団扇
「あー……言い過ぎたー……」
朝起きて、金魚に餌をやる。金魚はもりもり食べて、水槽の中を元気いっぱい泳ぎ回っている。金魚って、こんな競泳みたいな泳ぎ方の魚だったかなあ。もう少し優雅な動きの魚だと思ってたんだけど。
リビングに行くと、お父さんとお母さんが団扇でパタパタ扇ぎ合いつつテレビを見ている。朝のニュースでは熱中症に気をつけてとか、都会のごちゃごちゃしたプールやビアガーデンの様子を流していた。
「美海、朝飯食えよ」
「ありがと。お兄ちゃんが作ったんだ」
兄が差し出してきた大きなプレートには、やたらおしゃれなパンケーキとサラダが盛り付けられていた。
「すごいね。日に日にすごくなってく」
「おう。それが原因でフラれたんだけどな」
兄は遠い目になってしまった。お母さんから聞いた話だと、兄の家事能力の高さに彼女が引いてしまったということだ。かわいそ。
兄の家事能力は高校に入って中華屋でバイトを始めた途端にめちゃくちゃ上がった。これがうなぎ登り?って思うくらい、掃除も料理もいきなり上手になった。
その前から最低限のことは私も兄もできたのだ。お父さんとお母さんのそれぞれのおじいちゃんが、ほぼ同時に具合を悪くして、お父さんもお母さんも介護や手続きで走り回っていたことがあった。
その間、家のことをするのは私と兄しかいなかったから。
「
なんてお母さんは言っていたけれど、そんなことはないと私は思う。家事はできないよりできた方がいい。兄が最低限の料理ができたから、私はあのときを乗り越えることができたのだ。大げさではなく。
なーんにもできないくせに、偉そうにぶつくさ言っていた去年の夜を思い出す。あれはダメだ。
そのときにいろんな人から怒られたせいか、最近の夜は自分のことは自分でやっているらしい。
夜のお母さんが私のお母さんと
「美海ちゃんのおかげで夜がしっかりしてきて、本当に助かるわあ」
とか、そういう話をしていた。
私のおかげかは知らない。知らないけど、たしかに夜にそういうことを言ったことはある。夜は口ばっかりだとか、そういうことを。
(私は夜のなんなのよ)
私は夜に対して偉そうに怒ってばかりだ。
でもねー昨晩のは私悪くないよねー。どこからどう考えても押しつけて逃げた夜が悪いですねー。
それはそれ。切り替えて食卓につく。
目の前の大きなパンケーキにナイフを入れる。すごい、ふっかふかだ。こんな分厚いパンケーキ、テレビでしか見たことない。
「お兄ちゃん、すごいね。私にも作り方教えて」
「おうよ。午後からバイトだから、朝のうちにな」
「じゃあ急いで食べる。あ、サラダもおいしい!」
「それは店で教えてもらった特製ドレッシングだ。部外秘だから、作り方は教
えないけど残りを冷蔵庫に入れておいたから、好きな野菜にかけて食え」
「かっこいい……お兄ちゃんがかっこよすぎる」
兄ははいはいと聞き流して台所を片付けている。
「あ、父さんも母さんもそろそろ行くわ」
「はいよ。俺も昼前に出るから」
お父さんとお母さんは、今日はお見舞い。それぞれのおじいちゃんのところに午前と午後で行ってくるらしい。夜ごはんまでに帰るのかな? お兄ちゃんはバイトで夜は遅くなると。
「美海は留守番よろしく」
「はーい。あ、夜と詩音が遊びにくるって言ってた」
「遊びに行くなら戸締まりしてね」
それぞれ言いたいことだけ言って解散。お父さんお母さんは車で出ていった。私は片付けをして、兄にパンケーキを教わる。
おいしくできたら、夜と詩音に出そう。二人は喜んでくれるだろうか。
「うんうん、悪くないな。焼き加減は慣れだから、何度かやってみて自分でコツをつかめ。生地はまだある」
「ありがとう。焼けたのは食べちゃっていい?」
「いいよ。でも全部なくなったら連絡して。帰りに材料買ってくるから」
あいつらと食うんだろ? と兄は笑う。
「いいよなー……イケメンの幼なじみと夏だけ会える美少女。俺にもわけてくれ」
「イケメン幼なじみはお兄ちゃんにとっても幼なじみじゃない」
そう笑うと兄は渋い顔をでブツブツ言い出す。
「だってあいつ、お前にしか興味ないじゃん……なんだよ、かわいげのない。美海美海ってさあ。あんなにかわいがってやったのに」
「そうかなあ」
「そうだよ。ともかく、パンケーキは食っていい。いいけど、詩音ちゃんに兄のおかげだと特に伝えろ。それが条件だ」
「うん」
兄はエプロンを外して台所を出て行く。バイトばかりしている兄だけど高校生なので、それなりに宿題があるとのことだ。
私も宿題はあるけど、夜と詩音が帰った後にしよう。今はまず、残った生地を焼かなくては。
台所は暑い。テレビの前に置きっぱなしの団扇を拾って、ぱたぱた扇ぎながら焼けるのを待つ。
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