✄全部ちょうだい
――社会適応が難しいパーソナリティ障害。
〈誰かいる?〉〈おいすー〉〈おつイム〉〈10人ちょっとかな今〉
――冷酷さ、自己中心、奔放さを特徴とする。
〈二代ムの枠で追い出されたからこっち来た〉〈だいたい皆そう〉〈何言ったんだよww〉〈コメントBAN最近多いよね〉
――最大の特徴は「良心の欠如」、他人の痛みに対する共感が希薄。
〈リスナー層バカ広がったのもある〉〈普通のことしか書いてねえよ〉〈いま誰の配信でもスパムまみれだから〉
――高い自尊心と知能を持ち、カリスマ的な人物が多い。
「……けほ」
〈あ?〉〈音入った?〉〈初代いるって〉〈いるならいるって言え〉
『ん、あー……ごきげんよー、調べものついでにのぞいただけですわ。続けてくださいまし』
〈なんか面白いこと言って〉〈体調なおった?〉〈二代ムの配信みてないんか〉〈声ボソボソで草〉
『〈こんな場末に何の用だ〉って、わたくしのフリーチャットですが? お前らこそセルフ流刑地にここ使うのやめろな?』
〈初期からそうだろ〉〈本配信はキッズ多いし……〉〈インターネット寄り合い所〉〈最近出演なくない?〉〈二代ムと喧嘩した?〉
『すーぐ不仲説じゃんお前ら……タイミングを選んでいるだけですわ。ところで人間性の合わない仕事相手って、どう接すれば良いのかしらね?』
〈逆匂わせやめろ〉〈あーぁもうおしまいだよ〉〈推しカプに爆弾投げるな〉〈感情的にならないこと〉〈そもそも直で言わない〉
『ごめんて。違う違う、二代ムとは…………まぁ、うん、ね』
〈ガチ凹みじゃん〉〈話聞こうか?〉〈やめないで〉〈フられた?〉
『付き合ってねーってば。じゃなくて……〈先にペースを握る〉なるほどね? でも口じゃ勝てませんのよねー』
〈しつこく話し合って折れさせる〉〈二代ムは口喧嘩つよそう〉〈‐‐このコメントはブロックされました‐‐〉〈そもそも何で喧嘩してんの〉
『〈じゃあ暴力しかないね〉て、蛮族おられますわね……決闘でもいたします?』
〈ヤケになるな〉〈本当に大丈夫?〉〈マトモに付き合っちゃあかんタイプよあれ〉〈二代ムがんばってると思うけどなぁ〉〈‐‐このコメントはブロックされました‐‐〉
『うー、まぁあんまここで言うとね……陰口になっちゃうから……やめときます。ではね皆さん』
〈お大事に〉〈もう言ってる〉〈作業中ごめんな〉〈応援してる〉〈やめないで〉
――能力の高さと口の上手さから従属的な人間を発生させやすい。他人とは搾取・被搾取の関係となる。
―――――――――――――
ブラウザを閉じて事務所の時計を見ると21時を回っていた。
もうすぐ灯糸の配信が終わる。待つともなく、先に帰るのも無責任な気がしてぐずぐずと残っている。
「……はあ」
「事務所のPCで遊んでるんじゃないよ」
「おわっ、ぁ、部長」
全部ついていた照明が頭上だけ残して暗くなった。
「すみません。えっとどうでした? 今日の配信」
「人に聞くなら帰りゃいいんだ。……優秀だよ、こっちの要求以上にね」
部長の顔を見るのが後ろめたくて、そのシャツの襟元へ目を向ける。
「コラボのたびに相手のフォロワーを引っ張ってくる。次の選挙じゃ政策支持票よりイナバ已亡の抱え票が多くなるのはほぼ確実だ」
「そう、ですか」
「なぁ止町」
デスクのすぐそばまで来る部長。
「そろそろ聞かせてくれないかい。この半月、アンタが無意味にサボってるなんてあたしは思ってない」
親身な声から逃げるようにうつむいた。
「けど今のままじゃ足踏みだ。上からはイナバ已亡には一人の演者で十分じゃないかとも言われてる」
「それは……」
違う、とは言えなかった。実際いなくても変わらないだろう。灯糸が庇ってくれるかはもう怪しい。
――依炉ちぃあの消息について私が知ったのは【反乱軍】として初配信する直前のことだった。
内部情報の
SNSにも流れた証拠音声は、私との通話を加工したものだった。そんな録音ができたのは一人だけ。
