「おはよう、佐々木くん。一緒に宿題しない?」


 夏休みが始まってすぐの、ある朝。手伝いを終えて宿題をしようと思ったら、同級生の田崎ほのかが訪ねてきた。


「えっと、なんで僕?」


「佐々木くん、算数とか理科とか得意でしょ? わたし、理数科目苦手だから教えてほしくて」


 最初に思ったのは面倒くさい。今の僕はあまり機嫌が良くなかった。手伝いで皿を洗っても汚れや泡が残っていたり、洗濯物を干すのもしわくちゃになってしまって直されたり。

 だから他人の宿題なんて見る気分じゃない。田崎さんはニコニコとこちらを見上げている。


「あー……そう。じゃあ図書館行こうか」


「佐々木くんの家でいいよ?」


「やー、散らかってるから。準備するからちょっと待ってて」


 なんとか田崎さんを玄関から出してドアを閉めた。自分の部屋に戻って宿題のワークを鞄に突っ込む。ついでに課題図書借りてこよう。

 見回した自分の部屋は、もちろんちっとも散らかっていない。自分の部屋をきちんと片付けるのも、自由研究『自分のことは自分でやる』の一環だ。ここまできれいにするのも結構大変だった。


(なんとなく、入れたくないんだよな)


 なんでかなんて説明できないけど。親にだって入ってほしくない。美海と詩音以外は、僕の部屋には入れたくない。なんでその二人がいいのか、それもわからないんだけど。

 もし僕の部屋が本当に散らかっていたとして。そこに、美海と詩音が遊びにきたとして。きっと僕は


「散らかってるんだ。ちょっと片付けるの手伝ってよ」


 なんて言うだろう。あの二人は他の人と違うんだ。

 だから、美海と詩音の二人と同じ距離感で他の人に近づかれるのは、あんまり嬉しくない。正直苦手だ。

 けど田崎さんがまったくの他人かっていうと、そんなことはないはず。だって、それこそ美海と同じで幼稚園のころから小学校六年間まで、ずーっと同じクラスだ。各学年一クラスしかない田舎だから、同級生はだいたい全員そうなる。ニャンタカだってそう。

 なのに美海とそれ以外は違う。なんでだ。お隣だからかなあ。

 そんなことを考えながら玄関に向かう。


「おまたせ」


「ううん。行こう」


 田崎さんは笑顔でスカートをひるがえす。ふわりと揺れる裾が夏っぽい。美海が着てたらかわいいんだろうな。

 別に田崎さんが嫌いなわけではないはずなのに、なぜか僕はここにはいない美海のことばかり考えていた。




 図書館の自習室でワークを始める。ていうか田崎さんって算数苦手だっけ? 六年間も一緒に授業を受けていれば、なんとなく同級生内で誰がなにを苦手か得意かってわかってくる。田崎さんが算数を苦手にしているイメージはない。


「ねえ、ここのかけ算なんだけど」


「分数のかけ算は、上と下でそれぞれかけるんだよ」


「ここの面積なんだけど」


「円の面積の応用だね」


 聞かれたことに答えつつ自分のワークを進める。最初に決めたとおり一日のワークのページはそんなに多くない。多くないけどちゃんと毎日やれば終わる……はず。

 各教科のワークが終わったので、課題図書を探しに行くと田崎さんに伝えたら、ついてくると言う。


「今日の分のワーク、終わったの?」


「まだ、だけど」


「じゃあ、ちゃんとやらないと」


「佐々木くんは?」


「決めた分は終わったよ」


 そう言って立ち上がり課題図書の一覧を持って特集コーナーへ向かう。

 だいたい毎年、夏になると各学年ごとの課題図書を一カ所にまとめておいてくれるのだ。


「はあ……」


 なんで僕は詩音や美海じゃない子と宿題なんかしてるんだ? 僕はなんで二人のことばかり考えているんだ。

 課題図書はいつもどおり、平和学習とか、人権とか、環境問題とか、そういう本だ。何冊かのあらすじや、あとがきを読んで、二冊選んだ。両方読んで書けそうな方で書こう。


「佐々木くん、両方読むの? すごいね」


「うわっ」


 二冊を手に取って振り返ったら田崎さんがいた。めちゃくちゃびっくりした。


「あ、驚かせちゃった? ごめんね」


 田崎さんは、えへへとかわいらしく微笑む。なぜだか僕は


(たぶん、かわいらしく見えるんだろうな)


 なんて冷めた目で田崎さんを見ていた。


「じゃあ、借りてくるから」


 僕はそれだけ言って彼女の横を通り過ぎた。彼女の顔を見たくなかった。




 田崎さんの今日の分のワークが終えたというので図書館を出る。


「ねえ、佐々木くん。聞いてもいい?」


「なにを?」


 そっけないなって自分でも思う。でも他になにも言えなかった。


「美海ちゃんだったら、部屋に入れてた?」


「もちろん」


 そう答えるのは間違いだって、きっと誰もいい気分にならないだろうなってわかってたけど。けどそれ以外の答えは僕にはない。

 僕は自分で頑張って綺麗にした部屋を美海に(詩音にも)見せて頑張ったんだよって言いたい。


「なんで?」


「なんでだろう」


 そんなの知らない。知らないけど。僕にとって美海と田崎さんは違う。

 それをうまく言える気はしない。


「田崎さんにとって、僕とニャンタカは違うでしょ」


 それじゃあ。僕は家に向かって歩く。田崎さんは立ち尽くしている。

 僕はびっくりするくらい優しくない。あーあ。




 自分の家に向かって歩いていくと、その手前に美海の家がある。どうしようかな。ちょっと悩んでから美海の家のインターホンを押した。中から聞き慣れた声が聞こえる。名乗ると美海がニコニコしながら出てきた。


「夜、どしたの?」


「あのさ、一緒にいてもいい?」


「もちろん」


 美海は丸い目を三日月みたいに細くして、笑顔で家に上げてくれた。ものすごく安心できた。やっぱり美海は違う。

 美海の黒い髪が肩の辺りで揺れていて首は見えない。よく美海が着ている袖のないシャツと、幅が広い膝上のズボン。ほんといつもの美海の格好なんだけど、それがすごい似合ってて僕は好きだ。


 その後、別になにか特別なことをしたわけじゃない。縁側で並んで、二人で課題図書を読んだだけだ。


「あ、それ。私も読もうと思ってたんだ」


「そう? じゃあ先に読んでいいよ。僕はもう一冊を読んでるから」


「ありがと。スイカあるよ」


「読み終わったら食べる」


 そんな感じ。いつもどおり。それがありがたかった。


「そういえば」


 ふと思い出して美海を見る。


「うん?」


「美海って水色のスカートって持ってる? ひらひらした感じの」


「持ってない」


「そっか」


 美海は不思議そうな顔をしている。さっき田崎さんが着ていたような服を美海が着てたら似合うと思うんだけど。さすがにそれを言うのはあんまりな気がして、僕はなんでもないと首を振った。

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