✄こわくない
サイアクな気分。
全部グチャグチャで滅茶苦茶だった。
せせら笑いが、好奇心が、悲しみが憎しみが害意が殺意が――五感すべてにまとわりついて侵入りこもうとしてくる。
耳の孔にむらがる虫の羽音をナイフで切り払った。
(もう少しだったのに)
デバイスを頭ごと壁へぶつけている体はもはや反射だけで動いていて、だから思考はあらぬ方向に飛んでいく。
(センパイのせいで)
第一印象は『思ったより使えそう』だった。
危機を前にしても口を止めないプライド。薄く研がれた紙片のような目つき。
それくらいでないと困る。これからあたしの踏み台になるんだから、と。
大成功ですべては思い通り。初配信はそんなカンジで、晴れて私は誰にも抑えつけられない自由の椅子を手に入れた。
(……あの時だ、ゴルクラのインターバル)
違和感を感じたのはその翌日。
――もうファンになってるから、私は。
理由のわからない好意は悪意よりタチが悪い。差出人不明の贈り物みたいなものだ。もちろん受け取り拒否した。
その点、利得ずくという部分で
――は? やだキモい。
筒火の、なんの理屈も見えない好意に、ヒいた気持ちがつい口をついた。
お人好しなのは確かにそう。こじれた性癖らしかったから誘惑して気も持たせた。けどそれにしたって。
馬鹿なのかプロ意識がないのか、あるいは本当にキツめの性的嗜好なのか。自分に寄り添う理由を考えようとするとあの、紙片の目が立ちふさがる。
まるで自分が消えてなくなったあとを見据えているような。最期のワンフレームで差し違えようとするような。
今ならわかる。会った最初に消すべきだった。
「あぁあうっるさぁい!」
視界を覆う真っ黒な血から腐った腕が伸びてくる。足元を不快な粘性のものが飲み込んでいく。やみくもにナイフを振り回すも、ぐちゃぐちゃしたモノが集まったそれらの一角すら消しきれない。
「なんなのウッザいバッカじゃない!」
なぜ他人にそこまで執着できるのか。悪意を、欲を、この広い世界で偶然すれ違ったというだけで。
――きみが愛しい。
――あなたを誇らせて。
――てくびをきりました。
――勝ってよ勝たせて。
ひとつひとつは
どうして耐えられるだろう。体には十も穴が開いていて、寝ても覚めてもよくわからない
ニセの身体とウソの言葉でごみの山を歩きながら、それらを仕分けていく。使えるもの、ぎぃぎぃうるさいもの、毒を漏らすもの、崩れて落ちてきそうなもの。整理すれば少し静かになって、手に入れたものは次の整理に役に立つ。ハック&スラッシュは生産的で、
「捨てて――やるっぜっ――たいッに――ッ!」
無限にごみを噴きだす穴になった
勘違いしないで。あたしは望んでこうしてる。あなたに
台無しになんてさせるもんか。踏み台らしく頭を下げてよ。認めないなんてそっちの勝手。でもだったら泣いて悔しがって消えちゃえばいいでしょ。
何を背負わせたつもりになってるの。私はミリも心を動かされてない。
何を視ているの。
わからないけど、わかる。周りの雑音と熱があなたへ吹いているのが。
あなたが持つそれはきっと、世界を仕分けるために役立つもの。なら。
「使って、つ、かって使いツブして、
最初からそれが目的だった。それを諦めた瞬間あたしはあなたに道を曲げられるから。
だから手を伸ばす。抱きしめる。撫でて蕩かせて、あたししか見えないと言わせてから殺そう。自爆趣味の可哀そうなセンパイ。
あぁ、でも。でもでも。
「う、っぶっっ、ぅえぇ……っ……ッあぁあぁ!」
人の多さが気持ち悪い。距離の近さが気持ち悪い。自分じゃない感情が、妄想が、欲望が羽虫みたいにじぶじぶと耳の奥から
生ぬるい声が、くさい動きが、
ナイフを振るう。ぐちゃり、とひときわ不快で重い音がして。
『こわくないよ』
「っ、ぁ」
『こわくない』
その手ごたえの先にあるものに気付いた。
◆
―――――――――
――――――
―――
――、
ぐちゃり、と。
もがいた先でした音にハッとする。
それはたぶん判定の接触音。腐って溶け落ちた指先の製作者がつけたサウンドエフェクト。悪意に満ちたウィルスだろうと創意工夫はあるもので、私はそのディテールについ口端を上げてしまう。
視界はケミカルドラッグじみた前後不覚だけど音は拾えている。もし今のが他アバターとの接触音なら。
(確か、このへん、で、――ッ!?)