「アタシじゃ頼りないかい?」
「部長……」
つい顔を上げてしまう。差し出された名刺に面食らった。
「前に話したメンタル医だ。専門家になら出来ることもあるだろう」
「ぇ? ちょっ……なんですかこれ、私は別に――!」
自分でもなぜそこまで反応したのかわからない。立ち上がったとき、オフィスのドアがノックされた。
「センパーイ、何してるんですかぁ?」
「っ」
背筋が縛られたように固まる。部長がそれを見て頬を震わせた。
「大事な話の途中だ。ちょっと待っといで」
「部長さん、先方の広報係長がお話したいって言ってまぁす」
露骨な舌打ちひとつ残して部長は部屋を出ていく。
残された私の肩を小さな手が掴んだ。
「お待たせですセンパイ、帰ろ?」
「う、ん」
片付けもそこそこに事務所を出た。途中、にこにこと喋る灯糸から今日の配信について聞く。玄関には無人タクシーがつけていた。
「――で、ステルスしてきたヒーコちゃんを目の前でバチンッて。あれ向こうの配信画面で観たいなぁ、チート疑われてたりして、ふふふっ」
「……」
配車アプリで自宅を選ぶフリをして、コラボ相手のSNSを確認する。ちょうど配信途中に合わせるように内規違反とスキャンダルのリークがあって炎上していた。
「灯糸、これ……」
「んー? あぁ、気にしますねぇセンパイ。向こうだって似たことやってきてるんですよ。どうやって潰したか知りたいです?」
「っ、いい、聞きたくないそんなこと」
「はい、言わないです。センパイには心穏やかでいてほしいので」
労わるような声から顔をそむけた。高速で流れはじめた大通りのライトは、規則正しく数メートル先で夜にのまれている。
「……人を騙したり誰かをハメたり、そういうことをせずに活動できないの」
「無理ですね。言ったでしょう、あたしたちの配信は
「アンタはっ……そんなこと、どうでもいいクセに……!」
対向車線をスポーツカーがすっ飛んでいく。シートへ置いた手に灯糸のそれが重ねられた。
「ありがと。ごめんね、建前ばっかりで」
何に対してのお礼かわからない。どうせまた都合よく解釈したんだろうけど。
柔らかい髪が二の腕にかかるのを振り払えずにいる。
「本当のあたしを知ってるのはセンパイだけだから。そうだよ、本当は政党なんてどうでもいい。ただ安心できる場所が欲しいだけ」
一方的になぞられるだけだった指を浅く絡めた。
「私じゃなれない?」
「んん、こうしてるのは好きだけど。でも一歩外に出ればわかんないヤツらはたくさんいる。その誰にもジャマされない確証があたしは欲しい」
「そんなの……」
無茶だ。引きずり込んで支配することが彼女のいう確証なら。
「本末転倒じゃない。世界征服でもする気?」
実現するのにどれだけの争いが必要なのか。
くつくつと寄りかかった肩が震えた。
「おもしろそう。じゃあセンパイには地球の三分の一をあげるね」
「灯糸」
意を決して向き直る。その身体をできる限りそっと抱きしめる。
「そうじゃない。周りが全部あいまいでも穏やかでいる方法はある。そういうもんだって割り切れば、ほんのちょっとの信じられるものを頼れば」
多くの人がそうしているように。悪意と無関心が大半の世の中でも、小さく平和な世界を持つことはできる。
できるなら、私が。
瞬間、灯糸が隙間から腕を振り上げた。抱いた腕を振り払うように手刀を切られ、弾かれて背中がドアにぶつかった。
「離してください。言いましたよね、あたしからはよくてもそっちからはNGって」
え、マジの護身術された? ショックで半ば呆然と絞り出す。
「ご、ごめん」
「割り切って頼る? 攻撃されたことがないからそんなコト言えるんですよ。平和ボケした頭で勝手に共感しないでくれますか、気持ち悪い」
「ごめんってば!」
耐えきれず大声が出た。ていうかなんでここまで言われなきゃなんないんだよ、心配してんやぞこっちは!
涙目になりかけた私を見て、灯糸が気を取り直したように目を細めた。
「そんなにあたしに触りたいんですか?」
「へ……えっいや!?」
「いいですよトクベツです」
こっちの反論も聞かないうちに、パンプスを脱いだ両足が体ごと私の方へ伸ばされた。
右足が差し伸べられる。
「膝からそっちだけ好きにして構いません。どうぞ気のすむように」
「だ、だから」
浮いたかかとがキツそうで思わず、手で支えてしまう。本当に思わずか自信はなかった。
ストッキングに包まれたつま先と灯糸の顔とを見比べる。
「……おかしいなぁ、したいんですよね? それともあたしがセンパイのことよく
試すような視線。手にした灯糸の体温に重みとしなやかさが加わった。
仕方なく右足へ手をすべらせる。
くりんとしたアキレス腱から指の形に沿うふくらはぎへ。膝の裏までさすってから灯糸の顔色をうかがう。それで?と言いたげな口元。
暇そうに肩口をひっかくつま先からコーヒーを煎ったような匂いがかすかにした。
「やぁだ、嗅がないでくださいよヘンターイ」
「だっ、だって」
「嘘、いいですよー別に。嗅ごうと舐めようと好きにしてください?」
「なっ、だ、そんなこと!」
「ですよね、じゃあ何してくれるんです?」
見透かすような問い。暗にそのレベルのことを求められている。冗談じゃない。
悩みに悩んで、目の前の
「きゃー、えっち。絵面ヤバいですよ、自覚あります?」
抱えた足がおへそのあたりをつついて、浮き上がるような痺れが走った。
「んっ、ふ……っ」
「ほらぁフリーズしないで。してほしいんですか?」
「ち、がう」
ぼうっとした頭を振って細いすねに唇を落としていく。
狂人の真似をすればすなわち狂人という。
「あーぁそんな下まで。情けないセンパイ、恥ずかしくないんです?」
言葉でなぶってくるのは思惑通りにいっているとき。無視して足首から足の甲へ口付ける。
「ねぇ、それって服従のキスですよ。センパイあたしのドレイになりたいんですか?」
キスする部位で意味が変わるらしい。唇同士なら愛情、手の甲なら敬愛とかだったような。
不意に支える手ががぐっと押し下げられた。
「おあずけです」
上げた視線の先に手の甲が差し出されている。過ぎ去っていく街灯を次々と映すそれは小さなスクリーンみたいだった。
「センパイさえよければこっちでもいいんですよ。
本当に悪趣味だ。思ってもないことを、私がそれと気付く前提で振ってくる。ふざけるなと放り出したくなるのをぐっと堪えた。
失敗だったと言ったが一番の失敗は、こうして灯糸を見限れない現状そのものかもしれない。
下げられた灯糸の足指へ顔をうずめるようにキスをした。丹念に一本ずつ、灯糸の描いた予想をなぞるように。
「ぷっ、あはッ、うふふふっ! サイコーですよセンパイ、格好いいこと言っても結局あたしの言った通り」
くすぐったそうに足先がよじられる。親指が私の唇を探りあてた。
「奪われるのが気持ちいいんだ。ガワも中身も、
「っむ、んむ」
固く口を閉じたまま首を振った。
「変態♡ よわよわ自我♡ バーチャル自意識♡」
「むーっ、んんー!」
早く開けろと促してくるつま先を涙目で拒否する。鼻で息を吸うたびに胸の奥で何かがぐずぐずに溶けていく。
ダメだ、と思ったとき。車が停まった。灯糸のスマホから鳴る到着の通知音。
「あれもう着いちゃった。……ふふ、センパイといると時間がすぐですね。残念ですか?」
「ぷはあっ、ぅえほっ……そんなわけない!」
「えぇー冷たぁい。あ、そだ」
言うなり両足を高く上げた灯糸はその場でストッキングを脱いだ。つるりとむかれた太ももが誰に見られたかと慌てて見回す。
「はいこれ、もう履かないのであげます。好きに使ってください」
「いっ、いるかぁこんなもん!」
「あとついでにこれも」
丸まったナイロン生地と一緒に押しつけられたメモ用紙。走り書きにされた住所と部屋番号。
「……病院?」
「センセーがお見舞いに来いってうるさいんですよ。あたし忙しいんで代わりに行ってきてくれません?」
じゃ、お願いしますと返事も聞かずに降りていく。
手に残った微妙な人肌と紙片のするどさのどちらを先に処理すべきか、すぐには判断できなかった。
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