✄何が目的です?

 真っ白なリングに拍手の雨が降る。赤と青のコーナーポストに鈍色にびいろのロープ。

 跳び上がった人影はぎらつく天井ライトの中にいた。


『――ごろうじろ! バーチャル・カブキぃっ!』


 着地したそれが文字通り四散し、各ポール上に分身したアバターを形作る。

 露出多めの道士服に半面を覆う狐面。ほどけば腰までありそうな翡翠ひすいの髪を後ろで高く結んだ。


『フォックス・マスク! だッ、待たせたなお前ら!』


〈Foooo!!〉〈Fooooooxxx!!!!〉〈空中殺法!〉〈待ってた!〉〈スクランブルコラボきた!〉〈姉さん流石!〉


『乱あるとこに狐面あり! 今日もお騒がせヤローどもの本音を引っこ抜いてリングのシミに変えちまうぞ、いいかオラー!』


 四つのアバターが頭上で手を叩くと合わせるように手拍子が起こった。暗い客席にどれだけの観衆リスナーがいるのか分からない。木霊こだまする破裂音だけが底知れず響いている。

 大映しされたゲームロゴは【Golden Claps!】。

 通称ゴルクラは海外インディーズメーカーが作ったプロレス風格闘ゲーム。特徴は観客オーディエンスの要素がある配信向けのものであること。


『いいお返事! じゃ迎えてあげよう、カモン!』


 野太のぶとい煽り口上から一転、ぱちりと片目を閉じて誘う。キャラがリング中央で一つになると、対角の入場口へ手をかざした。

 リングにこだます宣誓。


『――お慕いします。今までも、これからも。だから見ていて』


 貞淑ていしゅくなそれは続く一走を箒星ほうきぼしのごとく魅せる。

 はねた川魚かわうおのように流麗なシルエットが一息にロープを飛び越えた。白基調のビキニコスチュームを飾る水銀のフリルは飛沫しぶきのように跡を引いて。


『イナバ已亡! わぁーたぁーしぃーがッ二代目だあッッ!』


 突き上げた拳から水柱が噴き上がった。挑戦的な笑顔に照らされるように客席のアバターたちが浮かび上がる。ぐんぐんと伸びるボルテージ。


『ヒュー、カワイイかっこいい! さあそして! 一番の渦中というかとばっちりというか、まぁご愁傷しゅうしょう様! 匿名とくめい希望レフェリー! マスクド・ファーストっ!』


 呼ばれた。よいしょ、よっせ……すっく。


『あーえっと、私がレフェリーです』


〈誰?〉〈お前初代だろ!〉〈もう声で分かるんよ〉〈運営の人ですか?〉〈何でレフェリーがマスクマンなんだよ〉〈八百長やおちょう起用やめな?〉〈またしても何も知らされていない地方VC(24)〉


 ……くっそスベった! コメントが痛い!





「れ、レフェリー?」

 

 配信直前のオファーにやられた、と思った。

 芝生エリアの、平らで広い場所を選んでMR用のベースセンサーを立てながら傾城はうなずく。


「そう、ゴルクラは格ゲーってよりトークゲーム寄りなんだよ。最低限のルールだけシステムが支えて、あとは駆け引きを楽しむっていうか」


 役柄やくがらはどうでもいい。どんな要請おねがいも通報をたてに呑まされる状況で、最悪の外堀そとぼり埋めは私が配信にされること。それだけでクラッキングほか盤外戦術への備えが半減する。


「わ、私プロレスとかぜんぜん分からないし、そういうのってCPUに任せたりもできるんじゃ」

「大丈夫、ワタシが教えるし選手よりやることは少ないから!」


 有無を言わせぬ笑顔。脅迫だよな、これ。


「仕方ないですセンパイ。それに相手の土俵どひょうで勝てばフォロワーだって増えます」

「アンタはどっちの味方なの……」

「――ちぃあに連絡します。SNS関係は丸投げしてください」

「……」


 最後のは耳打ちだった。

 腹をくくって今朝に買ったばかりのトラッキングシールを肘やヒザに貼りつける。湿布みたいな伸縮しんしゅく材がその伸長力テンションと位置情報を発信して、リングのポールのような4本のベースセンサーがそれを統合してアバターに反映する。


