第20話 卵焼きとお土産
三好さんのパートナー教育が始まって3ヶ月が過ぎた。
モーニングコールは初日からワンコール以内に出てくれた。ていうか反応早過ぎません? 待ち構えてない?
とりあえず朝6時に起きれたことをベタ褒めして、きちんと朝食を取ること、仕事も気を抜かずしっかりやることを毎日呪文のように伝えて通話を切る。
1ヶ月経った頃、そろそろコールを入れなくても起きれるだろうと提案したら、毎朝、片野さんの声が聞けるから頑張れているんです、と言われ、結局現在まで続いている。
次に朝食である。パンと紅茶でいいので軽く食べるように、と最初はコンビニの惣菜パンとペットボトルの紅茶から始め、しばらくして食パンを買ってもらってトースターで焼いて、ジャムやヨーグルトも一緒に食べるように伝えた。てかトースターあるなら使いなさないよ。(後日、きっと食パンを焼けと言われるだろうから、社員におすすめのトースターを選んでもらい、早めに買っていたと知った)
また、この間にもデートというか、とりあえず美味しいカフェには2人で行くが、ラブラブなトークではなく、この価値観はどうするかとか、私の家に来るなら今のマンションを引き払うタイミングはいつがいいかとか、まったく色気のない話ばかりしている。
もともと、頭では理解はしても、心が納得いかないことに対して、抵抗感を抱きやすかった私は、三好さんの価値観で引っ掛かるところを、見つけ次第逐一質問した。
今考えるとよく三好さん嫌がらなかったなあ。話すことは嫌いじゃないから、って言ってたけど、ときおり私に「なんで?」攻撃に困った顔をすることがあったので、そんなときは帰宅後のメールで目一杯甘やかすことにしている。
この辺りは例の大学時代の友人に、パートナーとしての育て方を伝授してもらって進めている。
「栞織もついに結婚かー」とか言っていたがまだお付き合い段階だっつーの。
まぁ、目に見えて変化しているので、このままゴールインもあるかもしれないけど、人生何が起こるかわからない。
ある日、三好さんが手土産を持って家にやってきた。自炊の練習のために台所と先生として定食屋の加藤の舞ちゃんを家に呼んだ日である。
「これ、よかったらデザートにでも食べてください」
と言って差し出されたのは、恵比寿にある超高級ホテル内にあるレストランの焼き菓子だった。レストランのお値段も高いが、焼き菓子も、もちろんお高い。
それが私と舞ちゃんの分2つである。
どうしたんですかこれ、と質問したところ、
「テレビで美味しいと放送されて、じゃあ買ってみようかなって思って昨日半休取って行ってきました。自分も食べましたが、なかなか美味しいですよ」
「この焼き菓子を買うために恵比寿まで?」
「ええ、社員の分もちゃんと買ってきてありますのでご安心を」
いやご安心をじゃない。つまりテレビの宣伝に踊らされて鎌倉から恵比寿まで弾丸ツアーをしてお高い菓子を私と舞ちゃんと自分と社員の分まで買ってくるその行動力はいいんだけど踊らされて気遣いで買ったお土産のお値段ー!
最低4つでも1万円は行くんですけど?
金銭感覚大丈夫? あ、2代目のお坊ちゃん社長だから1万円とか安い買い物なのか……。
このあたりの金銭感覚のズレもちょっと話し合わないとな。
とりあえず今日は料理の達人と共に、三好さんに卵焼きを作ってもらうことにした。
材料や器具の用意から作り方、片付け方まで、まず舞ちゃんがお手本を見せる。
次に三好さんに作ってもらうのだが、思わず何回か口を出そうとしてしまった。
目の前でプロのお手本を見てなお、この手際の悪さ。
いやいや、初心者だった頃の自分を思い出せ。卵焼きひとつ作るのに何分かかったか。手際良く作れるようになるまで、何回失敗したか。
しばらくは卵焼きの練習ですねー、と舞ちゃんはお土産を手に、笑って帰って行った。
「三好さん、ひとつ聞きたいことがあるんですが」
2人きりになり、形の崩れた焦げた卵焼きをつまみつつ私は三好さんに問うた。
「はい、なんでしょう」
三好さんは舞ちゃんのコメントをメモしたものを見ながら答えた。こっち見ろっての。
「このお土産、たくさん買ったなーとか、高かったなーとか思いませんでした?」
「いえ、お2人にはお世話になっているし、社長ですから社員にお土産を買うのは当然ですので、まぁかさばりましたが、高いとは思いませんでした」
「だいたい月に何回、社員さんにお土産買ってますか?」
そこでようやく、三好さんはメモから視線を外し、うーんと考える。
「だいたい月に4、5回ですかね。取引先にも差し上げるのも含めると6、7回は買ってますね」
多いわーーーーーーー!!!
