずに電車でどこにでも、というわけにはいかない。足は絶対に必要だ。

 どうしよう。タクシーか、レンタカーか。いずれにしても宿代をまけて貰った分なんて簡単に上回ってしまう。

「私の軽トラを貸せればよかったんですけど、仕事で使うので……」

「いいですよ、そこまでしてくれなくても」

 出費は痛いがレンタカーを借りよう。私がそう腹をくくると、

「あ、そうだ! ちょっと待ってて!」

 依里さんは裾をからげて宿の裏手に走って行く。客の前でそれはいいのか女将……。

 ほどなく依里さんは、レトロなスクーターを押して戻ってきた。

「これでよければ使って」

「スクーターですか」

「私が高校に通うのに使ってたやつで古いけど、整備は庄ちゃんがちゃんとやってるから大丈夫」

「庄ちゃん?」

「ほらさっき会った。植田自動車の」

「ああ……」

 思い出す。人間よりも機械が好きそうなお兄さんだ。

「ずいぶん親しげに呼びますのね」と琴子。

 私も気になったので訊ねてみると、依里さんは照れながら、

「まあ、一応、婚約者だし?」

 なんてはにかむ。

「あー、そうだったんですか。ご結婚は?」

「冬には色々落ち着くからその頃に……って、困りますよお客様! お出かけですよね? 行ってらっしゃいませ! ヘルメットはシートの中です!」

 顔を赤くした依里さんに追い出されるようにして、私たちは街へと向かうのだった。




 光咲市は馬止村、八坂村、山端町の三つの町村が合併して生まれた市で、当初は「三咲」市という名前になる予定だったらしい。ところがそれでは新市の一体感が得られないとかなんとか物言いがついて、だからって今さら蒸し返すんじゃねえよという反論があって紆余曲折。最終的に読みはそのまま「光咲」という字が当てられることになったのだとか。

 私たちが入ってきたのは山端地区――光咲市の三地区で一番広く、市の面積の大半を占めるけれどもほとんどが田畑と山林で、人口は一番少ない。

 現在市の中心となっているのは市東北部に位置する八坂地区だ。市役所や市内唯一の公営病院があり、小売店なんかも大半が八坂に集中している、らしい。

 なのでとりあえずそっちに行ってみることにした。

 借りたスクーターに跨がると、琴子が私の後ろにちょこんと横座りをして、そんな必要もないのに腰に腕を回してきた。見えないけれども私の背中に頭を預けているんだろう。感触はないのになぜか確信して、私はくすぐったく思った。

「何か気になったら教えてね。すぐ止まるから」

「さて、参りましょうか」

 依里さんが持ってきたときには正直微妙に思えたスクーターだけど、こうして実際に走らせてみると、ベストな選択だったと思い直した。車に比べると全然遅いけど、おかげで琴子を置き去りにしてしまう心配がない。風の音が少々うるさいといえばうるさいけれど、琴子の声は私の脳内に直接届くので大きなデメリットにはならなかった。それに何より、広々とした田舎道を風を受けて走るのはめちゃくちゃ気持ちがよかった。いいなあ二輪。帰ったら車やめてスクーターに買い換えようかな。

 しばし私は目的も忘れ、景色と夏の風を堪能した。

 はなや旅館から二十分ほど走ると、光咲市の中心――八坂の市街に到着した。

「琴子、どう?」

「うーん……どうでしょう……」

 街並みを見て何か思い出すものはないかと訊ねてみたけれど、琴子の反応はよろしくない。

 行く手に市役所。通りに面した花壇に『光咲市ランタンフェスティバル 8/13開催!』という幟が何本も並んでいた。幟の下の方には、夜空に舞い上がる無数の灯火の写真が使われている。

 長崎や沖縄に同じ名前のイベントがあって、そちらは無数のランタンを柱や天井から吊すものだけど、ここ光咲市のランタンフェスは紙製のランタンを空に打ち上げる、いわゆるスカイランタンをやるみたいだ。

 ああ、こういうの琴子は好きそうだなと思ったら、

「まあ」

 予想通りに歓声が上がった。

「ね、緋瑪、緋瑪」

「あーうん分かってるみなまで言うな」

 と私はおかしな口調で答えた。十三日だとどうだろう。今日が十日だから三日後。車が直るのが先かお祭りが先か。まあ急いで帰る理由はないのだけれど、お財布がけっこう心細いという事情もある。宿代は負けて貰ったけど修理代で結局飛んでいくしね……。

「余裕があったら見て行ってもいいけど……」

「けど? 何ですの?」

「ん。何でもない」

 と私はごまかした。

 そのまましばらく街中を回る。ガソリンが足りなかったので給油。お腹がぐぅと鳴った。そういえば車の故障でバタバタしたせいでお昼を食べ損ねていた。私も給油が必要だ。

 せっかくなので本場のひっつみを食べたかったけれど、時間が半端なのでマックで軽く済ませる。さらに街中をぐーるぐる。大通りだけではなく、地元の人しか使わなそうな生活道路とか堤防沿いとか入ってみたけれど、琴子の反応はやっぱり微妙。

「琴子が住んでたのはこの辺じゃなかったのかな」

「ごめんなさい。何も思い出せなくて……」

「いや責めてるわけじゃないし。最悪空振りでも構わないつもりで来たし、あ、いや、どうせ見つからないとか思ってたわけじゃなくて」

「……存じてますわ。こんなことで怒ったり緋瑪を責めたりしません」

「うん」

 さらにしばらく走り回ってみたけれど、琴子の記憶を刺激するようなものにも場所にも、出会うことはできなかった。

 日が傾き、交通量が増えてきたのを機に、私たちは宿へと引き上げることにした。

 はなや旅館の方へとスクーターを走らせながら、私は考える。

 さっきの琴子の、ランタンフェスティバルへの反応はおかしい。

 地元のこんな派手なお祭りを思い出せないってある? 神社からの眺めは思い出せたのに……。まあ、琴子がお祭りに縁のない生活をしていたという可能性もあるわけで……。判断材料が足りない。けれど気に留めておいた方がよさそう。



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