4-2
猛暑日の連続記録が絶賛更新中のその日、琴子はソファに横座りしてテレビを観ていた。ここ何日か、午後はずっと読書三昧だったせいで、最初に通販した本は全て読破してしまい、今は次の本の配送待ちなのである。
そんな琴子の斜向かいに座って、私もテレビをぼんやり眺めている。
テーブルにはよく冷えたレモンティーとバタークッキー。私の好みでは全然ないんだけど、お嬢様のご所望なのである。
琴子がチラ、とクッキーを見る。食べられない琴子の代わりに、私が一つつまんで口に放り込む。うん。やっぱりくどいな。
私たちは一部の感覚を共有している――ただし感じ方はまったく同じというわけではないらしく、同じものを食べても感想は違う。けれどこのときは意見が一致したみたいだった。
「出来合いのものではどうしてもこう、思い通りにはいきませんね」
「作れとか言わないでよ」
普通の料理だけでも悪戦苦闘なのだ。さらに難しいお菓子なんて手に余る。
「目にも鮮やかなフルーツタルトはどうかしら? きっと幸せな午後が過ごせますわ」
(人の話聞いてる?)
ほんと自分勝手なお嬢様だ。生前も使用人を人とも思わずこき使ってたんだろうな。
「何かおっしゃいまして?」
「今日もクソいい天気でございますねって」
私はそう言ってごまかす。
テレビは昔のドラマの再放送だ。暑苦しいおじさんたちが「悔しくないのか!?」とか「倍返しだ!」とか叫んでいる。
「……面白い?」
「途中からみてもさっぱりですわ」
「そりゃそうだ」
さて、と私は琴子の様子をうかがった。
テレビに夢中になってはいない。退屈そう。機嫌が悪くはなさそう。
(これならいけるか?)
除霊計画を発動するか否か――迷っていると琴子が先に口を開いた。
「何かお話でもございまして?」
「えっ!? ななんでそう思ったの?」
私は狼狽を隠しきれずにそう聞き返すので精一杯だった。
「どうにもそわそわしていらっしゃるので」
攻めるつもりが先手を取られた。これはまずいか。いや、逆に考えれば向こうから水を向けてくれたのだ。ここはチャンスと思って流れに乗ろう。
「ちょっと相談というかなんというか」
「わたくしに?」
「あ、相談っていうより提案かな。うん」
ごくりとツバを飲む。
「……ずっとうちにいると、飽きてこない?」
と訊ねると、琴子はぱあっと表情を綻ばせた。
「お出かけのお誘いね! もちろん行きます! 緋瑪の方から誘ってくださるなんて嬉しい!」
私は慌てて手を横に振った。
「あ、じゃなくて。なんて言うんだろう。琴子がうちに来てから、ずっと一緒にいるじゃない? 私たち。朝から晩まで」
「ですわね。最初はひどい環境だと思いましたけれど、わたくしの適切な指示とあなたの努力の甲斐あって、なかなか住みよいお部屋に生まれ変わったと存じます。わたくしたちもだいぶ親しくなれましたわね」
「ああ、うん。そうだね。そうだけどそうじゃなくて」
言い返したいことは山のようにあったけど(特に「親しくなれた」について)今ここでケンカをするのは得策ではない。ここは忍んで計画を進行しなくては。
「……いくら仲のいい友達でも、四六時中一緒とかそうそうないと思うわけで。たまには一人の時間が欲しくなったりはしないのかなーって」
「それならもう、うんざりするほど味わいましたわ」
「あ……」
そうなのだ。琴子はこれまで何年も――本人にも分からないくらいの時間を、一人で過ごしてきている。
今さら一人になりたいなんて、思うはずがない。
(しまったな、この作戦は失敗か……)
私は言葉をなくしてうつむいてしまう。
どうしよう。計画のためには一人の時間が絶対に必要なのに。
考え込む私。
それを見た琴子が、
「ああ、そうでございましたの。これはわたくしとしたことが」
「……?」
「一人の時間が欲しいのは、緋瑪、あなたの方なのでしょう?」
そう言ってきたものだから私は驚いた。
計画がばれた? いや、違う。琴子が私の気持ちをおもんぱかったのだ! 信じられないことに!