「こっち準備できたよ!」


 ベンチにノートPCを広げた登美部長が手を挙げた。

 まぁ、配信操作もしなくていいしやれないことはないだろう、たぶん。あとは最低限の取れ高を出しつつ邪魔をさせないこと。灯糸のパフォーマンスについては心配していないし、するつもりもない。


「さあ、プロレス知らないって言ってたよね! どこから説明しよう、やっぱ新日シンニチの歴史からかな!?」


 うわ、オタクの熱量だ。ゲームシステムに関わるところだけお願いしておく。傾城はそっかぁ、と残念そうに〔チュートリアル.pdf〕と題されたファイルを送ってきた。オタクのドライさだ……。





『ファイッ!』


 二人の間に立って腕を交差する。ゴングと同時に激突する影。

 両手の組み合いにいこうとした傾城が腕を広げ、灯糸も同じポーズをとる。互いの距離と姿勢をシステムが感知して二人のアバターが両手指をがっちりと組み合わせた。


『いっくっぞ、オラあぁー!』

『やああああっ!』


 盛り上がる筋肉もせめぎあう体幹の軋みも重厚で、まるで本物のプロレスのよう。

 私は距離を取りつつ、おろしたての眼鏡グラスデバイスを上目遣いにした。俗にハヅキ型と呼ばれるグラスの上下がリアルとMR仕様に分かれているセパレートタイプのデバイス。空手の寸止めのようにアクションを確定させたあと、すぐ離れた二人が見える。


TTLツテレとちょっと似てるかも)


 要はポジション取りとマーカーリンクだ。【ツーテールレジェンド】では腰のマーカー移動で技が確定するところを、ゴルクラでは互いの位置と全身マーカーの相関で発動する。例えば。


