✄賛同できるかい?

 翌日、登美とみ部長に相談するとあっさりお許しが出た。いわく、


『――今のあんたにさせる仕事はないから好きにしな』


 呆れきったような声に不安を覚えないではなかったけど。お土産を買って帰ろう。ひよこまんとか?

 320kmのスピードを忘れさせるように真っ白な蔵王ざおう連山がはるかに伸びている。駅で買った炭酸水をくぴりと流し込む。


(けど、脚までめるかねフツー)


 浮かぶのは人を約700キロのお使いへと放り出してくれた仕事相手との関係。


(……いや舐めてない。ちゅってしただけ、ちゅって)


 どっちにしろ行き過ぎな気はする。配信中でもないのに。

 エンタメとして可愛い女の子サイコーってなムーブはしてきても、間近になればいろいろ気になるもんだと思っていた。鼻につく体臭とか、やわぼったい肌とか。……アイツどっちも大してないな、若いからか?


(十五歳……)


 学校とかどうしてるんだろう。適当にやってるとは言ってたけど。というか冷静に考えて十歳も離れた相手にどうこうっていうのはヤバいんじゃ。

 でも精神年齢高くね? 私がオコサマなのか……?


(吸血鬼?)


 益体やくたいもないことを考える。獣のようにしなやかで陶器のようにグロさがなくて、理解しがたい思考で世の中を見ている怪物。性別以前にどこかが遺伝子レベルでズレているから、その叶わない交錯を生命いのちの多様性が求めるのかと。


「も、モトめてない!」


 窓ガラスに頭を打ちつけた。前の席から不審がる気配。

 言葉のアヤだ。とにかく生理的にムリじゃないのは置いといて、このままじゃしかるべき機関に捕まりかねない。そういう脅しもかねてるんだろう。最初のときの写真だって消せてないし。


(控えよう……)


 下手にイヤがると逆効果だから、二人きりにならないとか。この遠征も生活サイクルをずらすいい機会かもしれない。

 渡されたメモを見る。病院の住所は東京。



 まどろみの中に出てきた灯糸あかしにはとがった牙がはえていて、オレンジの長い爪でさんざんに私を弄んだ。本当に反省してますか? はい……。





 総合病院の敷地を、入り口を探して迷い歩く。たどり着いた受付で目的を告げるとQRコードを発行された。


「こちら閉鎖病棟になります。標識ひょうしきに従ってお進みください」


 眼鏡グラスデバイスにコードを読ますと【特別面会】タグが追加される。右手を指す矢印がAR表示され、追うと廊下へ続いていた。

 うねうねと曲がる進路をたどる。


(……閉鎖病棟?)


 あれって精神病の施設じゃないっけ。

 細い廊下の突き当たりに〔関係者以外立ち入り禁止〕と書かれた重そうな扉があり、矢印はその手前の〔視聴覚面会室〕と書かれた小部屋を指していた。

 入室すると椅子いすがひとつ。その正面に、矢印と同じARで青く光るスフィアが浮かんでいた。着席後ふれてください、と注意書き。

 触ると部屋が明るく広いテラス付きの部屋へ塗り替わった。


『――やあ初代氏、来てくれてありがとう』


 木漏れ日がさしこむ窓際のベッドに、依炉いろりちぃあが身を起こしている。園児服スモックではなくパジャマ姿で、すそから見える手首には包帯が巻かれていた。


「どうも。……刺されたって聞きましたけど」

『あぁ、炎上が収まるまで隠れようと電車を待っていたらグサッとね。思ったより上層部の動きが早かった』

「それがどうしてこんな場所にいるんですか」


 眼帯がんたいで片方をふさがれた目がウィンクのエモートを発する。オジサンぽい。


『いやぁ、なぜか警察の怖い人たちからも目をつけられていてね。手術したはいいが退院させてもらえない。拘留こうりゅう理由がないから精神病棟に押し込もうっていうんだ、ひどい話だろ?』


