ゴーストフレンド・ファンタスマゴリア

上野遊

第一話 ガール・ミーツ・ゴーストレディ

1-1

 彼女に出会った七月の二十六日は私の二十四歳の誕生日で、

 冗談にしか聞こえないけれど――

 

 ――〝幽霊の日〟だった。


    †


 日付が変わる少し前、私は自分のアパートでパソコンに向かっていた。

 画面の中では剣や銃を持ったキャラクターが忙しなく動き回り、巨大な竜のようなモンスターと戦っている。ここ数週間ずっとプレイしているゲームの、一つの山場となるボスとの戦いだ。ド派手な必殺技と気合いの入ったセリフが飛び交い、いかにもクライマックスといった熱い展開が続く。

 けれども私の心は平坦だった。淡々と機械的にマウスを動かし、キーを叩き続けている。操作しているキャラクターの攻撃がヒットし、モンスターの体力が減っていく。

 そろそろ勝ちが見えそうだなと思ったそのときだった。

 バン! と外で大きな音がした。

 驚いた拍子に操作が乱れ、主人公キャラに敵の攻撃が直撃、即死してしまった。画面が真っ赤に染まってピンチを知らせる。まだ残りのメンバーは健在だったけれど、私はマウスを放り出した。一番強い主人公が倒されてしまっては、もう立て直すのは不可能だと、何度もプレイしているので知っている。

 耳を澄ますまでもなく、鉄製の外階段を上るガツーンガツーンという足音が聞こえてくる。同じアパートにやたらと大きな音を立てる住人がいて、さっきの大きな音はその住人が車のドアを叩き付けるように閉めた音に違いない。

「……ったく」

 舌打ちをして、目線を画面に戻す。操作を放棄されて棒立ちになっていた残りのキャラクターはとっくに全滅していた。画面にでかでかと表示された「クエスト失敗」のメッセージ。

 ちら、と時計を見る。

 十二時を数分回っていた。まだ眠くはない。このところ完全な夜型生活になってしまっているので、十二時なんて宵の口もいいところだ。

 とりあえずもう一度挑戦してみようと思い、私は失敗したクエストを終了させて、ゲームをメイン画面に戻した。と、新着メッセージありの表示が点滅していた。

「こんな時間に更新?」

 首を傾げつつ、とりあえずクリックするとファンファーレが鳴り響いた。

『お誕生日おめでとうございます!』

 このゲームはプレイヤーの誕生日を設定しておくと、プレゼントとしてゲーム内で使用するアイテムがもらえたり、登場キャラクターのお祝いメッセージが聞けるようになっているのだ。ゲーム開始時に設定したっきりすっかり忘れていたけれど。

 カレンダーを見上げる。七月の二十六日。確かに誕生日だ。

 それから自分のスマートフォンを見た。着信なし。

 現実では誰も祝ってくれない自分の誕生日を、ゲームだけが盛大に祝ってくれる。

「……ハ」

 乾いた笑い声が出た。

 机の下まで手を伸ばすのも億劫で、私は足の親指でパソコン本体の電源ボタンを押した。パソコンの作動音が止むと、部屋はぞっとするほど静かになった。

 半分開けた窓から夜気が流れ込んでくるけれど、夕方からフル稼働していたパソコンの廃熱はそれくらいでは吹き払われず、部屋はじっとりと暑い。

 どうにも鬱々しい。

 アイスでも食べようと思った。気分が沈んだときには甘いものに限る。

 立ち上がってキッチンに向かい、冷凍庫を開けた。けれど買い置きのアイスはなくなっていた。

「誰だ食べた奴」

 私に決まっている。一人暮らしなんだから。夕方に起きて、朝食代わりというか夕食代わりというか、とにかく起き抜けに二つ続けて食べて、それが最後のアイスであり、最後の食料だった。買い物にいかなきゃとは思ったのだけど、「起きたらとりあえずゲーム」で、そのまま今に至る。

 さすがに空腹も限界だったし、面倒くさいけれど買い物に行くしかなさそうだ。

「はあ」

 私は財布とアパートの鍵を持ち、玄関のドアを開けた。まずは顔だけ出して左右を確認。誰もいない、よし。

 サンダルを突っかけて、こそこそと家を出る。

 私の部屋は一階だ。住み始めた頃は二階の方が良かったと思っていたけど、今となっては一階でよかった。階段の上り下りなんてかったるい。そもそも出歩くこともかったるいけれど。

 アパートの駐車場には数台の車が停めてある。一番端の赤いコンパクトカーは、大学卒業祝いに親に買ってもらった私の車だ。以前はあちこち出かけたものだけど、ここ何ヶ月かドアを開けてすらいない。

 丸いヘッドライトに責められているような気がして、私は目をそらして足早に駐車場を抜けた。

 どこからか笑い声が聞こえてきた。若い男が数人――大学生だろう、集まって騒いでいるらしい。幼稚な声に苛々が募る。

 アパートのすぐ側にコンビニがあって、夜勤の店員がレジでなにかの作業をしているのが見えた。その店員がふと顔を上げて道路――つまりこちらを見ようとする。

 私はコンビニ前を駆け抜けた。十分も歩けば二十四時間営業のスーパーがあるのだ。買い物するならそちらの方が安い……けれど、コンビニに入らなかった理由は値段ではなかった。

