✄寂しくないなら

 寝不足の脳を事務所まで運ぶ。

 つくなりデスクに突っ伏した。地方政党〔東北のちから〕は潰れた土建会社の社屋を居抜きで使っていて、秋も終わるというのに換気の真っ最中だ。

 寒さにちぢむ肩を大きく節っぽい手が叩く。


止町やみまち、昨日は災難だったね」


 視界にかかるウェーブ髪。見上げた私のうつろな目がノーフレームの眼鏡に映りこんでいる。豊かな唇とまつ毛は見る人にまで活力を吹き込むよう。同じ性別とは思えない隆々とした筋肉がスーツを美しく盛りあげていた。


「ぶちょ~……」

「ホラ、しゃんとしな!」


 後ろ首をもむというより掴まれて強制的に目線が高くなる。ひぎぃ。


「面談室」

「うぅ、はぁい」


 登美コハル広報部長は御年おんとし41。そのうるわしさは目の保養っちゃ保養だが、ぐあいの悪い朝などにはむせ返しそうになる。私みたいなと違う生粋のレズビアンで、広報部のアマゾネス・クイーンと称える声もでかい。

 2階の事務所から下のパーテーションスペースへひきずられていくと、長机で向かい合った。


「昨日の配信だけど。おくら入りにして解析に出しといた。けどネットには出回っちゃってるね」

「はい、確認してます」


 昨夜逃げ帰りながら。部長に半泣きで電話すると、警察へはこちらで対応するからと気を遣ってくれた。帰宅して戸締りをして、電気を全部つけシャワーも浴びず毛布にくるまって海外ドラマを流していたらいつの間にか寝落ちしていた。


「不審者の顔だけど、ノイズ光源が強すぎて映像じゃわからないらしい。レインコートが欺瞞ぎまん装置だろうってさ。背格好から追跡されるだろうけど、警察待ちだ」

 ――あまり期待できないけどね。


 副音声のように、言われてもないひと言が聞こえる。まあそうだろう。


「デバイスの記録ログを見せてくれる?」

「はい。昨日からそのままで」


 再起動しないようにと厳命されたそれを渡す。大きな裂け目のあるビニール傘を部長は広げると、どこの子供部屋から発掘されたかというようなゴツい旧式のタブレットと繋いだ。生白くチラつく画面をしばらく凝視して、ふうっと息を吐く。


「どうやらアカウントは守り切ったね。配信が切れたときは肝が冷えたけど」

 ――アタシの首もつながった。


 勝手に表情から読みとって肩身を狭くする。


「ゴ迷惑ヲオカケシマシタ」

「それを言うなら心配だろ? まったく」


 いつからか人の言葉裏ことばうらを読むのが癖になってしまった。うっかり人気商売なんかに片足を突っこんだせいか。


「相手のガードウェアはLonginusロンギヌス、ね」

「そう言ってました」

「業界最大手RAGNAラグナのハイエンドバージョンだ。企業でも丸ごとライセンス契約をしてるところはそうない」


 しょっちゅう過剰防衛かじょうぼうえいで訴えられてるからね、と補足。

 ネットバンクや仮想通貨、近年ではMR領域の拡大により、個人資産における情報バーチャルの割合は増大した。盗用・改ざんするクラッキングが横行し、ともなって対抗するセキュリティプログラムも進化した。

 私が大学生のころ、合衆国のエンジニアがクラッキングに対してクラッキングを仕掛けるアプリを運用して訴訟そしょうされ、逆転無罪になった。生命という不可逆な資産について正当防衛が認められるように、現代においては情報資産も相応の防衛理由を認むというのが大枠だった。

 セキュリティ企業が昨今きそって開発するカウンタークラックソフトウェア群、をまとめてガードウェアと俗称する。


「犯人は国や大企業ってこともあるかもね」

「……まっさかぁ」

「アタシもそう思いたいよ。そもそも不正利用してる時点でマトモじゃない」


 当然というか、攻撃能力を備えたことで一方的なクラッキングに悪用される事例もままあった。


「けど、どっちにしろ配信はもう控えた方がいい。スタッフ交代も近いことだしね。急な話だけど」


 お疲れ様、と大きな手が両肩を包んだ。つい物言いたげな目を向けてしまう。


「言いたいことはわかるよ。ハンパをしたくないんだろ。あれで終わりじゃ本当に殺されたようなもんだ」

「……はい」


 ハッキリした言葉がモヤモヤを形にする。


「せめて区切りをつけさせてもらえませんか、もう一度配信で」

「いいだろう」


 え、と顔をあげると美丈夫びじょうふ然とした上司はフンと笑った。


「当たり前さ。党が合流しようが事務所も広報も残るんだ。明るい再出発イメージのためのリニューアルだってのにケチつけられたまま引っこめるもんか。もちろんアンタにやる気があればだけどね」

