✄心配しなくても

 はたはたと。

 並木をぬけた風がシャツの中の熱気をぬぐう。

 荒ぶる肺。空回って止まらない足。


「はっ、はぁっ」


 は苦手だ。やってみて分かった。

 まずもって目標が見えない。そのくせ負荷はあるから甲斐かいない疲労だけが溜まっていく。


「センパーイ、ふぁいとぉー♪」


 背後でエアロバイクをこぐ灯糸が煽る。くそ。

 週末の運動公園はほどほど盛況で、私たちがいる半屋外型ジムも賑わっている。

 ここに来た目的は昨夜コンタクトのあったVC、傾城かぶき・フォック・シーと会うため。


「もういいよ。コラボの前に体力無くなっちゃう」

「ルームランナー程度で何バカなこと言ってるんです?」


 ウッドチップの床に降りると足がふらふらと前に出る。ベンチに腰掛けた。買ったばかりの配信機材を詰めたバッグから、ペットボトルを出してあおる。


「バカなことしかやってない……」


 厩舎のようなはりと屋根だけの天井を見上げた。柱で区切られたマシンスペース。周囲には芝生やドッグラン、その間をジョギングできる並木道がある。


ダミースマホはどうですか?」

「んー、異常ないっぽい」

「……」


 エアロバイクを降りた灯糸は難しい顔で汗をぬぐった。ピンクラインのシャツとショートパンツ。


「闇討ちじゃないんですかね?」


 昨夜。送られてきた一連のメッセージを私たちはこう解釈した。


 ――誘いに応じなければ通報する。


 あれだけやらかした私たちが今こうしていられるのは、良くも悪くも次の選挙の票田からだ。普通なら告訴なり解雇なりされるのがスジだけど今そんな情報が回ればイナバ已亡へのお布施で投げられる票を党は丸ごと失う。いくら東新党から私や灯糸を処分しろという圧力があろうと、議席数は党の命だ。でも。

 が派遣されるのであれば?

 フォック・シーの電撃来訪はそういうこと。彼女がイナバ已亡の穴を埋めるなら東北のちから党はすぐに被害届を出すだろう。器物損壊に機密データの持ち出し、罪状はいくらでもある。だというのに。


「こんなふうに呼び出す意味、闇討ち以外あります?」


 来たのはコラボの誘いだった。ぶっちゃけ意図が読めない。DMできいても返ってくるのは優等生的なおためごかしだけ。


 ――二人の言い分を広く伝える場を提供したい。


 夜半まで二人して頭をひねって、セキュリティの甘くなる対面クラッキングか暴力でこちらのアカウントを奪取する、ようは闇討ちじゃないかと予想した。

 それを裏付けるように灯糸の【ロンギヌス】は昨日、一度配信を切った時点でライセンスを剥奪されている。だからあのとき灯糸は、警備システム乗っ取りより確実な蜃楼都市への挑発を選んだ。

 解約したのは窓口だったWaQWaQ運営、つまりは東進党。灯糸の【ロンギヌス】は今も起動こそできるものの、アップデートがないため刻一刻と強みは失われている。

 そんなわけで今朝、新品のスマホを契約した私たちは現在それだけを起動している。不意のクラッキングを察知するための囮として。


「うーお腹いたい、いっそ殺して……」

「配信初心者みたいなこと言わないでください。こうなったらなおるしかないんですよ」

「わかってるよ、わかってる。倫理観りんりかんが死にきれてないだけ」

「まるであたしのが瀕死みたいじゃないですか?」


 死後15年は経ってるだろどう見たって。

 あとは、クラッキングでないなら暴力という線もありうる。VLSは作動してるけど敵がデータ度外視なら意味がない。だからわざわざ人目のある場所を選んだわけで。


「あーいた! リューちゃん、やっほー!」


 油断なくジムの出入り口をにらんでいたら、背後であがった声に二人して飛びはねた。

 すらっと掲げられた手はマシンエリアを囲む芝生から。長身でスレンダーな女性が近付いてくる。


「シー、先輩」


 ライトグリーンのスポーツブラにパーカー。惜しげなくさらされたお腹はマネキンよりなお造り物じみていて、大きく愛嬌盛りめのアイメイクと緩いショートボブがもともとのツリ目を日本刀のこしらえみたいに華やかにしている。


「うん? シーパイでいいよ。前はそうだったでしょ?」

「それは、配信中だけで、」


 うわ、灯糸が気圧されてる。でも相対した雰囲気で納得した。


「えっとそちらイナバ已亡、さん? リアルでは初めましてだね」


 子どものころ漠然ばくぜんと憧れていた大人の女性そのまま、みたいな人。背伸びしたい盛りの年頃にこれは劇物だろう。

 傾城かぶき・フォック・シー。【WaQWaQ】の第2期生で古株。対外コラボ控えめなグループにあって比較的フットワーク軽く他所にも顔を出す渉外担当。中国の妖狐モチーフらしく、キツネ繋がりで駆け出しの頃にリプライを貰ったことがある。


