第3話 崖の上の一軒家

 池田さんはテーブルの下の棚に置いてあったらしいファイルを引っ張り出して、表紙をめくった。一軒家の間取り図が描かれている紙が出てきた。

「築50年、平屋の65㎡の2LDK。水回りは4年前にリフォーム済み。電気水道通ってて、ガスはプロパンだけど、ボクの馴染みの業者だからちょっと安くしてもらってます。雨漏りなし、シロアリはいません。基礎もしっかりしています。で、中がこんな感じです。まだ売主さんが住んでいらっしゃるので、家具とかありますけど、どこの媒体にも載せてない、ほやほやの情報ですよ」

 そう畳みかけて池田さんはタブレットの画面を私に見せた。白と飴色の木造住宅。昭和レトロというよりは、古民家に近い印象か。細い格子の障子に、厚めのガラスが嵌め込まれた窓。ぴかぴかに磨き上げられた床に、太い梁が剥き出しの天井。縁側には籐の椅子と小さなガラス板のテーブルが置かれて、柔らかな光に照らされていた。


「なんか、このおうち、どこかで見たことあるような?」

 私は軽い既視感を抱いた。特に縁側の椅子とテーブルは確実に見たことがあるのだが、どこで見たかまでは思い出せなかった。

「何度かインテリア系の雑誌に載ってますよ。訪れた人がすごく褒めて、写真を撮っちゃ出版社に紹介してましたからね」

 リフォームはウチでやったんですよ、と三好さんが答えてくれた。あれ、不動産屋の社員じゃなかったのか。

 内心を読み取ったのか、三好さんは名刺を差し出してきた。『古民家風リフォーム&レトロモダン住宅はお任せ! ミヨシ工務店』と書かれていた。ついでに三好さんが代表取締役だった。うわ偉い人じゃないか。

「というか失業中の人間に一軒家紹介しないでくださいよ。そんなローン払えませんってば」

 そうだ。そもそも中古とはいえ戸建てを買えるほど蓄えも職も今はないのだ。せいぜい、駅から遠く離れたマンションを借りて、バイクなんかで通勤して細々と暮らすことを考えていた。

「大丈夫大丈夫。お値段これだから」

 うふふ、と池田さんは笑って売買価格を指差した。私は目を見開いて金額を二度見て、池田さんを見て、三好さんを見た。2人とも面白そうに笑っている。


「マジですか」

「マジですよ」

「事故物件とかですか?」

「いえいえ、そんなことはありません。売主さんが、この家を大事にしてくれる方に譲りたい、買主さんの負担を極力減らしたいとおっしゃってましてね。ただまぁ、心理的瑕疵と言えるポイントがいくつかあるんですけどね」

「やっぱり」

「やっぱりと言っても、気にしない方は気にしませんからねぇ」

 池田さんはファイルをめくった。どうやらこの物件の周辺地図のようだ。赤く囲まれたのが物件だろう。そこはケーキのように三角に切り取られた土地の上に建っているようで、その南側には大きな敷地が、卍の記号と共に描かれていた。

「お寺ですか」

「そう。南側にお寺があるんですよ」

 お寺かぁ。確かに心理的瑕疵に当てはまるな。私はお墓が見えなければあまり気にならないが、お葬式とかするだろうし、気になる人は気になるだろう。

「お墓はこの家から見えるんですか」

「いえ、この物件からは見えない位置にありますよ。竹林が境にありますが、陽当たりには問題ないように定期的に剪定されています。また、物件が2メートルの勾配というか崖の上に建っているのでお寺側からは覗けません。ちゃんと宅地造成の補強済みです。土砂崩れの危険性は低いです。どちらかというとおつとめ開始の鐘の音と、読経の声が聞こえる方が気になると思いますよ」

「それって何時ごろ始まるんですか」

「確か、朝の5時か6時くらいだったような。古いお寺ですからね、修行にこられてる方もけっこういらっしゃるんですよ」

 なるほど。今住んでいるマンションから少し離れたところにもお寺はあるが、除夜の鐘もかなり響いてたな。この距離だと自分が鐘を撞いている気分になるだろう。


「ちなみに宗派はどこですか」

 池田さんはさらりと答えてくれた。新興宗教ではない、昔からある宗派だ。しかも。

「あ、父方の葬儀はその宗派で執り行っています」

 私には馴染みのある宗派だった。祖父の葬儀を数年前にお願いしたばかりで、そのとき住職は、読経中に走り回る従姉妹の子を横目に、ちょっと微笑んでいた。精進落としのときに従姉妹が謝りに行くと、

「小さないのちはあるがままの姿で生まれてきます。そしてあるがままの姿で生きようとします。子が思いのままに駆け回るのは自然なこと。叱らないであげてくださいね」

と、優しく笑っていた。

 さらに私はこの宗派の宗教法人が経営している私立大学を卒業している。まぁそこは受験で合格したのがそこだけだったので、自動的に通うことになったのだが。


 そんな話を池田さんと三好さんに伝えた。

「おお、じゃあいけそう?」

「まぁ実物見ないとなんともいえませんが」

「じゃ、見に行きましょうか。多分売主さんも今の時間ならいらっしゃるだろうし」

 池田さんは立ち上がり、さっそく携帯電話を取り出して、少し離れた所で電話をかけ始めた。

「ええと、ほんとに、あの、見に行くんですか」

 私は急に不安になって三好さんに話しかける。三好さんはキョトンとした顔を見せた。なんかこの人、かわいいな。草食系男子だ。

「だって住みたいんでしょう? 鎌倉。このお値段は破格の安さですよ。今後出ないとは限らないけど、滅っっっっっ多に出ないだろうし、幸運の女神の前髪は掴んでおかなきゃ」

「そう、ですけど。今私無職だし……」

「池田さんは生活に困窮するようなローンは組ませませんし、銀行だって無職の人にそうほいほいお金は貸したりしません。片野さんお若いから、職を選ばなければどこでもやっていけますよ」

 健康なんでしょう? と聞かれ、私は頷いた。酒もほどほど、タバコはやらない私は、社でも1番の健康優良児だった。

「観光客相手の仕事はいつでも人材不足らしいですからね。あとは特技があるなら、それを活かす道を選ぶとか」

 特技。この11年間で培ってきた文章力でフリーのライターとなるか。あとは。

「タロット占い?」

 三好さんが素っ頓狂な声を上げた。私は小さい頃から趣味でタロット占いをしていた。占いサイトの解説を見て独学でやっていたところ、友人らが見てほしいと集まり出し、それがなかなか好評で、大学時代に占い師に半年間師事してもらった経験がある。

「今ならオンライン占いとかメール占いとかありますし、副業としてならいいかなって」

「……まぁ、働き方は人それぞれですから」

 三好さん若干引いてる。そんなに変なことを言っただろうか。


「今から来てもいいそうです。片野さん、行ってみましょう」

 池田さんの楽しそうな声が聞こえた。じゃあ僕もついていきましょうか、と三好さんが立ち上がる。あれ、不動産屋の社員じゃないよね?

「この物件の耐震の改修をウチでやる予定なんですよ。その辺りも説明したほうが良いでしょう?」

 わー、耐震改修必要なのか。そうだよね、築50年だもんね。私がお金を出すところって売買価格と手数料とこれくらいじゃないか?

 私は浮かれた気分で、池田さんの運転する車に乗った。

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