銀光が閃いた。手さぐりに伸ばした腕が輪切りに切って落とされる。
間違いない、そこに
ずるずると戻ってくる腕。私はふき出した。すごい、どんな
お前も。ゲル状になって無限に流出をくりかえす下半身。あぶくの混ざったスライムっぽいそれは、この
ユニークで、こんな状況じゃなければ
作り手の声が聞こえてくる。
――誰でもいいから滅茶苦茶にしたい
わかるよ。むしろよく知らない相手の方が
――お前が消えろ、裏切り者
ごめん、人違いなんだ。大切だったんだよね、同情する。
――死ね、死ね死ね死ねシネ
いいよ。でも本当にそれで満足? 私はあなたの
知覚限界をこえて
今なら、例えば。
(許して、ほしい)
取るに足らない自分を。無力だった自分を。撒き散らすしかできない自分を。それから。
(他人とアンタ自身のことを)
お願い。そりゃロクでもないしよくわかんないよ。でもそれは誰にだってそうで、特別なことじゃないはずで……あぁもう、しょうがないな。
水アメみたいになった足をこいで進む。アバターの接触音をたよりに灯糸の位置を探る。あたりをつければ簡単だった。
ざくざくと私を切り刻んでいたナイフがいよいよ胸の深くをえぐりとる。構わず一歩先の空間を抱きしめた。
「こわくないよ」
『ぁ、っ』
わかろうとすることを諦めないで。それはアンタにとって特別ムズいことなのかもだけど。
「こわくない」
意地をはれよ。さっきのスンとした顔はどこいった。考えてたのはどうせロクでもないことだろうけど、これで終わりじゃないってのは共通認識でしょ?
(さすがにこのアバターはもう……おしまいっぽいけど)
ボーンも視点情報も切り飛ばされた。関節も視神経もなくなったポリゴンの痕跡。真っ黒に抜けた人型が棒のように倒れる。その瞬間。
(……鐘の、音……?)
響く高く澄んだ響き。もはや動かない首を持ち上げようとして、視界が復活していることに気付く。何が起きたのか理解するより早く、背中のあたりからオレンジの炎が噴き上がった。
――
不死鳥が渦巻く汚泥を焼き払って飛翔する。晴れた視界で私たちは至近距離で見つめ合った。
『え? っと……センパイ、ですか?』
自身を見おろす。
「これ、リスナーメイドのファンモデル……なんで……?」
いくらか前『冠婚葬祭ひと晩で全部やる』という企画で送られてきたアバターだった。配信ではありがたく使わせてもらい、企画のあとは婚期ネタでこすられるのが面白くなくてしかたなくお蔵入りにしていたもの。でも細部はブラッシュアップされているような。
『ここ、は……ぁああっそんな……っ!』
見回した灯糸が悲鳴を上げてへたり込んだ。
つられて見上げる。不死鳥が晴らした夜空には星の光が満ち、その下をたくさんの飛行物体が飛び回っている。UFOにドラゴン、人型のアバターからスパゲティの大皿まで。
地上も似たようなもので、無数のバカバカしくて雑多な建物が生えては別の建築に
「そっか……
アンチコミュへ貼られたURLを、誰かが配信コメントに転載でもしたんだろう。
それは例えば汚泥ごと私たちを焼き払い、新しいアバターとして再誕させることだって。
「っぷ、クク、おーっほっほ! よくってよ皆さん、今夜は
バチッと全身にノイズが走った。知らないアドレスからブチ込まれたワクチンがデバイスを