「あ、うん。ああ、でもこれは琴子といたくないとかそういうことじゃなくて。親しき仲にも礼儀ありじゃなくて、ええっと」
「謝ったりしなくてもいいのよ。ええ、あなたの言うとおりですわ。どんな親友でも、毎日二十四時間ずっと一緒というのは息がつまることもありますわね。わたくし、呼吸が不要だからすっかり忘れていましたわ」
今のは笑うところだろうか。小粋な幽霊ジョーク?
「それで、一人でお出かけなさりたいと?」
「その逆」
と私は答え、琴子もすぐにうなずく。
朝のジョギングですらビクビクする対人恐怖症が、息抜きにお出かけなんて考えるはずがない。
「わたくしがお出かけして、緋瑪はゆっくり羽を伸ばす。どのくらいの期間にいたしましょう」
「ん。丸一日あればいいかなって」
「承知しました。いつにいたしましょう」
「うーん、特にいつってことはないんだけど……」
「ではこれからお出かけいたしますわ」
「今から? もう夕方近いよ?」
「生きている方の活動時間に合わせる必要もございませんし。明日の今頃戻ってくるということでよろしくて?」
私は急いで考えた。自分から振っておいてなんだけど話が急すぎる。いや、ここで引き延ばすことに何の意味が? あとから「わたくし、気が変わりましたわ」なんて言われるよりは今行くべきだ。善は急げ。鉄は熱いうちに打て。
「あ、じゃあそれで」
私がそう答えると、琴子はソファから立ち上がり、玄関へと流れていった。
「ではまた明日。ごきげんよう」
ドアを開けてやると、琴子は優雅に一礼して外に出た。
「ごゆっくり、くつろいでくださいまし」
琴子はそう言い残すと、風に乗って飛んでいった。
その裏表ない言葉と微笑みに、少し心が痛んだ。
けれどここでほだされてはいけないのだ。
そもそもの話、私の平穏をぶち壊したのはあの幽霊なのだから。
賽は投げられた。ここからは迅速な手配が必要だ。
私は部屋にとって返すと勢いよく椅子に座り、パソコンを立ち上げる。
私には除霊は分からない。
けれど現代人の強い味方、インターネットがある。
†
翌日、同時刻――
「緋瑪? いるかしら?」
脳内にキィンと響く琴子の声に、私の心臓は跳ね上がった。
来た。帰ってきた。
やっぱり止めようかと思ったがすでに用意は万端、というか今さら片付けられない後には引けない行くしかない。
「……よし」
何がよしだかわからないけど、私は覚悟を決めて立ち上がった。
声の方向から琴子の居場所を探る――ことはできないので、当てずっぽうで玄関に向かう。ガチャリとドアを開け、
「ごきげんよ――」
「食らえっ!」
私は琴子の眼前に北極紫微大帝のお札を突きつけた。
北極紫微大帝はまたの名を北斗真君。北極星の化身であるかの神の護符は悪霊払いに絶大な効果を発揮するという触れ込みだった。
世の中にはお札やお守りがあふれている。これまで私は、その手のアイテムはただの気休めであり何も実行はないアクセサリーだと見なしていた。お守りが身を守ってくることなんてない、というかそもそも降りかかる「厄」なんてものが存在しないのだと。
けれども幽霊は実在した。
ならばこうしたアイテムに効果があっても不思議ではない。いや、あるはずだ。
そんなわけで私は、昨日、琴子が外出した直後に通販を使ってこれらの除霊グッズを注文しまくった。
私自身は除霊が分からなくても、これらのありがたいアイテムを使えばいい。
これこそ我が秘策、他力本願!
だけど……
「なんですの?」
琴子は不思議そうに首を傾げるだけで逃げも恐れもしなかった。
大枚八千八百八十八円もはたいて購入したありがたい(はずの)お札は、エアコンの風に吹かれて頼りなぁく揺れている。くっ……。もしかしてこれ、偽物……?