「……えぇまあ。元、ですけど」

「そんなこと言っちゃってぇ。見たよー昨日の大あばれ、コーフンしちゃった!」


 ごく自然に寄ってこられて同じだけ半歩引いた。あぶない、もう少し陰キャ力が低かったら間合いに入られていた。


「あゴメン、ワタシ馴れ馴れしくって」

「ぃェ」


 中学生ばりに人見知りバリアを展開して窺う。さすがに会ったばかりで言葉裏は読めない。けど情報源ならもっと見知った人がいる。

 傾城の背後へ目をやった。


「……オハヨウゴザイマス、部長」

「お、おはよう止町」


 昨夜からの同伴らしい登美コハル部長は、胴の露出こそ少ないが濃いバラ色のフィットウェアを着ていた。筋肉のカットが強調され、むきだしの肩は心なしか居づらそうに寄せられている。


「今日は一段とおキレイですね」

「待ちな、誤解だよ、彼女とは何でも無いったら」

 ――あってもよかったがチャンスがなかった


「へー、ふーん、そーですか」

「お誘いはありましたけどね」


 そらみろ。ジョギング以外の汗が美々しい頬を伝う。


「配信準備があったので、遠慮しちゃいましたが。あっ、お二人はその……?」

「想像するようなことは何もないです」


 努めて平坦な口調で答えた。別に、あれだけ優しくしといていざ目の前に愛想のいいモデル系が現れたらさっとお出しできるだけの好意があったんですねとか思ってない。


「そ、そうさ。アタシを捨てて若い女と逃げたのは止町じゃないか」

「所持した覚えもされた覚えもないんですけど」

「なんでそんな他人行儀ぎょうぎなんだいやめておくれよ!」


 とんだ悪女あくじょ扱いだ。逃げたのは否定しないけど不義理をしたつもりもない。


「仕方なかったんです、わかってください」

「うぅ、止町……」


 どうしよう、割と湿しめっぽい人だったんだな。気まずい。

 部長は地面を睨むとややあって顔をあげた。


「なぁ、悪いことは言わない。今からでも戻っといで。カブキさんがとりなしてくれるそうだから」


 傾城がほがらかにそれを引き継ぐ。


「うんうん任せて! ワタシも休暇で偶然こっちに来てただけだし、穏当おんとうに済むならそれがいいって思ってるの。ほら、カッコウ団子とかまだ食べてないし!」

「あれ冬場はやってないですよ」


 だいいち選挙前にのんきに東北バカンスやってられるVCがいるワケない。言葉裏を読むまでもなくこのままだと不穏当なことになるらしい。


「それって今まで通りイナバ已亡をやっていいってことですか」

「もちろん。って、東新ウチが許可出すような話じゃないんだけどね。ただ、この一週間がなかったことになるように口添くちぞえはしてあげられる」

「ウソですよ、センパイ」


 ぎゅ、と後ろから腕を抱き止められる。


「絶対どこかでアカウントを握られます。そしたら言いなりになるしかないんですから」

「あら、まるで実体験みたいね。アナタのためでもあるんだよリューちゃん」


 否定も肯定もしない笑みで困ったように眉を下げる傾城。


「今、ヘタに票なんて抱えない方がいい。うえは造反を許さないけど、子どもがバックれたってだけならかばいようはあるんだからさ」

「ご心配どうも。で、言う通りにして何が残るんです? 親を奪われて、党の言いなりになるしかなかったあたしに?」

「……リューちゃん、それさあ」


 苦い表情を長い五指が覆った。責めるような視線をかわして私の影にひっこむ灯糸。

 まさか、配信後の口ぶりからして何かあるんだろうとは思ってたけど、そんな。


「お願いですセンパイ、耳を貸さないで」

「……心配しなくても放り出したりしないよ」


 立ちふさぐ形になった。目が合った部長が泣きそうな顔をする。

 ふー、と傾城が目頭を押さえた。


「已亡さん、その子はさ……付き合うの、覚悟がいるよ。いいの?」

「おおむねは」


 性悪だし、今だって利用されてるんだろう。信用度で言うなら傾城とどっこい。でもだからって一人で事務所に戻るつもりもなかった。


「……そう。じゃあしょうがないね。やろっか」


 傾城がポケットから取り出した扇子せんすを広げた。地紙の代わりに液晶シートが張られていて、かざされた傾城の片目が透けて見える。MRデバイスだ!


「なんかサブアカっぽいの見えてるけど、それじゃ配信できないでしょ。準備お願いできる?」

「え、あの」

「んん、ひょっとして警戒してる? 配信外でどうこうしたりしないよ。コラボ告知してるんだから、ワタシが疑われちゃうでしょ?」


 ごくりと唾をのむ。予想は外れた。

 つまり視聴者の判断こそ重要で、ひいてはそれを配信中にハッキリさせようということ。


「気をつけてください。第2期生より上はみんな情報教導の完全履修者。一線級のプロパガンダ戦士です」

「わ、私を押し出さない、アンタがやるんでしょーが!」

「出るのはあたしでも盤外戦はセンパイの担当ですよ」

「あーそだそだ、言い忘れてたけどさ」


 ひそひそと言い合っていたところへ傾城が顔を出した。


「三人コラボだから、今日」


 背中から灯糸の手が離れてよろめいた。

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