第9話 好きって何よ!?
「そりゃ田所さんの意見が正しいですよ」
瓦をスレートに改装する資金が貯まったので、三好工務店にお邪魔したときのこと。
スレートの色と施工時期、金額(だいぶオマケしてもらった)の確認をした後、出してもらった2杯目のコーヒーを飲んだ。そして以前から心に引っかかっていた、和カフェの店長さんたちを取材して感じたことを、気がつけば代表取締役の三好さんに話していた。
このとき既に件のミニコミ誌は発売されていたので、情報漏洩とかそういうのは一切ない。ただただ、私の感じたことを素直に三好さんに伝えた。
『好き』を仕事にしている人たちが羨ましいこと。
私の『好き』って何だろう。
『好き』を仕事にしていない私って、なんかダサい?
「片野さんは出版の仕事、好きじゃないんですか?」
コーヒーを片手に、三好さんは私に尋ねた。
「うーん、どっちかというと憧れで始めた仕事だから、好きか嫌いかって言われると首を捻っちゃうんですよね」
そう、憧れのマスコミ系に入れる。企画して取材して文章にして、本というカタチにする。そのプロセスと無から生まれた雑誌が、カタチを持って生み出されることは楽しい。でも、私はそのプロセスが好きなのであり、建築雑誌や建築が大好きだったかというとそうでもない。
「あと、好きを仕事にしたからって、嫌いな業務ってのは必ずついてきますよ。経理だとか確定申告だとか」
「うっ」
経費はきっちり毎月月末に提出すること。これは田所さんの会社でも同じで、いつも自分の買い物とレシートや領収書を一緒の仕舞い込んでしまう私には、苦手な作業だった。
「それに、仕事している人全員が『好き』を仕事にしてるわけじゃないですし、田所さんも言ってますけど、そういう人たちはまだまだ稀な部類に入りますよ。僕だって親父の跡を継いで工務店の社長やってますし。長男だったし、好きも何もなかったですけどね」
時代ですねぇ、と三好さんはコーヒーを一口飲んだ。
「不動産屋の池田さんも確か3代目ですよ。娘さんたちには継がせるつもりはないから、池田さんの代で店を畳むつもりらしいですけど」
「そうなんですか?」
あのあったかい雰囲気の不動産屋がなくなるのはちょっと寂しい。
時代ですよ、と三好さんは言った。
「今どき個人経営で採算取れる店なんて、よほど人脈があるか資金があるか、どっちかだと思いますよ。まぁ池田さんはどっちもあるけど、娘さんたちに負担をかけたくないらしいですからね。宅建業の免許も宅建士の資格を取るのも、結構手間だし面倒だし大変ですし」
お孫さんも小さいですからね。そう言うと、三好さんは2本目のシュガースティックをコーヒーに入れた。
「うちも地元の方々のおかげで何とかやってますけど、毎年綱渡りですからね。専務と経理担当と一緒に、年末は書類と睨めっこですよ」
メーカーの傘下に入ればまた違うのだろうけど、それはそれで使う部品を限定されてしまい、お客さんの好みに施工できないことがあるらしい。
三好さんも苦労してるんだなぁ。
私はコーヒーをちびちび飲みながら三好さんの話を聞いていた。
「で? 片野さんはどうするんですか?」
「え? 何がですか?」
「だから、好きを探して、その好きを仕事にするために何かやったりするんですかって」
「あー……。うー……」
「そんな風に唸っている間は、今の仕事をしていた方がいいですよ。今の仕事をやりながらでも好きなことは探せると思いますしね」
まぁ、のんびりやってみたらどうですか? と三好さんに言われて、私は帰路についた。
「好きなことかぁ」
私はベッドの上に寝転んだ。机にノートパソコン、備え付けのクローゼット。
それだけだとちょっと寂しかったので、キリム調のラグを敷き、人をダメにするソファを置いている。これだけでこの一室はいっぱいだ。
広いリビングをスッキリさせている分、寝室にしているこの部屋と、もう一部屋には物置よろしく荷物が多めに入っている。
