✄ボロボロじゃないですか?

 なぜか都合よくやってきたタクシーへ私たちは飛び込んだ。

 すぐに車窓は後ろへ流れはじめる。隣におさまった灯糸がわけ知り顔だったので、もうどうにでもしてくれと復旧にかかった。


「うわ、スマホ死んでる」

「あたしもです最悪」


 事務所のLANに繋げていたせいだろう。こっちまで気にする余裕がなかった。ひとまず座席の真ん中に二人して冷ましておく。


「ボロボロじゃないですか、あたしたち?」

「無茶ぶりしてきたのはそっちでしょ」


 ウィルス検出ログと接続口ポートのログを照らし合わせ、どこから攻撃を受けたのかチェックする。相手のアドレスは当然偽装されていて、ログもデタラメに改竄かいざんされた跡があった。

 コンピュータウィルスにもワクチンが必要で、防御側が適切な発見と排除をプログラムしていなければ被弾する。異常な接続と改竄のあとは弾痕だんこんであり、相手に傷一つ負わせられなかったことを思えばそれは。


「負っけたぁ……」


 助手席の背後へ突っ伏した。ぼしゅう、と湯気すら上がっている気がする。ボンヤリした視線を感じて隣を見やると、眠そうな灯糸が言った。


「センパイってアレですか、スーパーハッカー的な?」


 レインコートは畳まれて膝の上。ここは彼女にとって安全地帯らしい。

 皮肉が刺さったことを悟られたくなくてマジレスした。


「自分でプログラムを書けない奴はお子様パスタスクリプトキディっていうんだよ」


 ガードウェア、山海妖経は拾いものだ。VCを始めた頃、たまたま一時だけ公開されていたフリーのセキュリティモジュール群。本来そういうことに金をかけないのはバカだけど、当時は機材一式とアバターひとつでカツカツだった。フタを開けてみれば案の定、どこかの誰かに向けたバックドアを作るオマケつきだったので、その穴を塞いだうえで使い続けている。


子供キディってトシじゃ……いやっでもあたしのガードウェアって結構お高めのやつなんデスケド。さっきのも何で防げたのか知りたいデス」


 睨みつけると灯糸は露骨に話をそらした。自分でもささくれてるなと思いつつ助手席のヘッドレストにおでこをもたせる。


「……相性かな。高いガードウェアって攻撃方法の更新アプデにお金払ってるみたいなとこあるから。もちろんそればっかりじゃないけど」


 あらゆる防壁を貫く槍の背景にはホワイトハッカーたちのたゆまぬ努力がある。ウィルスとワクチンがイタチごっこの関係にあるなら、その最先端を走り続ければいいという理想。世のソフトウェアが進化を続ける限り、完璧な防壁は存在しない。新機能を追加するたびバグが見つかる世界だから。


「ほとんどの定番ガードウェアに対してなら脆弱性攻撃クリティカルできるんじゃない。逆に私のみたいな半自作が相手だと汎用攻撃しかできなくて本領発揮できない、みたいな?」

「なんだ、やっぱりプログラマーなんじゃないですか」

「違うって。あの……本屋の端っことかで売ってるでしょ。繋げるといろんな動きするプログラム入りのブロックとかカードとか。単純な機能をもった効果札モジュールが初めからあって、私のはそれをツギハギにしてるだけ」


 〔管狐/クダギツネ〕も〔我者髑髏/ガシャドクロ〕も苦しまぎれだ。前者は侵入されたあとの次善策だし後者はいわずもがな。


「あたし知育ちいく玩具に負けたんですかぁ?」

「いや、仕組みが同じってだけでセキュリティ系に特化してるから……それにダウンしたのこっちだし」


 というかフツーに配信活動するぶんにはガードウェアなんて出番がないんだよ。クラッキングまでしようとするヤバいファンはだし、仮にいたとしても反撃して潰すほどじゃない。

 それでも必須といわれるのは政党マスコットという立場ゆえ。


「私からも聞いていい? どうすんのこれから。このままじゃ捕まるよ私たち」


 かつて、未曾有みぞうの平和危機を通じて世界はを知った。

 世論の重要性。覇権はけん的な国家元首は他国へのイメージアップなくして勢力を拡大できなくなった。

 世界の敵となれば身動きが取れなくなる。対する民主国家もまた民意のコントロールなくしては兵士一人動かせない。

 敵国が世論を攻撃してくるのはもはや常識だし、選挙で有効なら母国の政治家が同じ手を使って悪いという法もない。

 世界中の民主国家が史上例を見ない情報戦争の舞台となっている。


「選挙前にマスコットが夜逃げなんて冗談じゃ済まない。VCivilianはそれ自体が大量の浮動票を抱えた白紙の民意カート・ブランチなんだから」


 つまりはここも最前線。VCが政治思想を語るわけじゃない。日本人は娯楽と政治を分けたがる。それでも。


「他のバーチャル都市に移るなんてどうですか? ライフワークバランス党とか出来たてで条件いいですよ」


 【蜃楼都市】は当初、さる国家指導者の偉大な都市計画を再現してプロパガンダ利用するために開発された。その性質いろはプラットフォームへと路線変更されてからもしばらく残り、日本では各政党の理想都市がいくつもMR上に作られた。

 そこに住んでいる、という設定を背負ったキャラクター・コンテンツの発信者が私たちVCなわけで。


「……ヤクザが組の金を持ち逃げする並にヤバいこと言ってる自覚ある?」

「顔が恐いですよぉ、冗談ですジョーダン」


 VCファンは、推しを通じて政党の支援者になりえる。左右派や政策の区別なく。むしろ政治への無関心や失望が共通文化みたいなところがあり、そういう人達はただ推しの活動拠点だからという理由で票を投げる。

 だからもし党を離れるようなことがあれば。万が一それが他党へ移るようなことがあれば。


「冗談です。……今はまだ」

「勘弁してよ! そんな危ない橋渡るくらいなら……!」

「大人しく自首でもします? 何か残るの、それで?」


 眠そうだった灯糸の目がいつの間にか弓形に引き絞られている。真ん中に置いたスマホをまたいで小さな手が座席をへこませた。


「おっかしい。あんな必死に腰振って、顔真っ赤にしてわめいて、まだ言い訳できると思ってるんだ」


 後じさった後頭部が窓ガラスに阻まれる。


「い、言い方、だって」

「イヤなら振りほどけばよかったのに。ホントは欲しかったんでしょ? 誰の指図も受けない場所が」


 極端な上目遣いは臓物はらわたを漁られる獲物が見る景色だ。だというのにこのアングルこそ彼女らしいと感じた。細いあごのラインが小さな耳たぶを経由してわずかにとがった耳先まで切れ上がっている様子はゾクリとするほど。


「本音はどっちかなって思ってたの。キレイさっぱり奪われて終わりにしたいのか、イナバ已亡でい続けたいのか。でも同じ事だった。センパイは彼女のキャラを守って、あたしを認めたフリをした」


 本当は納得できないクセに、と。じわり浮かんだ汗すら見えそうな距離で笑う。


「死んじゃっても残るものを信じてるんだ。でも残念。そんな思い出は二代目あたしが塗り替えちゃうから」


 挑発的な言葉に少しだけ冷静になった。私は首を振る。


「イナバ已亡は配信中だけのキャラクターだよ。任せるって決めたのは私だし、逃げるのに手を貸したのは引き継ぎをムダにされたくなかったから」


 バトンタッチ配信を決めた日から覚悟は出来ている。

 じゃあ、と目を細めた灯糸は猫のように伸び上がった。耳の産毛をかすめたモノがうごめいて音を吐く。


「本当に他党ほかに行っちゃおうかな。もうあたしの好きにしていいってことだよね?」

「っは、待ってよ、それじゃ、ぁ!」


 身をよじってゾワゾワする背中をドアへ擦り付けた。

 それは嫌だ。イナバ已亡を明け渡したのは私を打ちのめしたアンタにで、権力に目を血走らせた大人たちにじゃない。


「口だけ出すのはプロデューサー面っていうんだよ、イムちゃん」


 揶揄からかうような声。それがすっと冷たくなる。


「ここまで来ていい子ぶらないでくださいよ。思ったでしょう? あたしを利用すればイナバ已亡を続けられるって」

「……っ」


 違う。別にそっちに執着してるわけじゃない。


「今なら対等でやってあげますよ。お金とか、方針決めとか」


 だからあんたがもっと大事に抱えていってくれるなら……ああもう、言えるかこんな事!


「今だけ」

「っ分かった、やる、一緒に!」


 背けた顔に突入したトンネルの灯りがぶつかった。もうどうにでもなれ。


「けど出演じゃない、技術周りだけ! サムネ作ったり配信環境組んだりも一応できる、それ以上はムリ!」

「ぇー、そういうのはもう一人居るんだけどなー。まぁいっか。さっきみたいに守ってくれるってことだよね? あはっイムちゃん頼もしー」

「いや、二度とごめんだし。急にキャラになるのやめて……」

「だってもうセンパイは変でしょ、対等って言ったよね?」

「な、この」


 やられた、と思ったけど遅い。コイツに良心とか常識を説いても無駄なことは分かっている。


「あんたも已亡でしょうが、これからは」

「確かにそうですね……じゃ、年長者おとしよりってことで一応センパイで」

「よく今まで干されずにやってこれたなこのガキ」


 噛み付いてやろうかと睨んだ鼻筋がふすふすと笑う。


「じゃあ何て呼ぶんです、お姉様、とか?」

「っな、」

「ガチ恋ファンからはそう呼ばれてるんですよね、愛しのお姉さま?」

「や、やめろやめろ! そういうのは配信中だけでいい!」

「照れてるんですか? 嘘なのに。可愛チョロすぎません?」

「嘘だから怖いんだよ! よくそんな心にもない――、」


 ヴーン、という振動音に二人して動きを止める。灯糸のスマホが着信画面を光らせていた。放熱して再起動したらしい。

 つまみあげたオレンジのマニキュアが画面を滑る。


「はぁい、もしもーし」

『リュシャお姉様ぁ! 無事ですか!? ボクです、お姉様のちぃあですぅ!』


 幼く甲高い声に運転手がバックミラーをチラ見して、気まずげに目を逸らした。


『ややや? まだ移動中ですか? というかなぜお二人はのしかかりのしかかられしているので?』


 そうだよホントだよ何でこんなことになってんだ!?


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