 コンビニでは店員と相対しないといけないけれど、セルフレジのあるスーパーならその必要がない。

 怖いのだ。他人が。他人の目が。

 視線を感じると足が竦んで喉が強ばる。動きがぎこちなくなり、声が出せなくなる。

 原因は、分かっている。

 四ヶ月前のあの日――

「ぐうっ」

 思い出しかけただけで胃痛がした。

 うつむき加減で、顔をしかめながら先を急ぐ。ただ歩いていると余計なことを考えてしまう。あの日のことをちょっと思い出しかけただけなのに、気分はこれ以下はないというほどに鬱々してきた。

(隕石でも落ちてきて世界が滅びないかな)

 半分以上本気で、そんなことを思う。

 早く買い物を済ませて帰ろう、と思った。そしてゲームを再開するのだ。ゲームはいい。それも難しければ難しいほどいい。強敵に立ち向かうための作戦を立て、計画を練り、周到に用意して、実行する。そうして没頭している間は余計なことを考えずに済む。

 道路脇に広々とした駐車場、その奥に煌々と輝く平屋の店舗が現れる。お目当てのスーパーの、駐車場に車はまばらだ。

 うん。これなら大丈夫。他の客を避けて買い物ができる。

 駐車場を斜めに横断する途中で、私は目を眇めた。

 妙なものがいる。

 妙なもの……というかそれは人間だったんだけど。

 十代半ばくらいの少女だ。それだけならば「妙な」とまでは感じなかっただろう。未成年が出歩くような時間帯ではないけれど、どこにだってしつけや生活規範のなってないご家庭はある。そもそも自分だってこんな時間にうろついているのだから人のことは責められない。

 少女は白くてフリルたっぷりのサマードレスを着ていた。ほとんど金髪みたいな色素の薄い髪を頭の左右にくくってそれぞれで二つの束を作り――くるくると巻き毛にしている。ツインテールで縦ロールなのだ。しかも四連ロール。ゲームのキャラクターか、あるいは半世紀前の少女漫画か。

 ともかく現実にはまずお目にかかれないヘアスタイルと服装の、十代半ばの少女が、深夜のスーパーの駐車場にしゃがみ込んでいるのだ。「妙なもの」と言わざるを得ない。

 どこか近所でコスプレイベントでもあったのかな。でもコスプレしたまま帰宅するとかスーパーに寄るとか、普通はしないんじゃないか。

 少女の足元で白い猫がニャアニャア鳴いている。少女が手を伸ばすと、猫はその手につかまろうとして、失敗してひっくり返る。猫は不思議そうに少女を見上げた。

 と、スーパーの自動ドアが開いて、買い物を終えた客が出てきた。

「あ、猫」

 と買い物客が言った。そのまま少女の隣にしゃがみ込み、よーしよしよし、なんて文字通りの猫なで声で猫をいじろうとする。猫はぱっと起き上がって逃げていく。買い物客は「あー」と残念そうな声を出して立ち上がり、自分の車に向かう。少女は買い物客の後ろ姿を、少しの間目で追っていた。

 その光景に違和感を覚えた。

 猫はカワイイ。構いたくなるのは分かる。けれど今、買い物客が来る前に少女が猫をあやしていたのだ。そこに少女を無視して割り込むように手を伸ばして、猫に逃げられて、少女の方を一瞥もせずに立ち去るなんて、普通の人はするだろうか?「ごめん逃げちゃったね」とか。一言あって然るべきじゃないかな。

「ま、世の中変なやつはいくらでもいるか」

 気にはなったが自分には関わりのないことだ。

 私は違和感をぞんざいに、頭の中のゴミ箱に放り込んだ。

 逃げた猫が戻ってきた。少女がまた猫をあやし始める。

 幸いにして通行の邪魔になる位置ではない。それでも私は少女に気付かれないよう、距離を取ってスーパーの入り口に向かう。

 近付くと、少女は息を呑むほど可憐だった。

 お人形のような、という安っぽい形容が頭に浮かぶ。髪の色も薄いが、肌の色はそれ以上に薄い。私のような不健康で自堕落な生活によるものとは違う、透明感のある肌艶。どこかのお嬢様に違いない。

 こんな綺麗な子ならどこに行ってもちやほやされるんだろうな。

「……っ」

 少女と目があった。私は息を呑み、慌てて目をそらした。他人の視線を意識して、手足が急に強張り出す。

 私は目があったことに気付かなかった振りをして、逃げるように店内に入ろうとした。自動ドアが開くのを待つ。その背中に、

「恐れ入りますが」

 少女が声をかけてきた。

 アニメキャラみたいな声だと思った。ある意味見た目通り。

「わたくしの声が聞こえていまして?」

 妙な訊き方だ。

 すぐに返事をしなかったせいだろうか、少女は確かめるように言った。

 無視して逃げてしまおうと思った。けれど私はそうしなかった。どうしてなのかは自分でも分からない。ぎこちなく振り返り、「うん」と応えようとしたのだけど、長い引きこもり生活のせいで声の出し方を半分忘れていて、「あう」とか「えう」とか、そんな感じのうなり声みたいになってしまった。

