✄あたしだけを見て


 空手チョップが切り裂き、浴びせ蹴りがひるがえった。ネックブリーカーはギロチンより鋭く、ブレーンバスターは容赦なく脳を揺らす。

 開始から二分弱、灯糸は一気呵成かせいにしかけていた。


『ブッ、とべぇっ【アックスボンバー】!』


 ふらつく傾城へロープワークまで絡めた特大のラリアット。私でも知っている必殺技の迫力は絶大で、傾城のアバターは後ろへ二、三回転もしてダウンする。


『ふーっ、はーっセンパイ!』


 肩で息をしながら灯糸がたおれた彼女を抑え込んだ。すかさず滑り込んだ私はマットを叩く。


『ワン!』


 しっかりと傾いた声援レスポンスの天秤。だけどここまでやってもそのウデは時計の四時より下には落ちていない。


『ツー!』


 それもそのはずで後半、傾城は受けにてっしていた。途中でデバイスを付け替えたことへのハンデとか言っていた気がするけど演出上の意図は明らかだ。


『スっ、っ惜しい!』

『ま、だあっ!』


 崩れるたび、立ち上がるたびいや増す傾城への声援。このままでは終わらない、受けて、受けてからの大逆転こそプロレスのはなと疑わないから。


『センパイ、さっとどいて!』

『荒いなあ人づかい! カウント取りませんことよ!?』

 

 傾城をコーナーに突き飛ばした灯糸は走り込んで腕を振るった。串刺し式のラリアット。

 それが力の抜けたように不発に終わる。


『おやっスタミナ切れだね、そろそろいいかな?』


 瞬間、二人の体勢が入れ替わった。


『うっ、きゃあ!?』


 突っこんだ灯糸がかわされてコーナーポストへ激突する。本来クッションになるはずのマットが外されたむき出しの鉄柱へ。


『イムちゃんは善玉ベビーがやりたいんだね。なら悪玉ヒールらしいことしようかな』


 かぶりを振る灯糸の後頭部を、はがされたコーナーマットがフルスイング。〔東州新民党〕と大書されたそれが灯糸の頭をはじき飛ばす。

 レスポンスが大量のブーイングで埋め尽くされた。でも悪評も評のうち、システム的には傾城を支持するもので、リスナーも理解したうえでノリを変えたに過ぎない。


『ふっふー、やられっぱなしで技が余ってるんだ。どこまで耐えられるかな?』

『わ、ワン! ツー! スリー! フォー!』

『おっとと、はーいもうしませーん、うふっ』


〈やり口がえぐいぞ〉〈まぁ攻めるしかなかったし〉〈反則カウント爆速で草〉〈今一番の問題児がベビーとかwww〉〈姉貴のヒール衣装好き〉


『んー? コスチェンジする? どうしよっかなー、そうだ!』


 ひらめいたと傾城は人差し指を立てた。


賭試合コントラマッチにしない? 大技ひとつ受けるたびにちょっとずつコスチュームが変わるの。ワタシはちょっとエッチな悪役レスラー風。イムちゃんにも素敵な衣装をプレゼントしてあげる』


