第21話 12か月の喫茶店

朝6時。スマホのアラームで目を覚ます。

 隣からぬっと太い腕が伸びてきて、私のアラームを止めた。


「おはよう、敬吾さん」

「おはよう、栞織さん」

 軽く額にキスをし合って、くすくすと笑う。


 真ん中で寝ている優吾は、夢を見ているのか、口元を緩ませて手足をバタバタとさせている。幼児特有の甘い香りが鼻をくすぐる。


 優吾の足元、川の字の真ん中にはもう二匹。

 敬吾さんが飼っていた保護猫のモカとルルが丸まって寝ている。


 おひとりさまだった2年前には想像がつかないくらい、家族が増えた。


 名前を呼び合う仲となり、それからすぐにお互いの両親と顔を合わせた。価値観の擦り合わせ中だったが、三好さん─敬吾さん─が早く結婚したいと言い出したからだ。


 私は価値観の擦り合わせが終わらない限りはうんとは言わない、と言ったら、次の週からものすごい気合と勢いで擦り合わせが進んだ。


 それと同時に、敬吾さんの引っ越し作業とドレス姿の写真の準備が並行して行われて、本業の入稿作業の最中であった私はちょっとキレた。いやキレてもいいだろうこれ。


 相手の都合もよく考えて、と滔々とお説教をした結果、引っ越しは入稿後、写真撮りは

次の取材と入稿が終わってから、という事になった。まぁそれだけ私と一緒に暮らしたい気持ちが強かったって事だろうけど暴走しすぎですと釘を刺した。


 引っ越しの話が出たとき、敬吾さんが保護猫を2匹飼っている事を初めて知った。まぁリビングは広いし日向ぼっこにはちょうどいいから、2匹─モカとルル─には主にリビングで過ごしてもらう事にした。

 引っ越し前にキャリーに入れられて、トライアルを開始した当初、おっかなびっくりだった2匹は、家にも私にもすぐ慣れた。


 私たちは結局、結婚式を挙げなかった。ドレスを借りて、ちょっとおしゃれな喫茶店を貸し切ってフォトアルバムを作って、親しい人に送った。敬吾さんは式を挙げてもいいんじゃないかと言ってたけど、参列者のバランスが取れないからと私が却下した。


 小さいながらも地元で2代続いている会社の社長である。新郎側だけで何人参加することか分かったものじゃないので、写真だけ撮り、お互いの両親と共に良いレストランで食事をして披露宴の代わりとした。


 その代わりというか、指輪は敬吾さんが張り切って良いものを買ってくれた。プラチナで表面に捻りのデザインが施された指輪だ。

いくら値段を聞いても答えてくれなかったので、写真を撮って検索にかけてみたら、予想の8倍のお値段が出てきた。そこまで気合い入れなくても良いのになぁ、と思ったのは内緒だ。敬吾さんは割と愛が重い系男子だった。


 結婚してまもなく、子宝を授かった。30代後半の出産だったので、いろいろ怖気付いていたが、敬吾さんや義両親、両親が全面的にバックアップしてくれて、上司の田所さんも喜んで産休を受理してくれた。


 執筆していた小説は「12か月の喫茶店」というタイトルで無事出版され、そこそこベストセラーとなった。幾度か重版もかかり、テレビドラマ化もされた。


 妊娠してから執筆活動の速度は落ちたが、子どものこと、家のこと、そして大好きな鎌倉のことはつらつらと書きためている。その書きためたものを、出版社の山村さんが、暮らし系の出版社に掛け合ってくれて、月に一度のコラムとして今も掲載してもらっている。


 育休が終わったらミニコミ誌の方に復帰する予定だが、その合間に小説の執筆もお願いしますと山村さんに言われた。


 果たしてそんな時間は確保できるのか。

 

 敬吾さんも育休を取ってくれているが、流石に社長がまったく出社しないのは問題だと、取引先に言われたそうで(頭固い!)、結局オンラインミーティングや週に何度かは出社している。


 ワンオペママさんよりずっとマシだが、ここぞお願いしますというときに会議だったりするので結局、義両親両親に「英気を養っておいで」と甘えさせてもらうことのほうが多い。


 世の中、1人カフェもできないママさんがいると思うと、少々罪悪感を感じるが、これはもう個人でどうこうできる問題じゃないもんなあー。


 それにカフェで一休みと言っても、義両親などに遠慮して1時間くらいで切り上げるし、カフェ内で小説やコラムのネタを練っているので実質休んでいると言っていいのかわからないけど、一時でも子どものことを考えなくていいのは本当にありがたい。


 鎌倉に来てからほんといいご縁があったよなー、と私は持ち込んでいた雑誌を手繰り寄せた。しおり代わりに薄い封筒が差し込まれている。


 そういえば、断っていたご祝儀がわりに、って不動産屋の池田さんから宝くじをもらったんだっけ。


 私は帰り際、冴えない掘立小屋のような宝くじ売り場で、もらった宝くじを換金してもらおうと、袋を開けて店員さんに手渡した。


 ガガガと読み込み機が動き、300円の当たりと、見たことのない数字が機械に表示された。


「おめでとうございます! 一等大当たりです!」


 私はうそぉ、と声をあげて表示された数字を3度くらい見直した。


「ここでは換金できませんので銀行に行ってくださいね! さぁ早く!」


 店員さんから大当たりの宝くじを返してもらって、私は大慌てで銀行に駆け込んだ。

 ちょうど優吾の口座を開設しようとか、今までの記帳をするために、たまたま印鑑とその銀行の通帳を持っていた。


 窓口に宝くじを渡し、待っている間に敬吾さんにとにかく急いで銀行に来て! と3回くらいかけまくって気持ちを落ち着かせた。いや落ち着かないわ。マジでなんなの。


 別室に呼び出される前にやって来た敬吾さんと、宝くじの金額を確認する。


「どうしよう」

「どうもこうも、栞織さんのもらった宝くじなんだから栞織さんのものですよ?」

 敬吾さんは取引でたまに見る金額ですし、と冷静だ。この金額をたまに見るってなんなのよ。


「ええと、とりあえず老後の生活費と、優吾が大きくなったら建て替えか引っ越しするからその代金でしょ、あと義父さんと義母さんとうちの両親にちょっとあげて、残りは……」

「是非、弊行で貯金と資産運用を」

 駆けつけて来た偉い人であろう行員さんが頭を下げる。まぁ資産運用は気になってたからね。

「ウチの会計士にお買い得な銘柄とか聞いておきますよ。栞織さんに損はさせません」

 敬吾さんも乗り気である。じゃあやっちゃいますか。


「こうなったのも、何かのご縁でしょうから、よろしくお願いします」


片野栞織改め三好栞織のご縁は続く。  


                 了

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たまたまご縁がありまして。〜ご都合主義の作者が送るご縁な話〜 東 友紀 @azumayuki

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