「わ、私のキャラが先方にそぐわないからじゃなかったんですか?」


 誰がそんなこと言ったんだ、と部長は眉を逆立さかだてた。不覚にもちょっと泣きそう。


「まず無事を告知する。で、事務所スタジオで新スタッフのお披露目と合わせて卒業配信。それでどうだい」

「つまり、配信上でバトンタッチを?」

「そうなるね。二つの声があたることになるけど、初代に押し出してもらえば二代目もやりやすいだろう、どうかな?」


 異論はなかった。さすがにもう帰宅途中の配信は怖すぎるし、終わりが決まっているのに何度も顔を出したら未練が残るだろう。

 本当は交代の話自体がなくならないかと、ちょっとだけ期待したけど。


「それでいいです」

「決まりだ。昨日も聞いたけどあらためて。仕事は続けられそうかい?」

「……! それはもし無理ですと言えば何かしらの有給制度がっ?」

「おバカ。当たり前さ、話の早いメンタル医を紹介しようか?」

「ふおぉ、ついに私も不労所得者に……!」

「なぁに、ちょっとアタシの評価にキズがつくだけだ。気にしなくていい」

「じょ、ジョウダンですよぉ」


 長いまつ毛の下からすごまれてのけぞる。ふぁさりとそれが一度閉じ開きした。


「本当に?」

「……まあ。ぶっちゃけ家にいる方が不安ですし」

「帰りたくないならウチの部屋を貸そうか?」

「ひぇ」


 口から出そうになった何かを飲み込む。

 部長はおかしそうに喉を鳴らした。


「実家のアパートだよ。安心しな、弱った女は趣味じゃないんだ。アンタは可愛いけどね」


 うっく、よーしよし。部長のイケ女オーラを受けとめられるくらいには持ち直してきたぞ私も。


「セクハラで訴えます」

「好きにしな、寂しくないならね」

「……」


 児戯じぎのごとく受けられて赤面する。ちっ、自分が私の職場での安全地帯だからって。


「わ、私の百合はお仕事なのでぇ、部長のご好意にはおこたえしかねますぅ」

「ふぅん。まあ性自認なんておのおののタイミングでするもんだ。大丈夫なら仕事の話をするよ」


 含みしかない言い方をして部長はイスに座り直した。どういう意味だ、あっつ。


「さっそく引き継ぎにかかってもらう。新人といっても配信経験はあるから、機材の構成やデータの共有から始めていい」

「もういるんですか?」


 うん、と部長が腕時計を確認する。ちょうどパーテーションがノックされた。


「入っていいよ」

「失礼しまーす!」


 ホワイトベージュの髪がお辞儀じぎの軌跡となってきらめいた。甘いアニメ声と真新しいスーツのシルエットが結びつかず脳がバグる。


「よく来たね。彼女が先任の止町。この子は――」

皆久地みなくち灯糸あかし、ですっ。よろしくお願いしまーす!」


 ぱっと見で高校生くらいにしか見えない少女だった。あどけない笑みとともに差しだされる手。深く考えずそれを握る。


「は、あ、止町やみまち筒火とうかです。よろしく……新卒採用?」


 にしたって若い。さざ波のようなセミロングヘア、くりくりとした目は恐れ知らずな飼いネコみたいだ。


「ええ、まあ。……んー、よく見たらフツー? もっとカッコ良かった気がしたけど」

「ん?」

「あは、ううん、あたしは」


 言葉が区切られる。ネコの目がじぃっとこちらを覗いている。

 すり、と手の甲をすべる親指。わずかな目の動きにうながされて視線を落とし、ひゅっと喉がちぢんだ。

 子供っぽいオレンジのマニキュア。親指だけがわざと落とさなかったように塗ったままになっている。

 ざあっと引く血の気。昨夜の記憶がフラッシュバックした。


「っアン――」

「皆久地くんはもともとバーチャル・シビリアンでね。東州新民党VCリリューシャ・ウォン。覚えているかい?」

「――タ、はぁ?」

「そうなんです。ふふ。ほんとにイムちゃんなんだ。なんかヘンなカンジだね」


 待てまてまて、多い、情報量! ええとまず――、


「コイツです! はんっ……!?」


 指さしかけてすんでのところで折り曲げた。少女の手がタイトスカートに伸びている。グレーの生地に浮き上がる刃渡り20センチの凹凸。

