卒業のち、世界の為のざつだん。

みやこ留芽

✄変わらぬご愛顧をお願いします


【バーチャル・シビリアン〔イナバ已亡 -イム- 〕の活動について】


 日頃より〔イナバ已亡 -イム- 〕を応援いただきありがとうございます。

 このたび東北のちから党は203▯年11月19日をもちまして東州新民党と合流し、いっそう皆さまの生活を良くするべく邁進まいしんしてまいります。

 つきましては運営の見なおしにともない〔イナバ已亡 -イム-〕のトークスタッフを変更いたします。

 皆さまと政党とのかけ橋となるべく、今後とも努めてまいりますので、変わらぬご愛顧のほどお願いいたします。


 東北のちから党 広報部




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―――

――


 雨粒が頭上で跳ねては落ちていく。

 ビル街の裏路地。

 ここ半年、私のバーチャルとリアルが切り替わり続けた場所。

 薄いまくをくぐるような錯覚のあと、夜空を流れるコメントを追った。


〈声かわるってマジ?〉〈告知ってなに?〉〈声優交代か寂しい〉


『……こほん、ごきげんよう』


 マイクをいれて会話に入っていく。

 頭上に開いたスクリーンでは、黒髪キツネ耳の3Dアニメキャラが私とシンクロするように傘をさして歩き始めた。見慣れたライブ画面。


〈ごきげんよう〉〈急に始まるじゃん〉〈有終ゆうしゅうの美か?〉


『いつも美しいだろうが! えー、大地にあふれる雇用増大のヒカリ☆ 東北のちから党応援VCのイナバ已亡ですわ! ……まず報告ね。もう知ってる小狐さんは他のご用事でもなさっていて?』


 お決まりの口上のあと傘の持ち手をフリックする。政党の告知文が空に浮かび上がる。


『しかじかですの。イナバ已亡は活動を続けますが、これまでとはちょっと声と性格が変わるかも、ということですわね。ご承知?』


〈イムの中の人変わんの?〉〈承知ー〉〈挨拶だっさ〉〈しゃーなし〉〈最後くらい雇用増大しろ〉〈東北も属国化か?〉


 言いきって、重くならないよう切り替えた。


『なんです? 〈次の就職先は?〉生々しい話はやめてよ!? まだ広報部職員だわ!』


〈冷たくしてごめんな〉〈うちの押入れに住む?〉〈キツネ小屋注文した〉


『はいはい。わたくしこれから地底のタワマンに帰りますので。道すがらならお話してあげてもよくってよ――〈調子に乗るな〉ヒドくないか!? 卒業やぞ!』


 コメントに返しながら配信へ意識を切りかえていく。

 地方政党の広報事務だった私が、マスコットキャラの声役なんて業務をあてがわれてから二年と少し。週二回、三回と続いてきたルーティーン。


〈タワマン(ユニットバス)〉〈他のVCから連絡あった?〉〈実は好きだった〉


『〈初代ムも忘れないよ〉もう差別化が始まっている!? えー〈次の人はどんな人?〉いやー分かりませんわね。わたくしもついさっき知らされたものですから。というか急すぎますわよね常識的に考えて』


〈所詮いちスタッフ〉〈次の人も可愛い子好き?〉〈俺も昨日クビになったからさ〉


『〈政党批判か?〉違いますけど!? げ足取りはやめてくださいまし! ――〈保守派との合流だからレズキャラがマズかったんじゃ〉なるほど、一考ですわね。ですがわたくしほどのパーフェクトお姉さまともなると可愛い小狐さんたちに慕われるのは必然でして……あなたがた〈調子に乗るな〉だけ異様にコメント早くありません!?』


 うまくやれている。言われたとおり有終の美だ。楽しんでやってきたのだから最後まで好き勝手やって終わりたい。偉ぶった爺さんがボヤいたお題目だいもくに左右されるんじゃなく。


〈隣に立ったら誰かいるんだが〉〈正面に赤い人いない?〉


 私が歩く景色をデフォルメ空間化して共有する【イナバ已亡の帰り道】にアクセスした視聴者からのコメントが目にとまる。視線を下げた。


『……うわっ』


 いる。本当に。

 目深まぶかにかぶった赤いレインコート。距離にして三十メートルほどに立つ人影。それを視界に入れたのと同時、ハッキング防止用のガードウェアが立ち上がっていた。


『っ、クラッキング? ちょっと、イタズラならやめてくださいまし』

〈知らんが〉〈地声出てるぞ〉〈不審者っぽくね?〉〈配信閉じろ〉


 赤い人影が近寄ってくる。


『ちょ……』


 とっさに手にしたビニール傘を相手へ差し向けた。裏地うらじに向こうの景色とその付帯ふたい情報が重なって投影されている。アンブレラ型複合現実 M R デバイス、そのスクリーンには今もコメントが流れていた。


〈ガチ?〉〈逃げたほうがいい〉〈電源切れ!〉〈通報した(してない)〉


『しろ! ていうかお前ら邪魔!』


〈傷つく〉〈は?〉〈キャラ守って〉


 デバイス負荷が見たことのない数値まで上がっている。後ずさりながら不審者を観察する。表示されたユーザー名は■■■■、おそらくマイナーな機種依存きしゅいぞん文字が潰れたもの。


(こわいこわいこわいマジなヤツ、死?)