けれどこの程度は織り込み済みだ。除霊グッズはまだまだある。
「ならばこれでどうだっ!」
続いて突きつけたのは角大師のお守りである。こちらはお値段七千円。
やはり日本人には日本の神様の方が効く――なんてことはなく琴子はけろっとしていた。
「あ、あれ……?」
戸惑う私を尻目に、琴子は白けた顔で私の脇をすり抜けてアパートに上がり込んだ。台所の床にはシーサー(二体セットで三千九百八十円)が鎮座していたけど、あっさりスルーされた。
三連続で不発となるとさすがに自信も揺らいでくる……いや、強がるのはよそう。私の自信はもう木っ端微塵に砕け散っていた。部屋の段ボール箱の中には魔除けのタリスマンとか聖水とか入っているんだけど、とてもじゃないけど出す気にはなれなかった。
その段ボール箱はソファの手前の床に置いていたのだけれど、琴子はあろうことか段ボール箱を足乗せにするみたいな格好でソファに座ってしまった。うっそお。
「……ぜ、全然何ともないの?」
聞くまでもないことだった。
「いいえ、さすがに堪えましたわ。帰ってくるなり除霊されそうになるなんて。わたくしを外出させたのはこの用意をするためだったのね」
琴子はため息をつき、うつむいた。
「……仲良くやっていけていると、思っていましたのに……。緋瑪はわたくしのことが迷惑なだけだったのですね……。部屋から追い出そうと、いえ、この世から抹消しようと考えるほどに……」
胸が潰れるような思いがした。
魔除けのお札はまったく効果がなかった。
けれども私の行いは――追い出そうとしたことは、琴子の心を深く傷つけてしまったのだ。
幽霊の涙は膝まで落ちず、虚空に光となって散った。
「あ……」
突然に、私は琴子のことを一つ、理解した。
(この子、ずっとずっと寂しかったんだ……)
幽霊になって以来誰の目にも触れず、話しかけても返事をもらえず。
確かにそこにいるのに、この子は無視され続けてきた。
一体どれほどの時間を孤独に過ごしてきたのか。
牢獄のような孤独に囚われていた琴子。
私には琴子の姿が見えるし声も聞こえると分かったとき、どんな気持ちだったのか。
そして、琴子はまだ子供だ。本人は私よりも人生経験豊富みたいなつもりでいるけど、亡くなったのは外見からして十三、四歳頃だろうし、その後は誰とも会話すらできずにいたんだから、下手をしたら今時の十四歳よりずっと子供だ。
そんな琴子が、まともな人付き合いの方法を知っているわけがない。
傲慢で強引な振る舞いは、人生経験の乏しい彼女なりにがんばった結果だったのだ。私と仲良くなろうと。
こんなこと、普通はすぐに分かるなずなのだ。
なのに私は今日まで分からなかった。考えようともしなかった。
自分勝手なのはどっちだ。
「そんな風に思われていたなんてまったく考えもせずに……。ごめんなさい。わたくし、ここを出て行った方がよさそうですわね……」
今にも吹き消されそうな声だった。
「あ、あのさ」
私はとっさに声をかけた。
けれど何て言ったらいいのか分からない。何を言っても言い訳になりそう。
どうしようもない罪悪感に支配されて私は立ちつくす。
深くうつむいた琴子の、白いうなじが見えている。震えているのは嗚咽をこらえているからだろうか。
と、
「……なーんて言うとでも思いまして!?」
琴子は突然顔を上げると、大きな声でそう言った。笑っていた。
「う、うそなき!?」
「ええ嘘泣きですけれどそれが何か?」
開き直ってふんぞり返り、
「ハッ。あまりわたくしを舐めないでいただきたいものですわ。あなたがわたくしを歓迎していないことなんて百も承知。最初から分かった上で押しかけて来たに決まっているでしょう? 長い長い放浪の果てにようやく巡り会えた都合のいい寄生……運命のお相手を、だれが諦めるものですか」
琴子は普段のおっとり口調とはうって変わった早口でまくし立てる。
信じられないこの子……。私はもう唖然として口をパクパクさせるしかない。
完全に主導権を握った琴子は、ダメ押しとばかりに宙に浮き上がって私を見下ろし、こう言い放った。
「このわたくしから逃れようなんて許しませんことよ。……あなたがお亡くなりになるまで取り憑いて差し上げますからね、おひめひめ」
それは、これまでで一番気品に満ちた笑みであった。
己の敗北を思い知らされた私は、その場にずるずると崩れ落ちるのだった。
同情して損した。
「この…………悪霊!」
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