第18話 返事は何処へ?

三好さんから返事が来た。

 私は仕事中だったので取り急ぎ受け取りました、後でじっくり読ませていただきますと返信して入稿作業に取り掛かった。


店舗の写真は画素数が足りているか。

文章や店主のプロフィールはダミー文章ではないか。

地図掲載オッケーなところは、場所が間違っていないか。

電話番号、サイトのURLは合っているか。

当然ながら誤字脱字はないか。


 三好さんの返事が正直気になって仕事どころじゃなかったが、仕事は仕事。きっちりやってなんぼの世界である。今回の記事がつまらないと一度でも思われたら、読者は遠のいてしまう。そうならないように定食、甘味、居酒屋、土産物屋、おすすめスポット、散策ルートとその時間。

 ミニコミ誌といえども、そんじょそこらの観光ガイドブックより充実していると編集長の田所さん共々自負している。このミニコミ誌を依頼している版元からも信頼は厚く、版元自ら営業に回ってくれて、お陰でさまざまな場所に置いてもらっている。


「田所さん、こちらの特集、最終チェックお願いします」

「わかりました。しかしいつもより集中足りなくない? うっかり見落としがあったら大惨事だからじっくり時間をかけて読ませてもらうよ。その間、前にオッケー出したページの入稿手続きお願いね」

「うわ、はい。わかりました」

あちゃ、意識が他所に行ってるのがバレてる。さすが編集長。

「片野さん、このページ、ゲラ出るの2日後ですかね? 4ページ目のメイン画像データちょっと飛んでる気がするんで早くチェックしたいんすよね」

DTP担当の川崎さんが難しい顔をして椅子に寄りかかった。ギッと椅子が悲鳴を上げる。

「画面上ではそこまで明るくなかった気がするんですけど」

「やっぱ画面上と紙じゃ写りが違うんですよ。今回薄曇りの中で撮ったんでしょ? 少し明度下げないといけないかもしれないんで」

「じゃあゲラ来たらすぐにお渡ししますね」

「よろしくっす」

「やっぱりもう一人雇ったほうがいいかねぇ」

「そんな余裕あるんですか」

「まぁ、ボクの稼ぎを減らせばなんとか」

「でも正社員というより掛け持ち必須のパートさんですよね。年4の季刊誌ですから」

「そうなんだよねぇ」

 この編集部に誤字脱字・文章の表記揺れ・画像の良し悪しをチェックする校正者はいない。たまに外部の校正さんに依頼することもあるが、基本は校正も自分たちでやるので、起こるであろうトラブルも予測に入れて動く。本当は専門でやって欲しいのだが、弱小編集プロダクションにはそんな金銭的な余裕はない。ライター兼カメラマン2人、デザイナー兼誌面構成者1人体制でどうにかやっているのだ。


 根をつめた入稿作業がひと段落し、私は帰路についた。今日は残業したので編集部で出前のトッピングがっつりうどんを田所さんに奢ってもらった。エビ、ナス、玉ねぎ、舞茸、ホタテ、ピーマン、山芋の天ぷらがお腹に溜まる。しかし夕飯も出るし、残業代も出るし、いい所よね。3人で回すのはちょっときついと思うこともあるけど。まぁ編集なんてどこもこんなもんだろうし。

 でも取材費とか謝礼とか全部田所さんが計算してるのはちょっと大変なんじゃなかろうか。年4回の発行とはいえ、経理の仕事だってかなりある。取材で食べる食べ物のお勘定だって領収書を作ってもらって田所さんに直行である。私も簿記習おうかな……。いやそんなことより経理兼校正さんがくれば安泰なのよね。いないかなーそんな人。


 と、家についた途端にスマホが鳴った。見てみると大学時代の後輩からだ。確か彼女も何度か転職して出版業界に飛び込んだとか言ってたな。

「もしもし?」

「あ、片野先輩、ご無沙汰してます。上條です。夜分に申し訳ないのですが、今お時間ありますか?」

 ちょっと切羽詰まった声音に、私はこれは切ってはいけない電話だと思い、

「いいよ。今帰ってきたばかりだからちょと着替えさせてもらったりするけど、それでもいい?」

と言った。上條ちゃんははい、と力強く頷いたっぽい。

 私は音声をスピーカーモードにして彼女に話を促した。

「私、編集アシスタントとしてB社に入社したってお話したじゃないですか」

「うん、めっちゃ大手でよく入ったなーって思ったわ」

「でも、そこを辞めようと思ってて」

 彼女の声のトーンが一気に下がる。

「なんでまた? セクハラでも受けたの?」

「それもあるんですけど、入社以来ちゃんとした仕事をもらえなくて……。原稿の赤字転記だとか、入稿データのチェックとかはまだいいんですけど、商業高校時代に取った簿記をあてにされて経理業務と校正がメインで、おまけに残業も多いのに残業代少ないし」


ん?


経理と校正??


ほうほう。


「上條ちゃん、経理と校正の仕事嫌い?」

「いえ、数字を扱うのは好きですし、間違い探しみたいで校正も楽しいと思っていますけど、そう考えたら、出版業界とか今の会社にしがみつかなくてもいいんじゃないかって思い始めて……。給料もボーナスもどんどんカットされるし、家賃高いし、仕事して寝るために帰るだけの生活で。うち瀬戸内出身なんで、海が恋しいっていうか。フリーランスになって、もっと自然の多いところか近いところで、経理メインに在宅で仕事したいなって思い始めて」


なーるほど。


「あのね、私の一存では決められないけど、ちょうど経理と校正できる人がいればいいなって話をしてる会社があるのね。明日ちょっと話振ってみるから、転職も退職も少し待つことってできる? しんどかったら休職とかしててもいいから」

私は一息に捲し立てた。彼女は気圧された感じで、はい、と答えて、休職手続きしてみますと言ってくれた。


翌朝、私は出社してまず上條ちゃんの件を田所さんに話した。

「で、似たような会社の偉い人に掛け合って、いくつか仕事持たせたら、彼女も収入安定して鎌倉近辺に住めないかと思いまして。大船駅周辺だったら鎌女もあるし、女子向けのアパートマンションとか6、7万でいい物件あると思うんですけど」

 大船駅は鎌倉市と横浜市に隣接していて、道路を挟んで景観がかなり違う。鎌倉市になっているエリアは階層の低い薬局居酒屋美容院カフェ飲食店が所狭しと並び、スーパーも駅から近い。一方、横浜市になるエリアには大型商業施設が建てられ、高層マンションがあり、ハイソな雰囲気を醸し出している。


 彼女がどちらを選ぶかはわからないが、千代田区ど真ん中の今の会社や賃貸マンションより、海のある鎌倉まで超近い。これはいけるんじゃないかと田所さんに力説した。

「校正はともかく、経理って業界選ばないじゃないですか。小さな会社で、経理を正社員で雇うお金が出せないけど、手伝って欲しいなーって締め日が異なるところを紹介すれば、1社5万の契約で6社くらい掛け持てば、フリーランスでも生活成り立つんじゃないですかね?」

「なるほどねぇ、池田さんとこも経理いないって言ってたねぇ。娘さんが手伝ってたんだけど、結婚して孫が産まれて辞めちゃったし」

 お世話になった池田屋不動産、超家族経営だったんだね。池田さん今一人なのか。大丈夫かな。

「そういうところがあと4、5社あれば、いけそうじゃないですか?」

 そうだねぇ、と田所さんは椅子をくるりと一回転させた。


「フリーに転向するって考えているのであれば、ネット環境と倫理観はしっかりしてもらわないといけないけど」

「あ、大丈夫です。自作PCが家にある子で、ネットリテラシーもしっかり高校で学んだって言ってました」

「うーん、じゃあちょっと心当たりのある会社に声かけてみるから、その子に履歴書書いてウチに送ってもらえるよう言ってくれるかな。ボクが面接してOKなら、他の社長さんたちも安心するだろうし」

「ありがとうございます!」


 数日後、田所さんの元に彼女の履歴書が届き、すぐに面接の運びとなり、私も同席する形となった。声のかかった他の会社の偉い人はオンラインで参加。

 ぶっちゃけ超圧迫面接だけど、オンラインだとそこまで緊迫感がないのよね。

 校正作業はウチだけで、あとは経理がメインである。どこも鎌倉近辺の小さな会社で、社長兼経理だとか、営業兼経理だとか、社長の奥さまが電卓叩いているとか、似たり寄ったりの状態だ。

 上條ちゃんはやつれた顔をしていたが、フリーで生きていく覚悟を持った目をしていた。

 田所さんや他の会社の社長の質問に澱みなく答える。なんだかんだで経理十数年、B社で校正5年のキャリアは大きかった。

 満場一致で採用が決まり、再来月から全ての会社から仕事を貰えるようになった。

 ついでに池田屋不動産で新居を紹介してもらう算段になった。やるな池田さん。


「先輩、ありがとうございました。これで海を見に来る回数も増えそうです」

「何言ってるの。上條ちゃんが頑張ってきた結果でしょ? 私はそのお手伝いをしただけだから。次号からの校正作業、よろしくね」

「はい!」

 朗らかな笑みを浮かべて、彼女は帰って行った。


あ。


三好さんの返事、まだ読み途中だった……。

次に会う日、明後日じゃん!

私は慌てて残りの返事を読み漁った。

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