たまたまご縁がありまして。〜ご都合主義の作者が送るご縁な話〜

東 友紀

第1話 早期退職、退職金は200万円

「この雑誌は来月号で休刊となる。ひいては早期退職者を募って当部署を解散とする」

 編集長の重たい声が響いた。

 私、片野栞里かたのしおり。33歳。

 大学を卒業後、憧れだった出版業界に就職してはや11年。入社以来ずっと携わっていた雑誌が、次号で休刊、事実上の廃刊となった。

 希望する文芸系ではなかったが、出版から編集のイロハを叩き込まれ、中堅になりかけていた私には、けっこうショックだった。ゼロから、ちょっとしたネタから企画を練り上げ、取材をし、文を書き、校正に赤字を入れまくられ、何度も何度も書き直し、編集長にぬるいと叱られ、それこそフルボッコな日々だったが、そのぶん「働いてる」という充足感が満たされていて、私はそこそこ、この仕事を楽しんでいた。休日は何もする気がおきず、午前中いっぱい寝て、午後にようやく溜まった家事をこなしていたが、自分はこの仕事に命をかけていたし、私生活なんて無くても仕事があればいいや、という考えだった。まぁこのご時世、ネット媒体が主流になりつつあって、出版業界は斜陽産業と言われて久しい。そんな場所に飛び込んでいったのだから、こうなることも予想するべきだった。


ウチはコアな読者がいるから大丈夫。


 そんな慢心で、企画詰まりになり、ネタ切れになり、企画の焼き回しを肯定して発行を続けた結果、コアな読者層も次第に離れ、発行部数が落ちていった。自業自得だ。

「片野」

 呆然としてデスクに戻った私に、編集長が声をかけた。ちょっと来い、と顎で廊下を示される。私はこくりと頷き、編集長について行った。

 廊下は節電のため薄暗く、なんだか嫌な感じだった。暗く不吉なイメージ。

「お前は早期退職の候補者だ。さくっとここを辞めて、別の出版社にでも行け」

「え」

「お前はまだ若い。いくらでも働き口はあるだろう。残る連中は成年雑誌の部署に回される。無修正のアレやソレなんか見たくないだろう?」

 固めの雑誌を発行している傍ら、ウチの会社は、成人向けの雑誌でも名前が知られていた。なんでも社長が元々そっち系の出身で、そのノウハウを活かして成年雑誌を出版したのが始まりだという。その後、建築系の題材を得意とする編集長が入り、新しく部署を立ち上げる形で、私の居る(既に「居た」になりかけている)編集部ができたらしい。


「……履歴書には会社勧奨により退職、って書いていいですか?」

「ああ。実際こうして勧めてるからな。フリーのライターになるもよし、別の業界に行くもよし。好きにしろ」

「ええと、退職金は……」

 終電帰りまではいかないが、残業で夜の10時まで残ることが多かった11年間。家と会社の往復だけだけど、たまの買い物でストレスを発散させていたため、貯金は200万ほどだった。

 編集長は無言で指を二本立てた。200万。貯金と合わせて400万。

 今すぐ仕事を見つけないといけない金額ではないが、老後のことを考えると悠長にもしていられない額な気がする。仕事を探すまでの生活費、仕事を見つけても引っ越しもあるだろうし、家賃と敷金と月々の保険と年金と投資費用を考えると、無職は長くて1年。職安で失業手当の申請もしなくては。