『んっ、捕まえたっ!』

『ぬわー! しまったあーっ!』


 低く回り込んだ灯糸が傾城の後ろ腰へ抱きついた。【ベアハッグ】が発動。あとは指コンのキー入力でさらに技が派生する。


『いきますっ【ジャーマンスープレックス】!』


 已亡イムが反り投げに傾城を叩きつけた。もちろんゲーム内だけだ。リアルでは腰にしがみついたところで止まっている。ブリッジ姿勢でそのままホールド。


『センパイ、早くっ』

『はっ、今行きますわ!』


 フィニッシュマークが二人の上で光り輝く。私は傾城の両肩がマットに着いているのを目視できる位置まで滑り込むと高く手を振り上げた。


『ワン!』


〈センパイとは〉〈もう隠す気なくて草〉〈いきなり大技!〉


『ツー!』


〈姉貴ニコニコ〉〈いつもの〉


『スリッ、だあっ!?』


 決着の寸前、フィニッシュマークが弾けて消える。カウントは2.99。


『フゥハハー、生意気なキツネ娘ちゃんのハグをいただいたぜ!』

『んぅ、解釈ラッキースケベやめてくださぁい』


 決まるかどうかは私のカウント次第、じゃない。さっきから降り注ぐコメントと手拍子クラップスこそゲームの本質そのもの。


〈反撃いけ〉〈遠慮ないのいいぞ〉〈横綱相撲やな〉〈やっぱ姉貴よ〉〈レフェリーぼっ立ちすな〉〈ぱんつ!〉


 こいつらを納得させなきゃいけない。拍手含めたレスポンスは天秤で表されていて、より支持を集めるプレイヤーの技ほど返すのが困難になる。

 それは傾城のチャンネルという時点で大きなハンデを負っているということで――


『プロレスってのはなァー! ミヤビじゃなきゃダメなんだよォ!』


 傾城が灯糸の首に手をかけた。【チョークスラム】、吊り上げたあと床へ叩きつける。


『ひくっ……けほん!』


 現実の灯糸までもがよろめいた。そうか、主観視点でプロレス技を受けるなら常にゲーム画面が見えているゴーグル型は不利だ。もちろんセパレート表示にしてあるはずだけど。

 思わず声をかける。


『新じ……已亡っ、技を掛けられたら目をつぶって!』


〈セコンドかな?〉〈いま新人つったろ〉〈気づいたか〉


『センパイ……ううん!』

『およ?』


 つづく傾城の引き起こしエルボー連打、からの頭を片脇に抱え込んでリングへ叩きつけるDDT。リアル灯糸はその場で飛び込むように前転した。


『へえ!』


 傾城の感嘆。そうか、いやでもそれは。


『技をかけられたなら! リアルで同じ動きをすれば酔わない! これがプロレスの受け! だよね傾城ちゃん?』


〈力技すぎる〉〈えぇ……〉〈地味に反応ヤバない?〉〈思いついても誰もやらないやつ〉〈開発チームのたわごとじゃん〉〈姉貴は片手デバイス?〉


『ほ、ほーう。いいのかなそんな大見得おおみえきって。モーションだけで何個あるか知ってる?』

『傾城ちゃんだって覚えてるからそんな小っちゃな扇子でプレイできるんでしょ?』


 天秤がかたむき始めていた。


『でもぉ、今はあたしのがゲームを楽しんでるかもね?』


 くすくすと笑う。アウェイでこの傲慢ごうまんさとパフォーマンスは観客のお気に召したらしい。起きるべし大番狂おおばんくるわせと背中を押す声援とともに灯糸は突進する。


『ストォオップ!』

『っ』


 止めたのは本物の大見得。腰を落とし広げられた腕が灯糸の眼前をふさいでいる。


『感動した! かくなるうえはワタシもフルフェイス型にてお相手しよーう!』

『なっ、真似っこですかぁ!? こーゆーのって最初にやった人がイチバン偉いと思うんですけどぉ!』

『フハハ大したもの、かつてワタシが封印したスタイルを引きずり出すとはな!』


〈二度とやるかって言ってなかったっけ?〉〈封印(嘔吐〉〈3D酔いデスマッチ!?〉〈皆一度はやる、二度目がないだけで〉〈今日は荒れる、機材が〉


 マイクパフォーマンスだけで戻っていく天秤。やっぱりアウェイには違いない。


『お色直しだ!』


 傾城が手を上げると天井から真っ赤なビロードのカーテンがリングを覆った。配信の蓋絵ふたえ代わりということらしい。

 コーナーへ戻ってきた灯糸がぺぺっと芝の切れ端を吐いた。グローブをはめた手に代わって舌先からそれを取ってやる。


「ぇう、えい仕掛ひはへは?」

「今のとこ何もなし」


 まっとう過ぎるただのゲーム配信だった。こちらの警戒網をかすめもせずにクラッキングや誹謗中傷ひぼうちゅうしょうをやられているなら別、だけど。


「……必ずコラボ中にやってきます。セキュリティは上げっぱなしに」


 言うなり灯糸は座り込んだ。両手をついてうなだれる。


「大丈夫? あの解決法プレイングってやっぱり無理があるんじゃ」

「……ハッタリですよあんなの。攻略サイト流し読みしてそれが玄人マニア好みだっていうから……効果以前の問題です」


 白いうなじに浮かぶ頸椎ほねのふもとを光る汗が流れていく。きめの細かい斜面が三半規管の律動りつどうで揺れている。