〈最高〉〈乗った!〉〈素敵な衣装……ほう〉〈わざと受けそう〉〈お互い大技狙いなら初心者でもワンチャンある〉〈やれやれ!〉


 外堀が秒で埋まっていく。受けざるを得ない。ちらと見てきた灯糸にうなずく。

 送りつけられた衣装データを展開オープンすればクラッキングの足掛かりにされるかもしれない。だけど仕掛けてくると分かっていれば対策できる。


『……望むところです!』


 灯糸のデバイスにはバックドアを通じて【山海妖経】を展開してある。


磐座イワクラ――摩尼車マニコロ――三関サンゲン――」


 ポート制限を強化してゲーム以外の通信をしめあげる。特に傾城のデバイスや登録外アドレスへの警戒を厳に。結冊コンパイルして曰く。


「――狛件/コマクダン」


 起動と同時に灯糸が疾走する。フェイント交じりのステップで側面に回るとエルボースマッシュをかちあげた。そのまま絡みつくように延髄えんずいももへ手をかける。


『ぇえ【エクスプロイダー】ァッ!』


 全身を反らせての投げっぱなし。ラストに敵を固定フォールしないぶん強烈な乱転を与えられる。傾城のコスチュームが一部ぴったりとしたエナメル地のものへすり替わった。

 受け身をとった傾城を引き起こし、今度は前に抱え込む。

 リングから引っこ抜くような抱え上げと叩きつけ。【パワーボム】。しかし。


『うあっ!?』


 はじけるように離れた灯糸がゴーグルへ手をやった。その視線がフラフラとさまよう。


『ちょ、今なにをきましたの!?』

『ノーノー、何のことかなレフェリー』


 技の出が見えなかったが緑色の煙のようなエフェクトが灯糸の顔へまとわりついている。


〈毒霧だあああ〉〈Booooo!〉〈古い技使うなぁ〉〈初心者に目潰し使うなよ笑〉


 抱え上げた瞬間を狙われたらしい。一発退場の反則技も審判わたしが目視しなければおとがめなしだ。むしろそれすら悪玉ヒールの芸術と盛り上がる観客。


『平気だからっ! センパイはあたしだけ見てればいいの!』


 視界を奪われた灯糸は重心を落として腕を広げた。それでもゴーグルを脱ごうとはしない。あくまでルールの上で逆転するつもりだ。魅せるために。食いちぎるために。


『よくってよ、大口を叩くだけの力を見せなさい!』


 ハードルは高く。十中八九越えてくると思えた。嘘つきで自己中な、いつか誰かを魅了するビッグマウス。今はまだ根本的になっちゃいないけど、将来性込みで後押しくらいはしてやろう。


健気けなげや〉〈いいブックだ!〉〈コメントは読めてる?〉〈そもそもVC続けられんの?〉〈この二人どういう因縁?〉


『ちーなーみーに、今のも大技扱いだよん。どこが変わったか皆わっかるかなー?』


 ブーイングを心地よさそうに浴びながら傾城がリングを回る。灯糸の足元に視線が集まった。楚々そそとした黒のモンク・シューズ。白のレースで飾られた靴下は、たった今変更されたにもかかわらず既視きし感があって。


「っ、や――」


 ――ばい、ヤバいヤバい、あれは。

 コメントがざわついている。そりゃそうだ、同じ箱のVCだ知らないハズがない。


『おっとー正解が流れたぞ? まだわかんない人のためにヒント増やそうかな?』

『新人、避けて!』


 たぶん灯糸はどこを攻められようと即応する気組みでいる。でもそれじゃ一発もらうことになる。この状況でそれは。


『おっかえっしだァ【アックスボンバー】ァアアッ!』

『っ! きゃあああッ』


 足音と声の向き、そしてさっき見た傾城のモーションだけで灯糸は完璧な受け身をとってみせた。歓声が集まる、でも大部分の興味はそこにない。


〈リリューシャじゃん〉〈リリューシャ!?〉〈マジかよ〉〈そうだろうなとは思った〉〈ボイチェン使ってる?〉


 レースとフリルで甘くまとめられたゴスロリ風のシスタードレス。ワンピースは灯糸の正体を暴く材料として充分すぎた。


〈活動休止して何してんだ〉〈これ台本?〉


 焦る。どうすればいい、この状況を当の灯糸が気付いてないのは危険すぎる――!