「わかりました、早期退職を希望します。今までお世話になりました。ありがとうございました」

「まぁ、ここでの知識もどこかで活かせるさ。体だけは壊すなよ」

「はい」

 そう言うと編集長は編集部に戻っていった。私は廊下の明かりのように、薄暗く、不安になっていた。出版業界に残るか、新たな道を歩むか。

 私は硬い表情で会社を後にした。


「長い間、お世話になりました。ありがとうございます」

「お疲れ様〜、元気でね」

 ぱちぱちと拍手がそこかしこから鳴る。

 早期退職を募って2ヶ月。退職者の送別セレモニーが終業間際に行われた。

 12人の編集者のうち、8名が退職を希望した。残るのは中年以上の男性ばかり。皆、成年雑誌への転属が決まっていた。

 20代、30代、40代の退職者たちは、それぞれの道を歩む。40代の大野さんは、これを機に奥さんと実家に帰り、在宅フリーランスとして働きながら親の面倒を見るそうだ。20代の高城くんは、大手出版社のコミックス担当に既に就職が決まっている。同じ30代の綾野さんは、アルバイトをしながら、婚活に力を入れるらしい。伊藤さんは持っていた建築士の資格を活かして、不動産業界に活路を見出した。

 行き先が決まっていないのは、私と、ちょくちょく欠勤する元木さんだけだった。元木さんは成年雑誌でもいいから仕事をさせてくれと編集長に訴えたが、療養が先だろう、と諭されていた。どうも持病があるらしい。

 健康なのに、先が見つけられない私が、なんだか異物に見えた。みんな先を考えて行動している。私は? この2ヶ月間何をしていたの?

 ひとり取り残されたような気がして、手渡された花束を見つめていた。バラにガーベラ。かすみ草。

 オレンジベースの花束だけが、その生を謳歌しているように見えた。


 マンションに戻った私は、そのままベッドに倒れ込んだ。もらった花束がバサリと床に落ちる。

 この先、収入がなくなる。この月7万の部屋も、そうなると高く感じてしまう。

 節約しなきゃな。不用品は売って、ちょっとでもお金を増やして。あ、来月発売の新作コスメ、どうしよう。不用品売ったお金で買えばいいか。いやいや、節約だってば。家賃も安いところに引っ越すか、いやでも就職先が遠かったら嫌だし、引っ越した意味なくなるしな。あー、職安行こう。とりあえず何を持っていけばいいんだろう?

 ベッドに寝そべりながら、失業手当についての記事をつらつらと読み始めた。なんだか面倒くさい。離職票に写真に本人確認の個人情報、受給のための通帳、失業手当をもらうための説明会。4週間ごとの審査。4週間のうちに求職活動を行なっているか(求人閲覧ではダメで、履歴書を送るとかしないといけないらしい)、これ望む求人がそのときあるとは限らないのに、4週間って区切りで受給の可否が決まるの? なんかひどくない? お金もらうだけのために行く気もない会社に履歴書書いて写真貼って切手貼って送って、お祈りメールか通知か知らないけどもらって凹んでいけっていうの? 履歴書は印刷すればいいけどさ、写真代とか封筒代とか誰が出すのよ? タダじゃないのよ?

 常に求人があるのは飲食、介護、清掃もしくは年収1000万前後の人がやるようなハイスペックな内容。私のいた出版系は求人があまりない。

 実家に連絡を入れるか。いや、どうせ帰ってらっしゃいとか結婚しなさいとかお見合いしなさいとかうるさく言われるだけだろう。いいの、私は仕事に生きて1人で生きていくんだ。26歳のときに浮気され(しかも三股!)、手痛い失恋をした私は、もう男が信じられなかった。結婚も子供も、諦めていた。元々結婚願望も希薄だったし、子供も可愛いけど育てていく覚悟が持てそうになかった。時短だけど働きながら子育てしている友人たちがすごく優秀な人材に見えた。私は無理。仕事で手一杯。家事だっておざなりなのに、24時間365日面倒を見ないといけない存在と暮らすなんて無理。


 とりあえず、職安は来週に回して、今週はちょっとリフレッシュしよう。

 私は観光サイトを開いて、明後日あたり行ける所を探し始めた。

 ふと、地元近くの鎌倉の文字が目に入った。実家は藤沢だ。鎌倉は学生の頃、よく1人とか友達と行ったりしたっけ。最近行ってないな。


 私は鎌倉行きの行程を組んで、ようやく着替えを始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る