「ここのリスナー全員さらうんです。3D酔いくらいなんでもありません」


 持ち上げられた横顔に胸がうずいた。どこか懐かしい貪欲さへのうらやみか、電気を帯びたような下睫したまつげに気圧されたのか、わからないけど。


「じゃあ、ゲームに集中して。横槍よこやりは入れさせないから」

「……やけに協力的ですね。何が目的です?」


 灯糸は戸惑い顔で見上げてくる。してやったりな気持ち。


「リスナー全員なんて息巻いきまいてるクセに、私ひとりを掴んでる自信はないわけ?」


 信用はどっこい、誰の言うことも話半分。そういうときはれるか乗れないかだ。調子のいい言葉じゃない、曲げられてたまるかという反発だけが灯糸から私に響いたもの。

 彼女の勝利はきっと胸がだろう。乗れるっていうのはそういうことで、いわゆるただの自己投影で――。


「心配しなくてもアレよ。もうファンになってるから、みたいな。うん、私は」


 言うんじゃなかった。なんの格好もついてない。

 は?と灯糸が身を引いた。


「やだキモい」

「き……っ?」

「利害の一致とかもっとマシなのあるでしょう。そんな――」


 素の罵倒が返ってきて、続く言葉で完全に頭が冷える。


「――馬鹿のリスナーみたいな理窟じゃなく」


 ……あぁそうだったクソ、なんで忘れてたんだろう。なまじ高いところを目指してるもんだからつい評価が甘くなっていた。こいつは。


「あぁうん、そこは無理だったわ。推してくれる人を見下してる感じ。いくら良い演技ができたって」


 時間やお金、権利。軽いものじゃない。それを預けてくれる人たちに対してあまりに不誠実だ。灯糸は鼻を鳴らした。


「演技がいいから人が寄るんですよ。だったらファン数も実力でしょう? へりくだるからなんて勘違いするヤツが出るんですよ」


 嫌悪の表情はすぐに消え、淡々と「間違ったこと言ってます?」みたいな顔から理屈がわき出てくる。ハラ立つな、絶対認めないぞ。


「配信は一人じゃできない」

「へぇーえ。で、誰があたしの代わりをできるんです? あたしが動かしてリスナーは従うだけ。上下あると思いますけど。センパイだって……」


 そこで珍しく灯糸は言葉を飲みこんだらしかった。


「センパイだって、自分よりツマンナイやつらが評価されてるのが気に入らないからVC始めたんじゃないですか?」

「お、思ったこともないが!?」


 どこまで思い上がりやがる。成り行きでやってる私からすれば、あらゆるコンテンツ発信者はすごい先輩であり後輩だ。いや、向こうだって仕事なんだろうけど、そのモチベーションは自分よりずっと上に思えて……。


(コイツもその一人っちゃ一人なんだけど)


 なんだ、配信者ってのは自己中じゃなきゃやれないのか? 世界でいちばんお姫様が可愛さで沼にハメ合うライアーダンスなのか?


「なんですかその顔。言いたいのは……センパイとはもっとハッキリした理由で繋がれますよねってことです。あたしだって、今は一人じゃムリめなことくらい分かります。センパイも、」


 また――灯糸はしまったという顔をした。それが何となく不本意で腹立たしくて、次の言葉を待たずに大きなため息で蓋をする。


「わかった。確かに今のイナバ已亡を続けるにはアンタがいなきゃだし」


 なぜ続けるのか、という前提には触れずに。


「だいいち気に入らない。人の配信中にクラッキングだのなんだのって」


 言いながら睨みつける。そういえば、何か私に言い忘れてることはないかと。


「ぇ……えっとぉ、あたしのはマーケティングのためってコトで納得……」

「今、素直に謝ったら許してあげる」


 ぶった切ると小さい唇がむにゅもにゅとはみ合わされ。


「……ごめんなさぁい」

「よし」


 言わされてる感バリバリでも謝罪には違いない。手を差し出すとざらざらしたグローブがそれを握った。


「レフェリングだけど、公平でいいんだよね?」

「当然。ひいきなんてしたらコメントが冷めるだけです、それに」


 勝つまで粘るので、と事もなげに言って立ち上がる。心配するのがバカらしくなるくらいで、本当に一人で大抵のことはやってのけてしまいそうだ。

 でも、私が言いたいのはもったいないってことで。

 預けてもらったものの重みをきちんと受け止められたなら、そのパフォーマンスはもっと凄みを増すはずだから。


「見たいなぁ」


 一歩遅れでつぶやいた。ある意味この戦いは試金石にもなるだろう。生配信を観に来るようなヘビーリスナーをひっぱり込むには多分、演技やプレイスキルを超えた何かがいる。

 できなきゃ私も一緒におしまいだ。プレイエリアに入る。

 カーテンが取り払われる。灯糸と傾城のMCは観客のツボを押さえていて私まで笑ってしまいそうになる。

 だからだろうか。白く照らされた灯糸の横顔がひとり浮いて見えたのは。

 開戦のゴングが響く。


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