私は頭を抱えた。
お土産を買うのはいい。社員との関係とか取引先への好感度がアップするから。
だが月6、7回って。多くない? これってこの業界の常識なの? 月のお土産代いくらなの? 経費で落ちるの?
私はこのお土産の回数が他の業界では多すぎること、社員だってもらい過ぎたら引け目を感じて何かお返ししないとと思うこと、取引先に渡すのはいいが、テレビの宣伝に踊らされて買わないこと、あと話をするときはスマホや新聞、メモなどを読まず、きちんと相手の顔を見て話すこと、などをできるだけ優しい声で簡易に説明した。
三好さんは最初ポカンとした表情をしていたが、話を聞き終わると「そうなんですね」と真顔になった。
「社員にお土産を配ると、その後、どこどこに行きました、と頻繁にお土産をもらうので、不思議だったんですが、そう言うことだったんですね。僕が社員の懐を苦しめてたんですね。あとメモの件すみません、コメントが気になって、読む方に気が向いていました。次からは気をつけます」
うん、理解してくれたし納得してくれたようだった。
価値観というか認識の擦り合わせって本当に大変だな……。
「まぁ、めんどくさい話はこの辺にして、頂いたお菓子と三好さんの作った卵焼きでお茶を入れましょうか。コーヒーと紅茶、どっちがいいですか?」
「どっちで……あ、いや、紅茶でお願いします」
よしよし。「『どっちでもいい』『なんでもいい』は別れ話の第一歩」作戦が効いてる。
私ははい、と笑顔で紅茶を淹れる。あちこちカフェ巡りをしてカフェの本やお茶の淹れ方の本を読んで研究した成果を今見せるとき!
私はいつもより丁寧に紅茶を淹れ、三好さんの前に置いた。安物のカップだけど、青い花のラインが美しかったので、思わず2個セットで買ってしまったのだ。
はからずともお揃いのカップで紅茶を飲むことになり、三好さんはちょっと嬉しそうに見えた。
「じゃあお土産もいただきますね」
おもたせの焼き菓子をひとくち。おいっし。さすがにテレビで騒がれるだけあって、上品でさっぱりとした食べ応え。ほのかに香るバニラがふんわり口の中に残る。
「美味しいですね」
「お口に合って良かったです。お土産は出張のときだけにしますけど、片野さんには絶対買ってきますから」
「ありがとうございます」
満面の笑顔を三好さんに向けると、三好さんは耳まで赤くなって紅茶に口をつけた。
「美味しい紅茶ですね。どこかの名産なんですか?」
誤魔化しているのがバレバレなんだけど。かわいいなぁ。
「紅茶専門店の紅茶ですけど、名産ってほどのものじゃないですよ。ただ、淹れ方をちょっと工夫しているだけです」
「工夫ですか?」
「はい、お茶の淹れ方って手順があるんですよ。私はその手順通りに淹れただけなんです」
「へぇ、手順だけでこんなに美味しくなるんですね。片野さんといると勉強になります」
いやいや、それほどでも。
和やかなティータイムを過ごして、2人並んで台所で片付けをした。私が食器を洗い、三好さんが小ぶりな食器棚に使ったカップなどを仕舞う。
うん、2人で暮らすイメージもだいたい想像できてきたかな。対等に
な立場でお互いを支え合うことになるのはまだまだ時間がかかりそうだけど。
「片野さん」
帰り際、玄関で靴を履いた三好さんが振り向いた。
「その、次から『栞織さん』って呼んでもいいでしょうか」
おーっと、来たな。
どうしよう、まだ早い気もするけれど、本人も成長してるし、「さん」付けだからいいかな。
恋人になった途端、「オレの所有物」的に呼び捨てにされた経験がある身としては、相手への敬意も兼ねてお互い「さん」付けでいきたかったのだ。そこは価値観リストの中にもしっかり書いておいた。三好さん、ちゃんと覚えてくれてるんだな。
「これからもっと仲良くなっても、呼び捨てにしない約束をしてくれるなら、いいですよ」
「はい! 約束します!」
「じゃあ、私も『敬吾さん』って呼びましょうか」
私が悪戯っぽく言うと、三好さんは真っ赤になりながら大きく頷いた。
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