第7話 就職、そして移住へ

「どうも、改めてここの編集長みたいなことをやってる田所です。長と言っても取材もカメラも編集もやるから何でも屋だねぇ。あ、こちらネット媒体のデザインと本誌のDTPお願いしてる山代くん」

「どもっす」

「山代くん、これ一応面接なんだからもうちょっと威厳持って。先輩なんだし」

「だって片野さんオレより年上じゃないっすか。オレ先輩って言っても先にここに入っただけだし片野さんの方が学歴とか上じゃないすか」

 鎌倉のミニコミ誌の編集部の一室で、面接を受けている私は、何だかコントみたいなやりとりを聞いていた。一応残していたお気に入りのネイビーのスーツと、シルクっぽいカットソーで「できる女」風に外見を整えて田所さんの編集プロダクションにやって来たのだが。


 思ったより緩いな〜。山代くんTシャツにデニムじゃん。まぁ内勤だからなんだろうけど。田所さんもジャケットにチェックのネルシャツだし。服装はカジュアルでいいのかな。

「うわー、あの大学出てるんすね。何でまた鎌倉なんかに?」

 山代くんは正直に疑問に思ったことを口にした。志望動機を聞かれていると思って私は口を開く。

「私の実家は藤沢で、小さい頃からしょっちゅう鎌倉に遊びにきていたんです。買い物も海も観光もできて、それでなお古い街並みや神社やお寺がしっかりと根を張っていて、地元の人たちの支えになっている。そして私の尊敬する林もなか先生の住んでいた街でもあり、先生のように私もいつかは鎌倉で生活したいなと思っていたので、こちらの募集に惹かれました」

「ライター業務に撮影に商材ピックアップもやってるんすね。カメラはデジタルですか、アナログですか?」

「学生時代にアナログを覚えて、編集部員になってデジタルを学びました。両方できます」

「まぁ今はデジタル主流だけどね。その場ですぐ確認取れるから、デジタルばっかりだよ。アナログの方が味のある絵が撮れるのはわかっているんだけどねぇ」

 田所さんも口を挟む。どうもデジタルには一言物申したいらしい。それ今関係ないじゃないすか、と山代くんに叱られて、田所さんはへへへ、と笑った。


「取材のやり方は僕と井上くんじゃちょっと違うかもしれないけど、まぁおいおい慣れてもらおうかな。ここが一応編集会議をする会議室で、隣が編集室。向かいの給湯室に小さい冷蔵庫コーヒーメーカーがあるから、好きに使って。トイレは男女別だけどちょっと狭いのと段差があるから気をつけて」

 田所さんが狭い事務所を案内してくれた。狭いけど日差しも差し込んで清潔感のある良い事務所だ。薄暗くてむさ苦しい編集部しか経験していないので、ここの環境はいいかもしれない。

「はい」

「引っ越しはもう終わったの?」

「まだです。来週、荷物が入ります」

 ついに、もなか先生の家が、私の家になるのだ。

「山代くんに手伝ってもらう?」

「いえ、1人で何とかなるように色々処分してきましたから」

 今日はこのあと、耐震補強工事完了間際の家を見に行き、三好さんと屋根瓦の交換の際、いくらするか見積もってもらう話をする予定になっている。


「じゃあ、とりあえず来月1日から来てくれるかな。役所とか水道とかの手続きなんかで忙しかったら連絡してくれれば、入社日はこっちでなんとかするから」

「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

「よろしくっす」

 小さな会社だが、その分、作る人の情熱とか性格とかが紙面に出そうな気がする。実際、今出回っているミニコミ誌は、誠実・実直・マニアな趣味の人の心をくすぐるといった、田所さんぽい印象を受けた。でも田所さん、おまけでつけた大仏様のホログラムしおりはマニアックすぎると思う。後光もさしてるし。使う人いるのかな、と思ったのは黙っておこう。

 面接を終えて、私はもうすぐ自宅になる家に向かって歩いて行った。田所のさんの会社は、もなか先生の家から徒歩30分。運動にはいい距離だ。

 これから働く場所は、給与は若干下がるが、ガクンと落ちたわけではない。手渡しながらも賞与があるらしいし、福利厚生もちゃんとしている。何よりフレックス制で直行直帰OK、取材のはしごで1日終わっても良いという、「ここも出版業界なんだな」と実感できる勤務体制であった。まぁしばらくは内勤メインだろうけど。