 ――いま言うんだ、と確かめてくる目。


「はん? どうした」

「いっ……やぁ、ハンターランクがキモいくらい高かったなって……」

「えー? 集会所も開けずに来たイムちゃんのが終わってたよね?」


 ころころと笑う皆久地灯糸。遠ざかった殺気につい息を吐く。

 リリューシャ・ウォン。東州新民党のお抱えであり人気を席巻するVC集団【WaQWaQ】のシビリアン。私が東北の片田舎でにわかVCを始めて少ししたころ、大規模ゲームセッションでチームになったことがあったはず。


「あたし、あれからイムちゃんのファンでねっ、めっちゃ配信みてたの!」

「は……ぁ? へ、へぇ、そうなんだ、ふーん」

「照れないの。可愛いじゃないか」

「いやあの」


 実際は得体えたいの知れなさにヒイただけだ。

 皆久地灯糸の喋り方はキャラクターのままだった。プロ意識か、それともリアルとバーチャルが地続きなのか。……後者のような気がする。だってこいつは。


「リリューシャはどうしたんです? 活動休止なんて話は」

「昨日づけで告知が出てた。界隈はちょっとした騒ぎだ。昨日の事件と関係がある、なんて馬鹿な勘ぐりをするやつまでいる」


 わぁい、ドンピシャぁ! そいつらに直感1000000点あげたい。言い当てたところでこのピンチは変わらんけどな! ホント役に立たんなあいつら!


「事件、て。何かあったんですか?」


 顔色ひとつ変えず小首をかしげてくる。そう、リリューシャはこういうキャラだった。『頑張り屋なシスター見習い』なんてキャラ設定のくせに息をするように嘘をつく。何が、なんて聞くまでもないくせに。

 昨夜のことを説明した部長が、もちろん、と付け加えた。


「――今後の活動は慎重にやる。皆久地くんに関しては東新党からのお客さんみたいなものだからね。しばらくは様子見するから安心しな」


 いえ、と皆久地灯糸は頭を振った。


「もしリリューシャに何かあったとしても党には模範もはん的で優秀なシビリアンが多く在籍してます。あたしの役目を奪わないでください」

「……役目ねえ。そりゃアレかい? 遅れて合流した外様とざま政党をキッチリ叩いてカタにはめようとか、そんな話かな?」


 おつかいの子にたずねるように部長は返す。目は笑っていない。


「そんな、あたしはお二人やファンをないがしろにするつもりはありません。協力してより良い形で政治への関心をつくっていければと思ってます」

 ――政党うえの考えまでは保証しませんけど。


 さも子どもが懸命に誠意を伝えようとしている風。副音声は私の深読みか、いや。

 部長はほだされた様子でハリのある頬をゆるめた。


「そうか、勘ぐりして悪かったね。こっちとしても票がとれるなら東新党に従うよ。そのための合流なんだしね」


(……あぁ、それで)


 今さらに理解する。なんで彼女なのか。


(関係ないんだ、私のカラーなんて)


 ただ地方政党が大政党にゴマをするためのスタッフ交代。そちらの色に染まりますという意思表明。


(選挙前のこのタイミング、で)


 こみあげたものを飲みくだす。胃まで落ちると楽になった。決まったことに反抗したって苦しいだけだ。


「お心遣いに感謝します。もし時間があるなら党の歴史をあらためて勉強させてください」

「ははっ、じゃあ代わりに止町は社交辞令でも教えてもらいな」


 どういう意味だ。社交性のかたまりですが?

 ……待てよ、これはいわゆる悪運かもしれない。コイツを突き出せさえすればバトンタッチの件も消えるんじゃないか? 送り込んだスタッフが出先で事件を起こしたとなれば。


「わっ私お茶いれてきます!」

「いえ、お構いなく」

「遠慮しないで、ね?」

「ロコツだねえ。ま、飲んでやってよ。そんなことでも滅多にやらないんだから」


 トゲのある部長のアシストでなんとかブースを飛び出した。


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