 ……それはいわゆる公共の安全を守る系の方々だろうか。話半分に聞いていたけど本当にヤバい人なんじゃないかこれ。


「まぁ、おやとい外国人っていろいろやってますし、歴史的に」

『なんて前時代的な! いやここは先達せんだつを恨むべきかな。どこの誰だか知らないが』


 ちぃあは天を仰いだあと痛がるように脇腹をさすった。


「……あの、すみません。私が頼んだことのせいで」

『何のことだい?』


 とぼけた彼が因果関係に気付いてないわけはない。


「あなたについて密告したのは灯糸です。たぶん私がリリューシャのリークを広めるように頼んだから――」


 シィ、と小さな呼気といっしょに人差し指が立てられた。


『言ったろ、目をつけられてるって。痛くない腹を探られるのは面倒だよ』


 言われて気付く。監視や盗聴の可能性。

 思わず黙った私にちぃあは続けた。


『気にしなくていい。予感はあった。思ったより早かったけどね。彼女を機嫌きげんよくさせる何かがあったのか……』


 それきり黙り込む。何を言えばいいかわからず私は話をそらした。


「ひよこ饅たべますか?」

『差し入れに食べ物は禁止でね。オフラインで聴ける音源とか本のデータとか持ってないかい』

「オンラインのやつしかないですね」


 そうか……とちぃあはかなり残念そうな顔をした。退屈なのかもしれない。


「そのアバターも差し入れですか?」

『そうなんだよ! 趣味の分かる友人がいてね。やっぱり日本のアニメヒロインといえば包帯に眼帯だろう?』

「ハハ、それはんだごく一部の性癖せいへきです」


 ロリアバターでやられると相当アブない感じがする。適当に流しつつ会話の途切れを見計らう。


「えと、それでご用事は何ですか。伝言とかあるなら」

『用事?』

「……灯糸にお見舞いに来るように言ったんですよね?」


 怪訝けげんにこちらを見た幼女はややあってうなずいた。


『そういうことか。なに、ここは外とやり取りできないからね。事情の分かる人に近況を聞きたかったんだ』


 このVR病室はクローズドなんだろう。サーバーは病院にあってそこへ鉄扉をへだてた両側から私たちがアクセスしている。


『リュシャはさぞ元気にやっているだろうね』


 分かり切ったことのようにちぃあは言った。


「えぇ、まあ……チャンネルは好調みたいです」

『やり方は気に食わないけど?』


 図星をつかれて見返した。


『彼女はそれしか出来ないからね。気休めかもしれないが初代氏を軽んじているわけじゃないと思うよ』


 まるで何もかも分かっているみたいな。ふと、私より長く灯糸を知る彼に聞いてみようかという気が起こる。


「灯糸は何がしたいんですかね?」


 ちぃあは考え込むそぶりのあとうなずいた。


『VCの本質については前に話したね。好む好まざるは置いておいて、社会の分断がすすむとどうなると思う?』

「……えっと、バラバラになる?」

『そう、ただあまり細切れになると大衆は集まりたがる。不安な世の中でこそ信じられるものを欲しがるようになる』


 宗教とかね、と彼は手を合わせた。


「教祖にでもなろうっていうんです?」

『……いつかリュシャが僕に質問してきたことがある。あらゆる情報を収集し、無限に発信できる人間がいたとして誰が彼をがいせるか、と』


 ちぃあは急に喉がかわいたのか何かを飲む動作をした。


『僕は理性のある人間には不可能だろうと答えた。けれど誰もが理性的なわけじゃないと言ったら彼女は――』


 そのとき。

 視界グラスはしに通知が届く。ごく重要なニュースしかポップしないはずのそこに踊った見出しに、無性にイヤな予感を覚えて読み上げた。


「――イナバ已亡イム、新規ファンシティを立ち上げか……?」


 記事には摩天楼まてんろうとオリエンタリズムを混ぜ合わせたようなこの世のどこにもない都市モデルが先行イメージとして掲載されている。


『あぁ、始めてしまったか。台風の目、なぎの海。キミの平和はそこにしかないのかもしれないが』

「何を知ってるんですっ!?」


 分からない、何も知らされていない。【蜃楼都市】上にファン交流用のワールドを作ることは珍しくないがこの規模は異常だ。まずもって秘密裏にここまで進められたという事実が不穏ふおん極まりなかった。


『彼女は人間不信と自尊心のかたまりだ。周りがすべて自分へ向いた銃口に見える。逃れるためには支配下において他所よそへ向けるほかない』


 ファンシティのキャッチコピーは〔安心で安全な推し活をみんなで〕。裏を読むならそれは。


「……自治を理由に検閲したコミュニティで、ファンを囲いこむつもり?」


 ありえる。もしそうならフォロワーの内心は灯糸の思うままだ。どんなシステムにせよ個人が情報統制権とうせいけんなんて握ったら何が起こるか歴史が証明している。


「そういえばスパムとブロックが増えて……マッチポンプ?」


 界隈かいわいを不安定化させて賛同者を増やすための? だとしたら。


『それだけじゃない。銃口を外へ向けたあとは弾倉だんそうを空にしようとするだろう。集団にはフラストレーションのはけ口が必要だ。今は東新党をめているところだろうけど、それが終われば次、次と際限さいげんなく殴っていい敵を創り出す』


 ぞっとするような未来だった。人の悪意を集めて遠心して、すべてを破壊しひろがる無秩序の輪。中心にだけ存在するだろう荒れ地の静けさは灯糸に似合い過ぎていて、私は出かかった嗚咽おえつを食いしばって抑えた。


『キミは賛同できるかい?』

「フザけないで、できるわけない!」

『だろうね』


 帰ろう。こうして話していてもらちが明かない。そう思い定める直前に。


『――ならキミの要請オーダーはこうだろう、リュシャ』


 ちぃあが眼帯をずらした。

 キラキラと輝くプリズムのような瞳。もう片方とは違う、奥行きのある眼球モデルに気を取られた瞬間。


「っ!? あなた、は」


 世界が鈍化する。まるでお伽噺とぎばなしの邪視のように、無数の病毒エラーがデバイスへ降りかかった。


『構わないさ。末法まっぽうの王座くらい好きにするといい。地獄があふれるなら安いものだ』


 何かが私の回線を圧迫している。それはやがて、無数の影となって湧き出した。


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