 プライベートを配信しつつも油断していた。自分に何かされる価値もないだろうと。

 でも、もしイナバ已亡に執着する人間がいたなら。今回の異動はきっかけになるんじゃないか? イカレアンチの動機なんて知らんけど!


(目的はデータ? だよね? クラックしてきてんだし。だったら……!?)


 党の防諜ぼうちょうマニュアルを思い出すより早く、不審者がレインコートから光るものを取り出した。刃の背がギザギザとしたゴツいナイフ。


『』


 頭が真っ白になる。嘘じゃん。

 二十数年まっとうに生きてきたんだ。交番だって筋違いにあるんだぞ。


「イナバ已亡」


 茫洋ぼうようとした声が路地に響く。少年とも大人の女性ともいいがたい、あるいはどちらの特性も備えているような。

 悲鳴を上げなかったのは最後の引き金になりかねない気がしたから。


『ぶ、VLSが作動中です! よ!!!』


 かわりにデカい声で警告する。Vital Link Security。身体情報をモニターして、被害と同時にデータをロックする保護機能。ただ、居眠りまで〝軽微けいびな意識障害〟としてログに残るのが嫌で、今のセキュリティレベルは最低の〝心停止時〟だ。

 赤いフードが下げられる。内側がスクリーンになっているのが見えた。あれもデバイスらしい。

 先端をつまんだ指は子どもっぽいオレンジのマニキュアで塗られている。


「そう」


 ナイフを持つ腕が下ろされる。ハッタリが効いた?

 ふ、と丸い頭が沈み込んだ。


『……ぁ? っうわ!?』


 直後には目前にある。瞬間移動のように。


「なら、こう」


 同時にナイフがひらめいた。傘型のスクリーンが骨と骨の間を裂かれて一角ごとブラックアウトする。


「命令実行/インストラクション――」


 生き残った液晶にも強いノイズが走った。ナイフの刃にかれたみぞにセンサーが見える。侵入させたマルウェアからの信号を受け取る特殊なクラックツールだ。

 パーツの発する電磁波か画面のわずかな明滅か、ともかく私のガードウェアはそんな盤外ばんがい戦術に対応できない。


「――Longinus/ロンギヌス」


 レインコートの背後に光の柱が現れる。道に浮かんでいたAR標識ひょうしきも広告バナーもすべて、圧倒的な白に塗りつぶされて見えなくなる。


「消えちゃえ」


 白光が十字に収束し、掲げられる片腕。応じて逆回さかまわしの処刑槍がこちらへ疾走はしった。


『っ、――管狐/クダギツネっ!』


 反射的に叫ぶ。傘の持ち手がでたらめに振動する。かかとが縁石えんせきにひっかかって尻もちをついた。


「……」


 フードの暗がりが私を見下ろす。

 ぎりぎりでセーフモードに移った雨傘デバイスはネットワークを遮断した状態で転がっている。

 名残なごりのように一匹の小狐がスクリーンを横切って、消えた。


「っ今、アンタのを書き換えた」


 MRが世界に広がってから十数年。日々アップロードされる無数のデータは現実リアルを覆う地層に等しい。標識、看板、イベント用キャラクター、子供のラクガキや意味不明な制作物。

 積もったデータが表示先を探すために参照するのがタグだ。例えば私には【20代女性】【会社員】【VCivilian】とかのタグが着いている。プロフィールや関連表示サジェストによるもの、任意で着けるものまで様々。氾濫はんらんするデータは幽霊みたいなもので、タグでターゲットすることによって初めて読み込まれる。

 切断の直前、奴に押し付けたのは【イナバ已亡の帰り道】タグ。


「今、ここにえてるのはアンタの何?」


 状況は最悪だ。デバイスはお亡くなり、相手にはナイフ。私は手もなくやられるだろう。でも。


「わたくしに、アナタは何を望まれて?」


 震えるのどを抑えて声をつくった。視えているハズの、固まった私の半身アバターにふさわしいように。

 睨む。呼吸すら見逃さないよう。

 冷静じゃいられないはずだ。こんな真似をするからには何かしら執着しゅうちゃくがあって当然。 

 怒り? 悲しみ? なんなら劣情でもいい。そそがれる情念の正体さえわかれば、ならしかたないと嘲笑わらって諦められるから。


 理由を。せめて痛みに意味を見つけられるように。

 爪痕を。お前が殺し私が死んだと分かるように。


「…………ふ」


 ……あ? 今こいつ鼻で笑ったか?

 あっけにとられた一瞬、襲撃者は身をひるがえした。

 平穏だった通勤路に現れた通り魔は、コンクリートを跳ねる雨粒にまぎれるように姿を消す。

 じわり、と座り込んだ地べたから雨水の冷たさがしみた。


「……なんだっての、」


 あふれていたアドレナリンが嘘のように引いていく。残ったのは今更の恐怖と、謎の屈辱。


「なんだってんだあっ!」


 叫んだ私は逃げ帰った。地底のタワマンではない、1DKのアパートに。


〈逃げて〉〈はやくニゲろ〉〈戦うな、馬鹿〉


 配信画面はそこで固まっていた。


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