「まあ!」と少女は手を合わせた「まあ! まあ! まあ! 奇跡ですわ! こんな嬉しいことがあるだなんて!」

 こいつおかしいな、と思った。いやまあ最初からおかしさ全開だったのだけれど、改めてそう思った。

「失礼。取り乱しました」

 少女は「んんっ」と咳払いをして、

「一つお願いをしてもよろしいかしら? あの子に……」と少女は猫に一度視線を向け、「……ご飯をあげたいのですけれど、あなた、わたくしの代わりに買ってきてくださる?」

 お願いとは言うけれどほとんど命令のような物言いである。

 なんで私が……と思ったのが顔に出たのだろう、少女は続けてこう言った。

「あいにくわたくし、お買い物ができませんの。お礼は後日必ずいたしますので」

 私は戸惑った。猫缶一つ奢るくらいはどうってことないのだけれど。

 この子は財布も持たずにこんな時間にうろうろしている? 親は? 親じゃなくても連れは? 疑問に思って振り返るも、広い駐車場にはお嬢様にふさわしい運転手付きの高級車など見当たらなかったし、老執事が控えていたりもしなかった。

 どう考えてもまともではないし、関わり合いになるべきではない。無視して店内に入ってしまうべきだった。けれど一度足を止めてしまってから振り切るのは難しい。今逃げても、買い物が終わったときにはまたここを通らなくてはならないのも気まずい。いや、それ以前に少女は断っても店内までつきまとってきそうな雰囲気さえあった。

「で、でも、ノラネコに餌をやるのは……よく……ない……」

 精一杯の勇気を振り絞り、そう言った。人と話すのが久々すぎて、声がめちゃくちゃ裏返っていた。

「そんな決まりが何ですの。人の都合で小さな命が生きることを邪魔する権利がありまして?」

「そ、そんなこと言われても……」

「お願いしますわ。あの子、もう何日も何も食べていないの。ご近所の方のご迷惑になるとおっしゃるのでしたら、食べさせたあと、余所に移るようにわたくしからお伝えしておきます」

 と、少女はまるで猫と話せるかのように言う。私には言葉の細かい意味など気にする余裕がなかった。立ち上がった少女が近付き、ぐぐっと顔を寄せていたから。

 視線恐怖症で身が竦む。一方で、少女の潤んだ瞳から目が離せないでもいた。

 少女はじりじり顔を寄せてくる。

 たじろぐ私の背後を、買い物を終えた客が、訝しそうな顔をして通り過ぎていく。見世物になっている。そう思って焦ってしまった。

「わ、分かった」

 私は少女の視線から逃れたい一心で、後先考えずにうなずいてしまった。

「買ってくださるの!?」

「買う! 買うから離れて! 顔近い!」

 ほとんど悲鳴のような声を上げて後退る。けれど感激した少女はその間合いをすぐに詰めてくる。私はさらに下がる。サンダルの踵が引っかかって転びそうになった。

「わあっ……っと」

 かろうじて転ばずに踏みとどまることができたが、少女はアクシデントに対応できずに突っ込んできていた。

 ぶつかる!

 衝撃に備えて踏ん張った私の胸元に少女が飛び込み――


「――えっ?」


 そのまま突き抜けた。

「えっ? えっ!?」

 少女の四本ドリルヘアーが目の前で揺れ、スカートがはためき、どちらも私のお腹を貫通して背後へと抜けていく。

 振り返った。

「失礼」

 少女はそこにいた。悪びれる様子もなく微笑んでいる。

「あ、あのさ」

 このとき、私は嫌なことに気付いてしまった。

 煌々と輝くスーパーを背景にした少女の白い頬は透けるよう――ではなくて、本当にうっすら透けていて、自動ドアに貼られた営業時間の表示が見えている。

「あんたさ、今、私のことすり抜けた……よね?」

 見下ろすとスカートの下の足は――ちゃんと二本あったけど――なんだか溶けたみたいに輪郭があやふやだ。

 これはもしかして、あれか。

「気のせいだったり見間違いだったりすると嬉しいんだけど……」

 一縷の望みをかけた問いは、もちろん裏切られた。

「見間違いでも気のせいでもございませんわ。わたくし、いわゆる幽霊ですの」

 少女はそれはそれは気品のある微笑を浮かべた。

「わたくしのことが見える人に出会ったのは、あなたが初めてですの。……あなたの方は? 以前にも他の幽霊に会ったことがありまして?」

 少女の熱っぽい問いを私は聞いてはいなかった。

「ひょ」

「ひょ?」

「ひょわあああああああああああああああああああああ!」

 私は絶叫の後、卒倒した。


 これが彼女との出会い。

 私、仲谷緋瑪の二十歳の誕生日にして幽霊の日が始まってすぐの頃――丑三つ時にはまだ早い時刻のことだった。

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