幽暗

 おじいちゃんのお見舞いに行った次の日。私はなんだか疲れちゃって縁側でだらだらしていた。


『美海は将来なにになりたいんだい』


 おじいちゃんに会うたびに聞かれる質問。私は毎回、答えられないでいる。おばあちゃんがいると


『美海はきっとかわいらしいお嫁さんになるわ』


 って必ず言われる。


「お嫁さんて。今時お嫁さんって」


 ため息が出る。お父さんお母さんは、


『年寄りだから、そういう価値観を変えられないんだ』


『こちらの不快感なんて伝わらないしね』


 と、諦めてしまっている。


 お兄ちゃんも同じ質問をされる。でもって


『いい会社に勤めてかわいい嫁さんもらって、ひ孫を見せてくれたら嬉しいねえ』


 なんてニコニコしながら言われている。お兄ちゃんは、


『はいはい、かわいい子がいるといいんだけどね』


 って適当に流している。オトナだ。少なくとも、言われるたびに考え込んじゃう私よりずっと。




 けど、将来かあ。明るい庭を眺める。誰かと結婚するかどうかは置いておいて、考えた方がいいのだろうか。


 夜は天文系の仕事をしたいと言っている。詩音はとにかく私立の寮のある中学校に行って早く独り立ちしたいのだと、ずっと勉強をしている。

 私にはなんにもない。趣味とか好きなこととか、やりたいこととか。二人の後を追うばかりで、偉そうにしている私には、なにも。


「美海ー」


 呼ばれて振り返ると、お兄ちゃんが大きなコップを持ってきた。ガラスのマグカップ……ジャー? で中身は……パフェ?


「またすごいの作ってる」


「これ、ジャーパフェって言うんだけどさあ、バイト先で映える? デザート考えようって話になって、教えてもらったんだよ」


 手渡されたジャーの上には缶詰の果物がたくさんとアイスクリームが乗っかっている。その下には生クリームとスポンジとまたフルーツとが層になっていて、一番下はグラノーラ?


「味見してくれ」


「ありがと。いただきます」


 渡されたレンゲをそっと桃の下に差し込む。甘い。冷たい。美味しい。


「おいしい」


「なー。うまくいってよかったわ」


「……お兄ちゃんはさ、将来の夢ってあるの」


「ねえよ」


 即答だった。ちょっとかぶってるくらい即答だった。お兄ちゃんは笑って、昨日言われたこと気にしてんのかって図星をついてくる。


「じいちゃんとばあちゃんのあのやりとりは昔っからだからな。年寄りからしたら、俺と美海はほんの小さいときのままなんだろうよ」


「大きくなったことに気づいてないの?」


 お兄ちゃんなんか去年より五センチ以上大きくなったのに?


「大きさの問題じゃないんだろ。じじばばからすれば、ずっと小さい孫なんだよ。だいたい将来の夢とかさ、高校生にもなると夢って距離じゃなくなるし」


 スポンジとクリームが山ほどレンゲに乗せられて、お兄ちゃんの口に吸い込まれる。


「だって再来年の今頃は俺、受験勉強してんのよ? つまり進路決めなきゃってことでさあ。だからもはや将来の夢なんてかわいらしいもんじゃなくて、成績とそこから選べる進路っていう、現実的な分岐点だな」


 あーやだやだ。そう言って今度はざくざくとグラノーラにクリームを混ぜ始めた。私はまだ真ん中らへんのスポンジをちまちま食べている。ジャーが結露でひたひたしてきた。


「お兄ちゃんは料理上手なんだから、そっち系いいと思う」


「そうだなあ。そういうのも考えてはいるんだけど。作り手じゃなくても栄養士とかあるし。学校や幼稚園の調理師も、あれって力仕事だから男でも行けそうだし」


「考えてるんだね」


「そらそうよ」


 やっぱりなにも考えてないの私だけじゃん。甘くておいしい気持ちが、またちょっと萎える。


「将来の夢って言うと大げさだけどさあ、好きな科目とか得意な教科とか、そういうのを伸ばしていくっていうのもアリだな。あと好きな本とかな」


「好きな本?」


 教科はわかるけど、本?


「同じクラスに不思議の国のアリスが好きな女子がいて、好き過ぎるから作者のルイスなんちゃら? の国の文学を専攻したいって言ってた」


「すごい」


「親からそんなん金にならねえって反対されたらしいんだけど、金がほしくて勉強するんじゃないんだよって大げんかしたって言ってて」


 ……ずいぶん詳しいね?


「それ元カノの話じゃ」


「うるせえ」


 お兄ちゃんはそっぽを向いてしまった。吹き出しそうになるのをなんとか堪える。


「おいしかった。ごちそうさまでした」


「おう。洗うのは任せた」


「はいはい」


 お兄ちゃんのジャーを受け取って台所に向かう。調理器具は置きっぱなしだけど、だいたい汚れは落とされているから食洗機にいれるだけでいい。




 明るい縁側から比べたら台所は暗闇だ。目が馴れなくてぜんぜん見えない。まだ縁側にいるお兄ちゃんの姿も逆光で影しか見えず。


 お腹いっぱいになったら、なんだか眠くなってきた。お父さんお母さんは今日は仕事でいないし、お兄ちゃんもたぶんこのあとバイトのはず。宿題はやってあるし、少し寝よう。


「疲れたから寝る」


「あいよ。俺は夕方前には家出るから、夕飯は適当にあるもので済ませとけよ」


「うん。お休み」


 手を振って自分の部屋に戻る。

 暗い家の中の、同じように暗い自分の部屋。だけどその暗さが安心できた。少なくとも、この家の中に私の将来を急かす人はいない。

 寝転がって目をつぶった途端に、穴に転がり落ちるみたいに眠りにおちた。

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