もなか先生ほど荷物を潔く減らすことはまだできない。でも、前の住まいの半分にまで荷物を減らせた。この家に大量の荷物は似合わない。今の私の荷物ですら、物量が多いと感じているので、次の連休にはまた大掃除をしようと画策している。
もなか先生なら、どうするだろう。
もなか先生は、どうやって好きなことを探したんだろう。
そんなふうにぼんやり思っていたとき。
スマホの着信音が鳴った。
見るともなか先生からだった。私は慌てて起き上がり、ベッドの上で正座をする。
『こんばんは。栞織ちゃん元気?』
実は引越しの翌日、もなか先生が家にやってきて、お祝いのお菓子をみずから届けにきてくださったのだ。
その際、連絡先を交換したいと言われたので、私は速攻有頂天で連絡先を教えた。憧れのもなか先生と連絡先を交換した……! その後は多いと週に1回、最低でも月に1回はもなか先生から連絡が来る。
内容は最近どう? といった漠然とした質問から、旬の野菜の料理の仕方や、垣根になっている躑躅の花の、掃除のタイミングだとか、門の手入れの仕方だとか、色々である。
なんだか母親がもう一人できたみたいだと思ったが、憧れのもなか先生とうちの母を比べてはいけない。
「元気です、はい、先生もお変わりないですか」
『元気よ、こっちは暖かくて毎日いいお天気。日本のハワイって言われるだけあるわねぇ。で、何かあったの?』
私は普段のように明るく応えたつもりだったが、先生にはお見通しだったらしい。さらりと私の鬱屈を見抜かれてしまった。
「あー、えーと」
私は昼間三好さんに話したことを、もなか先生にも語った。私の好きは何か。好きを仕事にした方がいいのか。好きってどうやって見つけられるのか。
時折あいづちを挟みながら、もなか先生は最後まで話を聞いてくれた。
『栞織ちゃんは、好きなことを仕事にしたいの? それとも好きなことを仕事にしなくちゃかっこ悪いと思っているの?』
「う……、多分、両方です」
話を聞き終わったもなか先生から、鋭い質問が飛んできた。私は好きなことを仕事にしたいと思う反面、好きなことを仕事にしていない自分が正直ダサいと思っていたからだ。
いや、世の中好きなことを仕事にしていない人たちを馬鹿にしているわけではない。毎日懸命に働く人たちは、好きか嫌いかで仕事を決めているわけではないことはわかっている。合う合わない、これしかない、なんとなく。給料がいいから、家から近いから。
様々な理由でその仕事を選び、そしてその仕事を日々こなしている。世の中の多くの人たちは、そういう理由で職を選び、働いている。
でも私は。
せっかく憧れの鎌倉に拠点を構えて、海にも山にもすぐに行けて、老舗から最新のカフェまで網羅できるこの土地に住んでいる私は、好きなことを仕事にして暮らしたかった。
では、何が私の好きなことか。
そこで詰まっています、ともなか先生に正直に話した。
『栞織ちゃん、文章を書くのは好き?』
もなか先生が問うた。
「取材文を書くのは、まぁ文字数ありますし、でも魅力を伝えることは楽しいかなって」
『そうじゃなくて、自分の気持ちや考えを文字にするのは好き?』
自分の気持ち……?
私の文章?
「日記は書いていますが、それが楽しいかどうかは、よく、わかりません」
私は正直に答えた。
『じゃあ、ブログにして公表してみましょう。毎日じゃなくてもいいから。週に1回、何曜日にアップする。それをちょっと続けてみたらどうかしら』
そこで楽しかったら、文章を書くことを学び直してみてはどうだろうか。そこで苦しいだけだったら、文字書きには向いていないことがわかる、と。
「日記を公開するんですか?」
『そう。もちろん、個人情報はある程度隠す必要があるけど、自分の思いや考えなら、そこまで気にせず書けるでしょう? 私のゆるかまも、最初はエッセイを出版社に掲載してもらったことがきっかけだったし』
どうかしら?
もなか先生の声は、少女のように弾んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます