7-3

 私は自分の身の上話から始めた。

 演劇にのめり込んだこと。舞台女優になったこと。大きな役を貰った舞台でやらかして、視線恐怖症の引きこもりになったこと。

 そして琴子と遭遇したんだけど、そこから嘘を混ぜた。

「夢に出てきたんです。琴子さんが。大声で歌うんです。ノイローゼになりそうなくらい。いえ、最初はノイローゼだからそんな夢を見たんだと思ってたんですけど、だんだん変だなって思えてきて。夢なのに記憶がやたらと鮮明だし、私が知らない時代の歌とか、私が知らない食べ物とか出てくるんです」

 弓絵さんは――めっちゃ不審者を見る目つきだった。視線がちらちら横に飛んでいたのは、お店の電話で一一〇番通報しようか迷っていたんだろう。

 けれどそれも、私が琴子の具体的な行動を話すうちに減っていき、最後にはカウンターに身を乗り出して私の話に聞き入り、声を出して笑うこともあった。特に、プリンを落としたら琴子が泣いて怒ったエピソードは、私が琴子のモノマネを交えたこともあって大受けだった――琴子は「やめてくださいまし!」って叫んでたけど。

「そうそう、あの子食い意地張ってたわねえ。あの細い体のどこに入るのか」

 懐かしそうに笑い、弓絵さんは真面目な顔になった。

「嘘みたいな話だけど、信じないわけにはいかないみたいね」

 弓絵さんはちらりと店内の時計を見ると、立ち上がった。

「お時間あるかしら? 今の話、うちの人にもして欲しいの」

「は、はいっ」

 弓絵さんはお店のドアに閉店の看板を出し、シャッターも下ろしてしまった。それから私に「ついてきて」と言い、カウンターの後ろのドアから奥へ入った。バックヤード兼事務所のようだ。階段と、さらに奥に通じるドアがある。

「二階は音楽教室になっているの」

 弓絵さんは奥のドアを通り抜ける。その先は住居になっていた。

 居間に通され、冷たいお茶を出されて少し待つと、弓絵さんは彼女と同年代の、背の高い男性を連れて戻ってきた。

「三上、昌利さんですね」

 名乗られる前に訊ねると、琴子のお父さんは目を見開いた。

「本当に知っているんだ……」

 私は弓絵さんにした話を、昌利さんに繰り返した。昌利さんは弓絵さんより用心深くて、すぐには信じてくれず、細部についてあれこれと質問もしてきた。けれど私はそのどれにも的確に答えた――何しろ隣に琴子本人がいるのだ。答えられないことなんてないし、引っかけ問題に騙されることもない。

「私、琴子さんのおかげで外に出られるようになったんです。初めは近所だけ、それから図書館とか遠くに……。まあ、無理矢理出されたみたいなものですけど、感謝してます。だけど、突然、琴子は夢に出てこなくなったんです。そうしたらかえって気になってしまって。確かめてみようって思ったんです。これが私の妄想じゃなくて、本当にそんな子がいるのか」

「それでここまで来た、と」

「はい」

 昌利さんは腕を組んで「むふう」とうなった。

「なんかあれだね。テレビみたいだ。不思議体験なんとか」

「信じてくださいとは言えません。自分でも変な話だと思いますし」

「いや、信じるよ。あの子が死んだのは、君が生まれるよりも前だ。なのにそれだけ詳しく知っている。日常の癖まで。調べてわかることじゃない。何か、不思議な力が働いたんだと思う他ない。……ただ、君の話には一つだけ、琴子らしくないところがある」

「えっ?」

「あの子はね、歌は下手だったよ。ものすごく」

 私は思わず琴子の方を見てしまった。琴子は目をそらした。琴子? 琴子さん?

「ちょっと待ってなさい」

 昌利さんは一度居間を出て、一枚のDVDを手に戻ってきた。デッキにセットする。

「8ミリをデジタル化したものだから画質はよくないけど」

 テレビに映し出されたのは、公民館のステージと思しき場所。上の方に山端町カラオケ大会、という横断幕がかかっている。何人か早送りで飛ばすと、ステージの上手から、今よりも何歳か幼い琴子が現れた。格好は今とそんなに変わらない――夏の怪談に出てきそうな――お嬢様スタイルだ。ただし髪が短い。

「六番、三上琴子。『見上げてごらん夜の星を』」

 曲名を告げて歌い始める。

 マジで下手くそだった。筆舌に尽くしがたいほど。

「やめて! やめてくださいまし!」

 琴子が悲鳴を上げた。だよねー、こんなの恥ずかしくて死ぬよね。けれどその声は私の脳内に響くだけで、ご両親には伝わらない。当然再生も止まらない。

「これ、古い歌ですよね。このビデオが撮られた当時でも」

 名曲だけど、中学生の選曲にしては渋すぎる。

「それね、琴子のおばあちゃんが好きだったのよ」

「鈴子さん、ですよね」

「ええ。あの子、すごいおばあちゃん子で。おばあちゃんが歌手だったというのは聞いたかしら? 歌だけじゃなくて、映画にもちょっと出たの。それに琴子はあこがれてて、おばあちゃんみたいになればデビューできると思ったんでしょうね。若い頃のおばあちゃんみたいな格好をして、話し方も真似て。そうそう、オーディションの申込みなんかも送ってたのよ。全部落ちたけれど。まあこの歌じゃねえ」

「やめて……もうやめて、後生ですから……」

 琴子は頭を抱えて天井の隅に流れていく。。

 後生も何も、もう死んでるでしょあんた。

 とはいえさすがに気の毒になってくる。私だって演技が下手くそだった頃の動画見せられたら恥ずか死する――と思ったんだけど、

「そうそうアルバムもあるのよ」

「見たいです!」

 弓絵さんの言葉にマッハで反応してしまった。

「緋瑪、あなた、覚えてらっしゃいよ……」

 琴子が恨みがましく睨んでくるけど気にしないむしろ気持ちいい。

 弓絵さんはにっこり笑っていそいそとアルバムを取って来て、私の前に拡げた。

 生まれたばかりの琴子。おむつをしてよちよち歩きの琴子。動物園の虎の前で泣いている琴子。小学校の校門前でおすましする琴子。お屋敷の庭で水遊びをしているところや、ピアノを弾いているところもあった。

 強く印象に残ったのは、夏祭りの一枚だ。今とほとんど変わらない琴子が、神社の能舞台を見上げて、目を輝かせている。一緒に映っている老夫婦は琴子のおじいさんとおばあさんだろう。おばあちゃん子だったと言うとおり、べったりと抱きついている。

「お婆さま……」

 気付けば琴子も一緒になってアルバムを見入っている。

「この街では毎年夏に神社で神楽の奉納があって、大勢の人が見に来るのよ。この写真を撮った後、来年は自分が龍神様をやるって言い出して。猛練習を始めたんだけど……」

 叶うことはなかったのだろう。

 翌年の夏のページには、入院中の様子があった。髪が伸び、その代わりに元々細かった体がさらに薄くなっている。途中で病室の様子が変わる。地元の病院から、別の病院に――私の街にある病院に移ったのだ。

「転院してからはあっという間だった。今はいい薬があって、症状を抑えることができるらしいけど、あの頃はどうしようもない不治の病でねえ……」

 昌利さんがしんみりと言った。

「でも琴子は、どうして見ず知らずの君の夢に出たんだろう」

 何気ない呟きに、私は緊張を高める。裏を返せば、どうして実の親である自分たちのところに来てくれなかったのかと言っているのだ。

「私もそれがずっと引っかかっていました。でも、今の話を聞いて思ったんです。同じ夢を持っていたからかな、って」

「同じ、夢を……」

「歌手と女優という違いはありますけれど、どちらも大勢の前でステージに立つ仕事です。それを投げだそうとした私を叱咤するために、琴子はちょっとだけ天国から戻ってきたんじゃないかなって。本当のところは神様しかわかりませんけれど」

「そうね。神様のしたことじゃ、理屈や道理なんてわからないわよね。そもそもそんなもの、ないのかもしれない」弓絵さんはそう言い、「でも、あなたのその考え方、とても素敵よ」

 その言い方は琴子にとてもよく似ていた。



 昔話に花が咲く。

 琴子が生きていたのは私が生まれる前の時代なので、聞いてもよくわからないことも多かったけれど、両親が何か暴露するたびに身悶えする琴子の反応が面白すぎて全然飽きなかった。

「あらもうこんな時間」

 弓絵さんが時計を見上げて言った。それからポンと手を打って、

「せっかくだからご飯も食べていかない?」

 普通だったら遠慮するところだろう。長居しすぎてすみませんと。でも私はそうしなかった。この機会にどうしてもお願いしたいことがあった。

「それなら、図々しいですけどリクエストしてもいいですか?」

「何かしら?」

「ひっつみと小豆はっとうが食べたいです」

 旅館や街の飲食店では食べられない、「三上家の」味を琴子に味わわせてあげたかったのだ。

「あら、そんな簡単なものでいいの?」

「夢の中で琴子が食べたい食べたいって騒いでたんです」

 弓絵さんは笑ってうなずいた。



「すみません。突然押しかけた上にご飯までご馳走になって」

 玄関――楽器店ではなく住居側の――先で、私は深く頭を下げた。

「ご迷惑だったでしょう。その……辛いことを思い出させてしまって」

「いや、いいんだ。久しぶりにあの子の話ができて楽しかったよ」

 そう言ってもらえると気が楽になる。

 それにしても本当に長居をしてしまった。夏の長い陽もほとんど消えかけている。

 私はちらりと琴子を見る。

 もしも琴子が両親といたいと言ったら、何かしら理由をつけて留まれないか、作戦をひねり出すことも考えた。けれど琴子は静かに首を振った。

「それでは……」

「あの、仲谷さん」

 去ろうとした私を弓絵さんが呼び止める。

 振り返ると、弓絵さんは戸惑いながら、こう言ったのだった。

「今日は楽しかったわ。あなたと話していたらね、まるで、琴子と一緒にいるみたいに感じたの」

「っ!」

 琴子が息を呑み、

「……ママ」

 瞳からぽろぽろと大粒の涙を流す。

 私は琴子の手に自分の手を重ねた。

「……ええ、きっとそうですよ」

 琴子の里帰りは、こうして終わったのだった。

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