緑陰

「矢崎詩音……だっけ」


「……コンニチハ」


 夜の家の前で田崎ほのかとかち合ってしまった。言わなきゃ。謝らなきゃ。


「じゃあさようなら」


「え、ちょ」


 田崎ほのかは早口でまくし立てると夜の家のインターホンを押した。


「あら、ほのかちゃんと詩音ちゃん。ごめんなさいね。夜はさっきでかけたところなの」


 出てきた夜のお母さんはそう言って微笑む。その顔が夜にそっくりだ。

 夜は町外れのプラネタリウムに出かけていて、今日はいつ帰るかわからないらしい。詩音と田崎ほのかは夜の家の前で顔を見合わせた。


「算数と理科なら、しお……私、得意だから教えられるよ」


「いらない。別に苦手じゃないもの」


 田崎ほのかはそう言ってしお……私を睨んだ。でもなぜか、腹は立たなかった。


「そっか。そういうしたたかなの、嫌いじゃないよ」


 ちょっと強がり。でも半分くらいは本音。

 田崎ほのかはポカンとした顔で私を見ている。


「な、なにそれ」


「ねえ、一緒に公園行かない? あなたに謝らなきゃいけないんだ」


 そう言うと田崎ほのかはちょっと眉間にしわを寄せてから頷いた。私は笑って、近くの公園を目指した。




 夜の家と海岸の間にある公園にきた。潮の匂いの風が公園を囲む木を揺らしている。日陰のベンチに座ると思ったより涼しかった。


「こないだ、ごめんね。言い過ぎちゃった」


「いいよ。わたしもムキになってた」


 互いに目も合わせず、どっか遠くの方を見ながら話す。


「私さ、誰かを好きになったこととかないんだ。だからレンアイに熱中してるの見て意味わかんないってイラついちゃった。ごめん」


「ふうん。綺麗な顔してるのに」


 田崎ほのかはどうでもよさそうに言う。たぶん本当にどうでもいいんだろう。最初から、この子とはそれくらいの距離感で付き合いたかった。


「よく言われる。好きな人いないのかとか、誰をかっこいいと思うかとか。誰のことも、なんとも思わないのに」


 詩音の、私の話を田崎ほのかは黙って聞いてくれた。


「一回ね、言ったんだよ。よくわかんないし、興味ないよって。そしたらもったいないって怒られちゃった。そんで影で『すかしてる、かっこつけてる』って言われて」


 しかもそれを心配したふうに教えられた。いや、言わなくていいでしょ、それ。聞かされた詩音がどんな気持ちになるかも考えず、


『アナタノコトヲシンパイシテイルノ』


 そう言えば、なにしても許されると思って。


 そうだ、やっとわかった。私が田崎ほのかのイラついた理由。


「たぶん、自分に重ねちゃったんだ。興味ないって言ってるのに恋愛を押しつけられる詩音と、興味ないのに好意を押しつけられる夜と」


 ヒドイ言い方だろうか。田崎ほのかは特に怒る様子もなくこちらを見た。


「そう見えた?」


「うん」


「そっか。でもあたし、佐々木くんにフラれてない」


「好きって言ってないんでしょ?」


「うん」


 夜は自分から人に気持ちを伝えない。普通言わないか。あなたが好きです……は、ともかく、あなたが嫌いですとか。

 嫌いかどうかはともかく、なんにも言われていないのに、相手を否定してはいけない。そんなこと小学生にだってわかる。


「でも、そうだね」


 田崎ほのかはベンチから立ち上がった。そこで気づいた。田崎ほのかがはいているスカートが、ちょっと前に夜が美海に着てほしいって言っていたのと同じだ。


(最低だな夜は)


 田崎ほのかを見て、この服は美海に似合うとかそういうことを考えていたんだ。ヒドイヤツだ。でも夜はそういうヤツだ。だいたい美海以外の人の話なんか聞かないし、たまーに詩音の言うことも聞くけど、でもやっぱり美海以外の人に興味が無い。なんでああなっちゃったんだろう?


「夜のどこがいいの?」


 だってあいつ、美海以外に興味ないよ。


「顔」


「顔……」


 顔かあ。そだね。夜はかっこいいよね。顔はね。


「あと、美海ちゃんを見てるときの佐々木くんって、すっごい優しい顔してるでしょ。あたしもそんなふうに見てほしかったんだ」


 それは無理だ。夜があんな顔するのは美海にだけだ。でも、あなたにもいるじゃな

い。そういう顔であなたを見る人。


「……ニャンタカくんは?」


「は? たかとし?」


 けど田崎ほのかは、なんで今たかとしの話? と首をかしげる。わかってなかったのか。


「いやだって、ニャンタカくんも似たような優しい顔であなたのこと見てるでしょ」


「はあ?」


 田崎ほのかは変な声を出して黙り込んでしまった。

 今更だけど、ニャンタカくんの下の名前はタカトシくんなんだななんて思いながら黙って待つ。


「うーん、考えたこともなかった」


「かわいそ」


「そ、そうかなあ。……そう、か。そうかも」


 風が吹いて田崎ほのかのスカートが揺れた。同じように長い髪がばさばさ揺れて田崎ほのかがどんな顔をしているかわからない。


「まあいいや。暑いから帰る」


「うん。ばいばい」


 手を振ると田崎ほのかも


「はいはい。じゃあね」


 そう手を振って帰って行った。

 私も帰ろう。塾の宿題やんなきゃ。昨日よりいい気分でばあちゃんの家に向かった。

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