第12話 凸撃!見知らぬストーカー
年が明け、「つれかま」にぽつぽつファンレターや編集部宛にメールが届くようになった。
「読みやすい、いい文だ」から「紹介されたお店全部制覇します!」までさまざまな感想をいただき、ありがたく拝見している。
返事を書こうかと山村さんに尋ねてみたが、下手に返事をすると何百人と文通するハメになりかねないからやめておいたほうがいい、ブログで全員に向けて『感想ありがとうございます』、とだけ書けばいい、と言われたので、その通りにしていた。
そんなある日、妙なコメントがついていることに気づいた。
『この間◯◯町の鯛焼き屋さんにいましたね! お仕事ですか? ブログに載せる用ですか?』
確かに先日、鯛焼き屋さんに取材に行った。しかし私はメディアに全く顔出しをしていないし、そもそも鎌倉在住以外は女性であることくらいしか個人情報を出していないし、プロフィールもアラサーなことと趣味は鎌倉のお店めぐりとタロットとしか書いていない。ブログに載せるお店も、ひと月後とか、期間限定品を紹介する以外はタイムリーな情報を避けて書いていた。
なんだろう。怖い。
私はそのコメントには返事をせずに放置した。そのころからコメントひとつひとつに返事ができる量ではなくなってきたからだ。
『コメント量が多くてお返事することが難しくなりましたのでお返事を停止します。コメントはありがたく読ませていただいています。励みになっています』
という一文を、年明け早々ブログのプロフィール欄に追加したばかりだった。
その後も、その相手から『◻︎◻︎町のケーキ屋さんのチョコケーキ、美味しかったですか?』とか『△△町によく行くみたいですが、近くに住んでいるんですか?』と、私を特定しているようなコメントが増えていた。
警察にこのコメントのスクショを持って相談しに行くと、サーバーの管理者に掛け合うように言われ、IPアドレスから相手の特定に成功した。
あとは警察から警告を出すのでしばらく様子を見てくださいとのこと。このしばらくってどのくらいなの。コメント消しちゃダメなの。そうですか。
このことを田所さんに伝えると、スッと真顔になった。
「片野さん、取材は当面僕と一緒に行きましょう。それでブログの更新とそのためのカフェめぐりは体調不良でお休みすると載せてください。絶対警察に捕まえさせますよ」
と頼もしいお言葉をいただいた。この人真顔になると目が怖い。さすがヤバい筋系の記者をしてただけのことはある。
帰り道も田所さんが送ってくれることになった。いつも通る道から、あまり通らない、それでいて人通りのある道を、田所さんは毎日少しずつ変えて送ってくれた。
ブログは体調不良でしばらくお休みします、といった文面を載せると、お大事にとか待ってますとかあたたかいコメントが寄せられた。ただ1人『えー! ひょっとして僕との子でもできちゃいました!? 栞織たんとの可愛いベビたん、待ち遠しい❤️』という例のおかしな男のコメント以外は。
会ったこともない男とどうやってその子供ができるんだ。
すぐさま消したい気分を抑えて、妄想激しい男のコメントをスクショして警察への提出資料として残しておく。
田所さんは、会社で知り合いの弁護士と引き合わせてくれた。ストーカー被害を主に担当している人らしい。
「このコメント内容からして、片野さんの職場も本職も行動範囲も自宅も既に特定していると思われます。あとは本人が片野さんに接触するだけですが、向こうも警告を出されて慎重なのか、なかなか尻尾を出しませんね」
元警官だという弁護士さん─海老原さん─は険しく眉根を寄せた。
「見てるだけで満足してるとか……」
私は恐る恐る聞いてみる。これはそのうち接触をしてくるだろうという予言ではないか。
「有り得ません。この手の人間は必ず対象に接触を試み、自分を意識させて好意を抱いてもらおうと動くはずです」
「本人に好意がなかったら?」
「関係ありませんね。自分と会ったら必ず好意を向けてくれる、自分と結ばれると強く思い込んでいますから。現に直接会ってなくても自分との子ができたと言っているんでしょう? それはもうその人物の中では片野さんは自分に好意を抱いてくれている婚約者くらいの位置に存在しています」
うっわ、キモ。
私は思わず両手で自分の腕をさすった。
「また進展がありましたら呼んでください。自宅付近で不審者を見かけたら即警察に連絡をしてパトロールを強化してもらってください。こちらもいくつか手を回しておきます」
「よろしくお願いします」
私は海老原さんに深々と頭を下げた。
「なんか、大変なことになっちゃいましたね……。すみません、毎日送っていただいて」
私は隣を歩く田所さんを見上げながら謝罪した。田所さんは何を言っているんだ、と言う表情で、
「社員を守るのも社長の役目ですよ。井上君だって庇ったりしてくれなかった? 上の者っていうのはそういう役割も担ってるんだから気に病まないで」