 私は途中のコンビニでお茶とコーヒーと紅茶を数本買って、家に向かった。新しい家には、まだ足場が組まれていて、外観がグレイのネットで覆われていた。なんだか繭みたいだ。これから羽化して私の家になるのね。私の可愛いおうちちゃん。

「やぁ、面接終わったのかい。お疲れ様」

 三好さんが作業着姿で迎えてくれた。こう見るともう普通に現場の作業員で、代表取締役社長には見えない。

「はい、つつがなく終わりました。あ、これみなさんで飲んでください」

 私は三好さんに、さっき買ったペットボトルの飲料をビニール袋ごと手渡した。本当はお菓子も買いたかったけど、飲み物以上に好みが分かれるかと思って買わなかったのだ。

「ああ、お気遣いどうも。おぅい、少し休憩入るぞー」

 三好さんが声をかけると、うーっす、と野太い声があちこちから聞こえた。ガシャガシャと足場から降りてきたのは5人の男性。若い子から年配に差し掛かった人まで年齢は様々だ。

「野口さん。差し入れもらったんで、適当に分けてください。僕はちょっと屋根の見積りしますんで」

 野口と呼ばれた年配の男性がビニール袋を受け取った。多分この現場のリーダー格なんだろう。まず野口さんが緑茶のペットボトルを取って、次に年嵩であろう男性に袋を回す。その間に三好さんがカタログを手に、屋根の説明を始めた。

「まず瓦の撤去作業、屋根の補強、雨漏りのチェックをして、そこで1日目が終了。ブルーシート被せて一晩過ごしてもらって、2日目にスレートを設置で。まぁ作業は2日で終わるけど、夏場と台風の時期は避けてもらえたら、こちらはいつでも大丈夫なんで」

 見積りはこんな感じ、と三好さんはポケットからスマホを出して電卓を叩いて見せた。けっこうかかるな。

「ええと、早くても来年の冬とか、それくらいになるかと思います」

 少しお金を貯めてからのほうがいいと判断した私は、申し訳なさそうに三好さんに告げた。三好さんも心得たとばかりに頷き、

「まぁ家買ったばかりですからね。改修はゆっくり、それこそ台風で屋根が飛んだぐらいのタイミングでいいと思いますよ。雨漏りもないし、特に傷んだ部分も見当たらないので、当面は大丈夫かと」

 ちなみにスレートの色、どれにします? と、三好さんがカタログを見せてきた。あんまり派手な色は避けたいな。今の屋根瓦みたいな色合いの材ってないのかな。

 ぺらぺらと三好さんの隣でカタログをめくっていると、1番若そうな男の子が、コーヒー缶片手にふらりと近づいてきた。

「シャッチョ、お似合いじゃないすか」

 ヒョイ、と三好さんにコーヒーを投げて寄越して、男の子はさっと引っ込んだ。

「「あ?」」

 私と三好さんが同時にドスの効いた声を上げた。他の作業員たちがどっと笑う。野口さんは口元にうっすら笑みを浮かべて、男の子はヘラヘラ笑っている。

「こら、お客様に対して失礼だろ。すみません、帰ったらよく言っておきますんで」

 三好さんがはぁ、とため息をついて謝った。よくあることなのだろう。ということは三好さん独身?

「明後日には足場も取れるので、それ以降に引っ越ししてください。手続きとか終わりました?」

「はい、来週には越してくる予定です」

「鎌倉生活、楽しんでくださいね」

 三好さんの笑顔に、ちょっとだけときめいてしまった。ちょっとだけだけど。


 そして翌週。私は新しい家の、新しい鍵を手に(もなか先生だから同じ鍵でもいいと言ったんだけど、池田さんが念のため替えておいたほうがいいと言ったので新しい鍵である)、玄関の扉を開けた。午前中いっぱいで軽く点検と掃除をし、午後には引越し業者が荷物を運んできてくれる手筈になっている。

 私は縁側の窓を開けて、家の中の空気を入れ替えた。あとでお香でも焚こうかな。なんかこう、凛とした、静謐な、清々しい、といった言葉が似合う家である。


 この家にふさわしい主人になりたい。


 大きく伸びをして、私はそう思った。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る