短夜
夜は短しって言うけど、本当に短い。僕は焦るような気持ちで天体望遠鏡を覗いている。
夏休みの自由研究として選んだ『自分のことは自分でやる』は、正直あんまり調子が良くない。夏も終わりなのに、なに言ってんだって感じなんだけど、全然思った通りに進まなかった。
家事なんて誰でもやってる、当たり前の事じゃんって思ってた。母さんの手際がいいのは馴れてるからだって。僕だって毎日やっていれば、それなりにイイ感じにできるようになると思ったんだ。
けど、現実はどうだ? 洗濯物はいまだに僕がたたんだ分はくちゃっとしている。僕が干した父さんのシャツはしわっしわで、母さんに洗い直された。
掃除が一番マシだろうか。でも掃除機のかけ残しや洗面所の拭き忘れをよく指摘される。今朝も言われた。
料理も壊滅的だった。一週間に一度料理をする。たったそれだけのことなのに! まず予算にあわせてメニューを決めるのが難しい。だって野菜の値段が毎日違う。夏のはじめと終わりで全然変わっちゃってて、どうしていいかわからない。
火加減もさっぱりだ。調味料の計測だってもたもたしてしまう。最初の頃、あんまりにもうまくできなくて、母さんが料理しているところを横で見ていた事もあった。
「……いま、なにが?」
「味噌を出汁に溶いて、フライパンを振って蓋をしてタイマーをセットして、ご飯が炊けたから軽くほぐして、それから次に使う調味料を混ぜたところ」
「なんて?」
呪文かなにか? 母さんの手元では何種類もの料理が平行して作られていた。そして父さんが帰ってくると同時に、すべてが食卓に並んでいく。
「母さん、魔法使いだった?」
こっそり父さんに聞いたら爆笑された。
「はー……どうしよー……」
「どうした」
「父さん!」
一人でため息を吐いていたら、後ろに父さんがいた。父さんはシャツにハーフパンツ。炭酸水と団扇を持って縁側に腰を下ろす。
「自由研究がうまくいってなくて」
「じゃあそれを書けばいい」
「かっこ悪いよ」
「宿題はかっこつける道具じゃないからなあ」
だいたい、と父さんは笑う。
「研究なんだろ? それなら狙ったとおりの結果が出なかった。なぜであるかを考えないといけない」
そう言って父さんは炭酸水を飲む。前にもらったけど苦くて飲めたもんじゃなかった。なにが美味しいんだか。
「そうだけど」
「夜はどうなると思ってたんだ」
「もうちょっと、すんなりできると思ってた。母さんは当たり前みたいにやってるし」
「歴が違う。そりゃあ繰り返していれば馴れてくる。けどそれは夏休みのひと月程度の話じゃない。母さん……朝香さんが家事を始めたのは、あの人が中学のときだから……三十年近く前だ。夜が家事をした時間の三百六十倍だな」
同じようにできるわけないだろ。そう言われたらぐうの音も出ない。
「……ちぇ。書き方、考え直すよ」
「そうしろそうしろ。生きいて、なんでもかんでも思い通りになるわけないんだから」
父さんに背を向けて望遠鏡を覗こうとしてやめた。聞きたい事があったんだ。
「父さんはなんで母さんと結婚したのさ」
「なんだ藪から棒に」
「気になって」
「どうだったかなあ」
ちょっと気恥ずかしそうに父さんは笑う。
「社会人になって何年か経ったときに新人の教育係を任されて」
それが母さん?
「母さんの同期の子を担当してたんだけど……母さんの教育係の担当案件が炎上して母さんの面倒も俺が見ることになって」
僕はうんうんと頷きながら話を聞く。
「教育係のときはなんにもなかった。半年くらい面倒見ておしまい。その一年か二年後に異動した先に母さんがいたんだよ。それでなんだかんだあって、付き合うことになり今にいたる」
「省きすぎでしょ」
「そうなんだけど」
父さんは苦笑いで目をそらす。
「あーそうだなあ。きっかけは名前だな。母さんが『名前、真昼さんと言うんですね。私は朝香なのでゴミ捨ての当番は私の次でお願いします』って言い出して……それで面白いこと言うなって興味を持ったんだよ」
その結果、息子の僕の名前は夜となった。単純すぎる。
「そんなもんなんだね」
「そんなもんだよ。人と人との付き合いなんてさ」
空になったペットボトルを持って父さんは立ち上がった。あまり遅くならないようにと言って風呂へと行ってしまう。
顔を上げると夜空には満天の星。庭から玄関の方へ回ると、隣の美海の家が見える。
美海の部屋は既に暗くて、横の匠海さんの部屋は電気がついていた。
ちょっと悩んでから縁側の方へと戻る。今は美海に甘えないで、一人で星を眺めることにした。
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