『新人、その修道服は一体……!?』

『……!』


 後転し起き上がった灯糸がまばたきほど停止した。


『しゅーどーふくって何ですか?』

『嘘でしょ……義務教育……あんたが一昨日まで着てたやつだよ!』


 キャッと小さな悲鳴をあげて胸をかばう。


『えっえっセンパイ、違うのこれは!』

『何が違うんだー? 東新党公認VC、WaQWaQ五期生・リリューシャ・ウォン!』


 ロールプレイを崩さなかったのは事故っぽさを出さないため。あたかも台本のように私たちは振る舞って傾城もそれに乗った。

 政党間のゴタゴタなんて視聴者にはどうでもいい。政治家がポスターで上滑りする笑顔を浮かべる代わりに、リアルと隔絶かくぜつした世界で有権者に好感を抱いてもらうのがVCの存在意義。


『説明なさい、新人』


 求められるのはエンタメとして観られるバトルと関係性で、そこを外したとたん支持を失う。暴露ばくろした相手を非難すれば同情は買えるかもしれないがファンは確実に離れる。傾城もまた同僚の裏事情を暴いて糾弾きゅうだんする、なんてイメージは避けたい。だからここにの一致が生まれる。


『――そう、ですね。あたしには謝らなきゃいけないことがある。センパイにも、それから皆にも』


 問題は、敵が何をしたいのか。手段は同じでも目的は正反対のはずだから。


『そうそう、あとワタシにもね。リューちゃんがとき、すっごく悲しかったんだから』

『……』


 ああ分かってきたぞ、つまりストーリーを変えたいわけだ。

 地方VCをしたう一人のファンが、大政党の横暴に立ち上がった。灯糸の引いたすじ書きはいかにも東新党むこうにとって不都合だから。


〈辞めてたの!?〉〈最大野党ぬけて地方?〉〈姉貴は仲良かったもんね〉〈もうリリューシャじゃやらんの?〉〈わりとショック〉〈初代とはホントはどういう関係?〉〈休止じゃないのか〉


 親しみや心配にかこつけた暴露で、灯糸のシナリオの矛盾をあぶりだす。元来リスナーは不変ふへん性を求めるくせに不穏ふおん好きで、わずかな材料でもよからぬ想像をしかねない。そこへ。


[[――初代氏、連絡だ]]


 ミュート。事前に開いておいたちぃあとのボイスチャットをオンにする。


「なんです?」

[[SNSにリュシャの休止についてのリークが]]


 そっちへ来たか。


「止められませんか?」

[[削除依頼とスパム報告を自動化オートでやってるけどキリがないな。自己増殖しているか既存のアカウントを乗っ取りながら移動してる。広まるのは時間の問題だ。共有するよ]]


 送られてきた投稿は内部告発風のつぶやきをまとめたものだった。出所はWaQWaQ内でリリューシャに近いマネージャー、のということになっている。

 いわく運営とのぶつかり合い、無断で他政党系VCとコラボ。謹慎処分と、それに反抗しての強引な移籍、乗っ取り未遂。全てが事実かはともかく真実味は十分。記事のコメントもすっかり灯糸の身勝手さを批判するもので埋まっている。いや違う、これはもっとマズい――!


擁護ようごコメントまで過激すぎる……これが意識分断イデオロギーですか?」

[[あぁ、さすが二期生でも優秀だった彼女だ。教えたとおりにやっていて頭が痛い]]


 盲信もうしん的で排他はいた的で、推せないなら死ねと言いかねない雰囲気のコメントは流し読むだけでも不愉快になる。リリューシャをかばっているようで、実際は荒らしと変わらない。

 細かく見れば機械作文だと分かるけど、怖いもの見たさに薄目で読む人にはわからないだろう。


『――ごめんなさいシー先輩。でもあたしはイナバ已亡としてリングに立ちました。一人のVCファンとして、許せないことがあったから』


 リングでは毒霧をぬぐった灯糸が奮い立つ。

 正直、この手のかし合いなら灯糸にがあるし、私も加われば構図的には二対一。そう不本意なことにはならないと思っていたけど。


『本当に? でもリリューシャを大切に思う人もいる。あなたはいちファンとしてより先にそのことを考えるべきじゃなかった?』


〈それはそう〉〈押しかけるのは違うよな〉〈ファンはどうでもいいんかって気持ちは正直ある〉〈事務所の指示じゃないの?〉〈リーク出てるけど大丈夫?〉


 でもそれが二対百、二対千なら? 灯糸を出すぎたくいだと見なす空気は観客リスナーにも広がりつつある。これを覆せるか? 私たち二人で?


[[――提案だけど。WaQWaQ運営に対してやりかえすのはどうかな。ヘイトが向くデマを流してイメージを落とせば、リークの信ぴょう性を下げられる]]


 ひとたび出回った以上もはや真偽は問題じゃない。だったらこの界隈かいわいそのもの、信用するにあたいしないと思わせればいい。塗られた泥はぬぐえなくてもまとめて泥まみれにしてしまえば少なくとも優劣はつかないからと。


「やめてください、絶対に」


 それは嫌だ。やられるぶんには気にしなきゃいい話でも、やってしまったら私は二度とあそこに戻れない。


(……戻る?)


 マジか。まだやりたいのか私。あれだけやらかして、才能を見せつけられたのに。


「ははっ」

[[……どうした?]]

「いや、なんかキレそうで」


 肌がピリピリしている。リスナーをこんな空気にして何が配信者だ。


相手あっちのリークをもっと拡散してください。アイツもそう望んでる」

[[は? ちょっと待ってくれ、おい――!]]


 言い捨ててマイクを切り替えた。やることは初めから決まっている。

 今の私はマスクド・ファースト。このゲームを裁定するレフェリーだから。

 観客に気を取られる灯糸と傾城に割り込んで、手をクロスさせる。


『ファイッ!』

『え?』

『っ! やあああッ』


 即座に反応したのは灯糸。虚をつかれた傾城の後ろへ駆け抜けての大ジャンプ。モンクシューズが青く輝き、その軌跡が流星のごとくコーナーポストを駆け上る。


『ミサイル・ドロップキィィイーック!』


 二蹴りの隕石が傾城を巻き込んでリングへ衝突した。粉塵をはねのけた灯糸がフォールに入る。


『ワン!』

『あたしはっ、自分だけが良ければなんて思えない!』


 そうだいいぞ。せっかく注目を集めておいて言い訳なんて時間の無駄だ。


『ツー!』

『あたしたちは政治家のじゃない!』


 悪評も評というならそれは灯糸の土俵。話題性トレンドのためにナイフ持って人を襲う女だ。視覚アクションが人に訴えることは知っているハズだし、だからこそ私の交戦指示レフェリングに従った。第一。


『ス――』

『しまった、これプロレスだった!』


 傾城がとび起きてあっけらかんと言い放つ。その通り。

 リークだか何だか知らないが観客が爆増してるんだ。止め絵なんて一秒も見せられない。そういう矜持プライドがなきゃ傾城アンタもこんな場所に立ってないだろう――!

 むき出しのハイスリットへ変わった脚線美が逆立ちに灯糸の頭へからみつく。


『【フランケン・シュタイナー】!』


 バク転の要領でそれがマットへ叩きつけられた。バウンドした已亡が【DOWN】の表示とともに沈む。あ、マズい。


『どうだ! けど、これだけは言わせてよ。アナタはやり方を間違えてるし、それに気付けない限りはきっとどんな意見だって通らない。その証拠にほら』


 傾城が灯糸の顔を指さした。受けたのは大技で、なら賭試合コントラマッチによってアバターが変わる。靴と修道服ですでに大部分をチェンジした以上、残るパーツは。

 レスラーが相手のマスクを剥ぐように、自分はイナバ已亡だと言い張る灯糸のストーリーを視覚的に否定しようと。


「――磐座イワクラ――私度僧シドソウ――秘密箱ヒミツバコ――管狐/クダギツネ」


 とっさにイナバ已亡のパーツタグを私は貼り替えた。頭部をすり替えるはずだった命令コマンドは標的を誤り、レース地のアームスリーブが灯糸の腕を飾る。


『ありゃ?』


 指さした傾城の指が所在なく曲げられた。


『そういう年上じみたお説教で――』


 ゆらり、と立ちあがる灯糸。真っ向から行く。


『――得するのはあなたと事務所だけでしょって!』


 正面から傾城の首へ腕をかけ、もろともにマットへ引き落とした。【ネックブリーカー】。さらにそのままグラウンドでの裸絞スリーパーへ。


『誰もやろうとしないから、あたしがやるしかなかったの』


 しめた。ゲームの仕様を知らない荒らし連中のせいで灯糸に大量の声援ブーイングが集まっている。今なら。


『ここはあたしたちの場所。友達は自分で決めるし、誰にも彼女を殺させない!』


 もともと灯糸のキャラクターは抑圧への反抗と相性がいい。論理は穴だらけでも、必ず人の心の何割かはその在り方に共感する。

 何もいられていない人なんていないから。我慢していない人はいないから。

 彼女の中に自分を見る。私みたいに。


『――』


 光り輝くフィニッシュマーク。ぱくぱくと開閉する傾城の口。無駄だ、首を締められているアバターは音声入力を受け付けない。

 あとは私が近づき『ギブアップ?』と訊ねれば自動で決着する。

 そう、しようとして。


「っ、っぁ、あれっ?」


 強烈なめまいに目をつむった。おかしい、足は出ているのに景色がさっぱり動かなかった。脳だけ置きざりでスライドしたような不快感。それどころじゃないと目を開けて。


(やられた……!)


 固まった画面に表示された【MISSING】の文字。

 クラッキング? いや、警戒網に反応はなかった。これはもっと単純な。


「部長ぉっ!」

「うわっなんだいイキナリ!?」


 ゴーグルをむしりとってベンチへ詰め寄った。ノートPCをひったくると機器接続ペアリングを確認する。

 私のデバイス名は……ある。じゃあどれだ、どこが切れてる?


『おりゃっ【サミング】!』

『あうっ、っく……?』


 眼球ゴーグルされて跳びのいた灯糸が、戸惑ったように私がいた場所を見た。

 一転して傾城が仕掛ける。


『友達って、都合のいい足場じゃないんだよ。リューちゃんは自分の不満のために彼女を利用してる』


 連撃。繰り出された掌底しょうていのひとつが灯糸のあごを跳ね上げた。


『実際、ワケわかんないまま巻き込まれたーって思われてるんじゃない?』

「っ、あ」


 それか、そこが狙いか。

 灯糸を衆目にさらしてSNSを炎上させ、ストーリーを疑わせた上で、さらに初代わたしという構図。三方向からの裏付け。

 思いつく限りのステルスアプリのショートカットを叩いた。反応なし。こっちの挙動を邪魔しているのが何か分からない。


「部長、何かしましたか!?」

「わかんないよっトラブルかい? だったら――!」


 配信を止める? ダメだ。視聴者が一気に離れる。それは傾城の描いた関係図ストーリーが事実に変わるということ。否定するなら今しかない。

 コーナーポストまで追い込まれた灯糸の喉へ傾城の両手がかかっていた。


『さぁ反則チョークだよ。どうしたのかなレフェリー?』

「センパイ――!」

「動けないんだ、ちょっと待って!」


 声が拾われなくなった途端に飛んできた悲鳴に気が焦る。考えろ、審判がいなくともロングダウンをくらえば勝敗は明らかになってしまう。


『ねえリューちゃん、いったん落ち着きなよ。ワタシも一緒に謝るからさ。彼女の力になるのはそれからでもいいじゃない』

「っそれで、あなたが代わ」

『ワタシはリューちゃんが不安なときに支えてあげられなかった。それをずっと謝りたくて、だから間違えたリューちゃんをほっとけない』


 灯糸の反論を傾城は気にかけもしなかった。配信に乗らない音に価値はないと切って捨てるように。


〈姉貴もツライ立場なんよ〉〈さすがナチュラルベビーフェイス〉〈;ω;ウゥゥ〉〈マジで一回反省してほしい〉〈やっぱ2月になんかあったんかな〉〈叱ってくれるの貴重だぞ〉


 占める反応は横目にも丸わかりだ。画面端を流れるコメントを意識から追い出そうとして、ふと。


〈あんだけやってここで終わるな〉


 あれ、確証バイアスってやつかな。自分に都合のいい言葉が目につく的な。


〈駆け落ちならちゃんと心中しろ〉〈初代ムを口説いた責任とれ〉


 なんだこいつら。アタマ茹だってるのか? ……ウチの古参だ。イヤ違う違う、そうじゃなくて。


〈絶対謝らなさそう〉〈微動だにしないのふてぶてしくて笑う〉

「ぷっ」


 それな。いるんだアイツにもこういうファン。でも動かないのはたぶんプレイエリアから微妙にはみ出してるからで――、ぁあそうか!

 芝生に立つ四本のベースセンサーを見た。封鎖されたのはPC用のデバイス名じゃなく、手足に貼ったトラッキングシールのシリアルナンバー。これを管理するのはベースセンサーの役目だから、PCからじゃ異常に気づけない。

 だったら……いや駄目だ、結局これじゃ灯糸と私のどちらかしか動けない。

 とにかく私は立ち上がった。その服のすそを部長の手が掴む。


「なんです」

「入れ込み過ぎじゃないかい。あの子はアンタなんて思ってないよ」


 つられてリングを見る。万に一つに賭けて抜け出そうともがく灯糸は、もう私なんてアテにしていない。


「こっちもごめんですよ、そんなの。でもアイツを叩きなおせるのは私だけです」


 部長の手に自分のを重ねて、指をはがす。赤い下唇がぎゅっと噛まれた。


「アンタがやらなくても良いはずだ!」


 自分じゃ腑に落ちていても、人を納得させる言葉にするのは難しい。いや、そもそも言っても無駄なんじゃ? けど。


「……部長が私にVCをやれって言ったとき、聞きましたよね。私じゃなきゃダメですかって」


 目力が一瞬ゆらぐ。


「正直イヤでした。人前で話すのガラじゃないし。始めたら始めたで野次馬が好き勝手に乗っかりだしてやめるにやめられないし」


 フルオープンでいこうと開き直った。言葉裏を探り合うより思ったままを口にした方が、逆に言うべきことを選ぶ余裕になるらしい。


野次馬あいつら、人のこと喋るサンドバッグくらいにしか思ってないんですよ。笑われたり叩かれたりするたびに殴り返してたらイヤでも顔を覚えてくるし。

 腐れ縁なんです、基本。汚い部分を押し付け合ってるから、会えばムカつくけど会わなきゃどっか欠けた気がする。それがイナバ已亡ってVCの距離感で」

「……アンタの愛着は分かるつもりさ、でも」

「いえ」


 そっちはもう吹っ切った。預かったぶんは返せないけど、せめて自分が押し付けたぶんは好きに処分して構わないと伝えたつもり。でも、でもでも。


「まだ一人、殴り返してないヤツいるなって」


 勝手に人を操ったつもりになって、そのくせこっちが距離を詰めたらキモいとかってガチ拒否しやがる。全部分かった気でいるから、意図しない思いを受け止められない。


「私は、私の爪痕いでんしを残したいだけです」


 わからせないと。他人はNPCじゃないし、アンタだってそこまで単純に自分をせられないってことを。開き直って吐き出す弱さが、その我がままさの一番の相棒になるってことを。


「アイツはもうイナバ已亡で、私もそうだったんですよ」


 それさえ伝われば私は、よし引き継いだと胸を張れると思うから。

 配信画面で灯糸が崩れ落ちる。手を離した傾城が鷹揚おうように腕を広げた。


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