と言ってくれた。そういえば前職の井上編集長も、私が取材を申し込んだメーカーの担当者にセクハラを受けていると知るや否や、物凄い剣幕でこの会社に突撃し、メーカーの社長と担当者にこんこんとお説教をして、以後このメーカーの商品は一切紹介しないと言い切ったことがあった。
守られてるなぁ、私。
今度、田所さんと奥さんに美味しいお菓子でも渡そう。
数日後、海老原さんと連絡を取り合っていた田所さんが、
「今度の取材、お昼時より少し前の、他のお客さんがいる時間帯ですから、片野さんも心構えをしておいてね」
と言ってきた。
ぴりりと緊張が走る。
取材は忙しい時間帯を避けて開店前や閉店後などが多いが、たまに営業時間中でないと無理だというお店もある。今回はそのパターンだ。それはつまりストーカー相手と接触する可能性が高いということでもある。
ブログの休止の間も、ストーカー男はコメントを投稿し続けていた。
曰く、最近僕以外の男と連れ立って歩いているのは浮気だ、とか、ベビたんの名前を一緒に考えたいからレスポンスをくれ、だとか、コメント欄の文字数制限いっぱいに私の名前を連呼するとか、かなり気持ち悪くて恐ろしくなってきている。警告効いていないのかな?
他の読者さんの中から、そのストーカー男のコメントに注意や苦言を入れてくれる人もいたが、ストーカー男はこれをガン無視。つれかまブログはストーカー男の栞織たん愛の妄言で溢れてきていた。
「明後日の取材、周囲にはストーカー担当の警官さんと海老原さんと私服警官が同席する予定なので、万が一の時にも対応できるようにはしておきますが、片野さんに不快な思いをさせるのは、申し訳ないですが防ぎきれません」
「はい」
「そうそう、ストーカー男の写真を海老原さんが送ってくれましたよ。この男ですから」
そう言って田所さんが見せてくれたのは、小太りの、冴えない中年男性の姿だった。周囲の人がダウンやコートを着ている中、1人半袖姿である。
この男が粘着ストーカー男。
「でもどうやってこの男だって特定できたんですか?」
「片野さんの取材日とプライベートの日の両日のお店の監視カメラを見せていただいたんですよ。いくつかの店舗であなたが入ったあと、必ずこの男が入店しています。それに、ブログのコメントのIPアドレスから住所と氏名は特定できていますからね。その住所に張ってりゃあ分かりますから」
そういえば、ストーカー被害に遭っているので監視カメラを見せて欲しいと、取材先の何件かのお店に田所さんと海老原さんと私服警官さんとお願いしに一緒に行ったけど、全然気づかなかった。
連中は死角から対象を眺めますからね、と田所さんが珍しく険しい目をして言った。
さて、当日。
取材はブログを休んでいる間も続けていたので(案の定、例の男には『取材は行ってるのにブログ更新しないのなんで?』というコメントもついた)、普段通りに家を出る。
家の前で田所さんが待っていた。
「海老原さんたちは、お客として先に入っていますので、普通に美味しいものを頼んで、店長と取材をしてください」
今回の取材は開店直後、干物の定食が美味しいと口コミで広がっている定食屋さんだ。うう、気分良く食べたかった……。
11時を少し過ぎた頃、私たちはお店に入った。店長さんにも事前に事情を話しており、ストーカー被害を受けたことのあるという彼女は「絶対捕まえてください!」と即協力に応じたという。お互い苦労してるね……。
そんなことを顔に出さず、本日はよろしくお願い申し上げます、と頭を下げて取材開始。美味しそうな鯵の干物定食をちょっといただいた。うっま。
「っと、片野さんごめん、会社から連絡が入ったからちょっとかけ直してくる」
田所さんが席を立った。私は一瞬で不安に陥る。
私は定食の味を噛み締めるようにゆっくりと箸を動かす。
と、視界に肉塊が入ってきた。
「栞織たん」
たん付けはやめて。
ぞぞぞと背筋を震わせて見上げると、写真で見た男がそこにいた。私はすぐ顔を下に向けて「どちら様でしょうか?」と努めて冷静にスマホをいじって録音ボタンを押して端によけた。取材用の収音マイクをつけたままなので、この距離でも会話は拾えるはずだ。
「ボクだよ、『ぽぽんたん』だよ。やっと2人きりになれたね。さっそく結婚式とベビたんの名付けの話なんだけど」
「初対面の方に結婚式の話と子供の話を投げられても私にはまっっっっっっったく身に覚えがありませんので答えられません」
本名も知らない相手とどうして話す必要がありますか。お引き取りください。と、私が続けて言うと、男は身をよじり出した。
「ああ、そんなに照れることないんだよ。ボクの親にも栞織たんのこと、紹介しているからさ、あとは栞織たんのご両親に結婚と妊娠の挨拶をすれば良いだけなんだ。だってあんなに同じお店で同じ空気を吸って過ごしていたんだよ。これはもう運命なんだよ」
は? 親に紹介している?? 同じ店内の空気を吸っただけで付き合ったと思っているの?