街のはずれで轟音とともに砂煙が巻き上がった。
「やった治っ……げえっ
巨大な少女のヒトガタがゆっくりと迫っている。誰がラインを越えたのか、その四肢に触れた建物は片っ端から見るも激
「おっおま、おままお待ちなさい、そこまでやっていいとは――!」
『くわーっ! フッザけんなぁ!』
光の伐撃が飛んだ。デッドコピー
『いーま暴れてる人たちぃ全員5分キック! 反省しろぉ!』
同じように復活した灯糸が仁王立ちで空を睨んでいた。
黄金の矛斧がかざされると無数の撃墜光がきらめく。
『ふんっ』
「へーぇ、意外と有情なんだ」
冷えた眼光が真正面から刺さった。
『べっつに。元凶と、悪ノリしたバカの区別くらいつくってだけだから』
ぽふっ、と花びらが散ってその着物がウェディングドレスへ上書きされた。ギリ、と歯の
『そっ、のバックドアさっさと閉じてよ!』
「あぁゴメン、はいはい」
灯糸の言葉に反応したのか駆けこむようにオブジェクトが乱立する。
「……あれ、止まんないな。よくわかんない」
『はあ!?』
「閉じてるはずなんだけど。ワールドのどこかに複製されてるかも」
『なっ、そん……っもう配信やめる! 切るからねみんな!』
「まあまあ」
宙に向かって何か操作しようとした灯糸の視線へ割り込んだ。
「よろしいんじゃなくて。どうせ今日はもう大事故ですし」
『近いですけど!? 誰のせいだと……!』
ひときわ高く響く鐘の音。
ていうかさ、アレを無視するのは配信者としてどうなの。意識低くない?
「仲直りのお
セントラルストリーマービル。灯糸の
『わ、わぁーなにコレ、ゼンゼン気付かなかったぁ』
――黙ってください何させる気ですか。
「ふふふ、調子が戻ってきましたわね新人。さぁ」
考えろ、と腰へ手を回して覗き込む。
他人が何を望んでいるのか。その上で自分が何をしたいのか。曲げられた道は不本意なばかりじゃない。コンピュータだって
『え~なんですかぁ、言ってくれなきゃわかんなぁい』
――別にいいですけど、でもあたしが上ですから
「んなっ、アンタこの期に及んで……しかたありませんわね」
んん゛っ、と咳払い。
「……新人、わたくしのモノに――なぅいっ!?」
いきなり画面いっぱいになった灯糸の顔にのけぞった。
『何か言った? センパイがあたしのモノになるんだけど?』
「この、人が
『えぇーひょっとしてまた
「違うし言葉選べよアンタはさあ!」
ひゅぱっと首に何かが巻き付いた。伸びた革ひもの先を灯糸が握って引っぱる。
『んじゃーせっかく改築してもらったしぃ、内覧でもする?』
「ちょっやめなさい! バカ、新人!」
犬でも連れ歩くようなスキップについていく。純白のドレスの
『しょうがないなぁ
――あぁ、なんて。
はずむ言葉と、その副音声。
『あたしがいなきゃ歩けもしないんだから』
――子どもだましな世界。
白亜のアーチをくぐればそこは青空と花畑のスカイドーム。土になじんだ大理石の道が、タワー最下部をなす古城の礼拝堂へと続いている。
「素敵よ、
『ふんっ知ってるしぃ』
灯糸が歩調をゆるめた。私はその隣へ追いつく。
彼女のヴェールにつもった花びらを、そっと手で払った。
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