「同じ店内の空気を吸っただけで付き合ったと勝手に思い込まれるのは不愉快です。これ以上妄言を吐くのなら警察を呼んでストーカーとしてそれなりの対応をしてもらいます」
「だから栞織たん、しばらく会えなかったからって拗ねないで。ボクはストーカーじゃなくて、栞織たんの婚約者なんだから」
「私は名前も知らない素性も知らないあなたを婚約者にした覚えはまっっっっっったくありません。お引き取りください。2度と私の目の前に現れないでください。ブログにも気持ち悪い妄言を書き込まないでください」
目の前の定食が消えた。
男がテーブルの上にあった定食を振り落としたと気付くまで一瞬かかった。がっちゃん、と床に落ちた食器が割れる音がする。
「お前、いい加減にしろよ? こっちが大人しく下手に出てりゃあいい気になりやがって。お前は俺の嫁なんだよ。それは俺が決めたんだから絶対なわけ。お前の腹の子も俺の子なんだよ。同じ空気吸って過ごしたんだから妊娠くらい普通にするだろ? ちょっと本が売れたからって調子に乗りやがって。これ以上くだらねぇこと言うと手足ちょん切って達磨にしてやるぞ? ああ?」
男の口調が変わる。椅子を持ち上げ、私の目の前にあるテーブルに叩きつける。ガゴンと木製の椅子とテーブルが砕けた。
きゃあ、と近くの客が店の壁際まで逃げていく。お店は騒然としていて、それでも男の荒い鼻息以外は静かという不思議な状況だった。
「失礼」
ストーカー担当の警官さんと海老原さんが男に声をかけた。警察手帳と弁護士のバッヂをそれぞれ男に見せて、男の住所と本名らしき名を告げ、
「暴行と器物損壊の容疑で現行犯逮捕します。また、ストーカーの容疑もあるので署までご同行願います」
と宣言した。潜んでいた私服警官2人も、男の周囲を取り囲み、そっと男の肩に手を置く。
「うおおおおおおおお栞織たん栞織たん!」
急に男が吠え、私服警官を振り払う。
振り払い、私に突撃してきた。やばい。
と、スッと人影が動いた。
突撃してくる男の腕を掴み、くるんと一回転させる。100キロを超えるんじゃないかという男の体が宙に舞い、どさりと床に落ちた。
「確保!」
我に返った私服警官がその上からのしかかり、手錠をかける。
「本職がいるのにでしゃばるな」
「拳銃も警棒も隠し持ってるやつより身軽な方が動きやすいだろう?」
ストーカー担当の警官さんと海老原さんが軽口を叩く。どうやら知り合いっぽい。しかも親しい類の。ちょっとなにこの元バディみたいな雰囲気は。
大丈夫ですか、と騒ぎを聞きつけた田所さんがすっ飛んで戻ってきた。大事なときにいなくてごめんねと何度も謝られたが、多分田所さんが席を外したから接近してきたんだと思う。
男を近くに潜ませていたパトカーに乗せ、警官3人は帰って行った。お騒がせして申し訳ありません、ご協力感謝します、とお決まりの台詞を言って。
「お客様におかれましては誠にご迷惑をお掛けしました。本日のお代は結構ですので、そのままお帰りいただければと思います。落ち着かない方にはお茶と茶菓子のサービスも致しますので何卒ご容赦くださいませ」
店長さんが穏やかな、優しい声で他の客に声をかける。いや、お勘定してよ、じゃあお茶もらおうかな、お姉さん大丈夫? 店長も災難だったなぁ、片付け手伝うよ、と常連さんらしき人たちが口々に言い、粉砕した椅子とテーブルを片付けている従業員さんを手伝う。若い女の子の2人連れが一連の出来事に怯えて泣いている。常連らしいおばちゃんと従業員さんがお茶と茶菓子を持って慰めている。
「とりあえず、片野さんも無事で良かった」
海老原さんが微笑んだ。隣で田所さんも優しい目でこちらを見ている。
私はじわじわと広がる安堵を感じて、声を上げて泣き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます