04 VS獣王・side獣王
【side:獣王】
獣王は、至極落ち着いていた。
いかにSランク冒険者であろうとも、全くもって強者のオーラを感じないからだ。
今まで下したSランク冒険者は、獣王よりは弱いとはいえ、それなりの強さを感じさせたものだ。それこそ、闘技場の内外くらいであれば感じ取れるほどに。
だが、今回の相手に強者特有のオーラは一切なかった。
こうして控え室にいてもなお、相手がいるかどうかすらわからないほど。
むしろ、直前になって怖気づき、勝負から逃げたと思えるぐらいになにも感じない。
だがそれが自然の成り行きだと、獣王は判断していた。
獣王はかつて、帝国の東側に広がる大森林――ゾアーマ大森林にて暴威を振るっていた。
幼き頃より研鑽を積んできた獣人。
肉体能力に奢らず、武器の扱いを習熟した戦士だ。
単純な力押しばかりが目立つ獣人の中、武器を扱う者など皆無。むしろ武器を振るうのは弱者だと蔑視される空気があった。
だが獣王は武器の重要性を重視し、なんと蔑まされようと武器を振るい続けた。当時の最強戦士と呼ばれた獣人を一方的に倒した時、獣王は獣王となったのだった。
複数の獣人族の中で最強になった獣王は、すぐさま部族内に装備の重要性を説き、獣人族はより精強となって周辺部族へと侵攻していった。
そんな獣人族を隣国に位置する帝国が放置するはずもなく、獣王の危険性を重く見た帝国は英雄の派遣を決定する。
その時に抜擢されたのが、『竜槍』ドレイクである。卓越した槍の技術は英雄随一であり、一対一において無類の強さを発揮するタイプだ。
彼が選ばれたのは、獣王を誘い出すためである。ドレイクは獣王を挑発し、獣王はそれを受けて前線に出た。そこで一騎打ちを挑まれたのだ。
獣王の武器は無骨な大剣。というよりも、鉄塊に近いもの。獣人の身体能力で振り回すことに重きを置いた為、壊れないことが武器選びの最優先となったのだ。
その大きさは、ドレイクの槍が木の枝にも見えるほどだった。人間としてあまり大きくないドレイクの体格も相まって、一騎打ちの様相はまるで、オーガが子どものゴブリンを叩き潰さんとするかのようであった。
だが獣王の背中には冷や汗が流れていた。
ドレイクの強さを、本能で感じ取り、恐れていたからである。
結果。
獣王の攻撃はかすりもせず、ドレイクの完勝という形で終わる。ただそれはドレイクが自分の一撃を恐れて回避に専念したということであり、獣王にとっては満足の行く闘いではあった。
その後、獣王は命を奪われず服従を余儀なくされ、闘技場での見世物となった。
だが獣王の強さが偽りだったわけではない。ドレイク――英雄が異常なだけだった。
故に。獣王は闘技場で上り詰め、闘技場において王者となったのだ。
英雄という規格外の戦力を除いた内において、獣王は間違いなく最強に近い。
無論、昔を思い出した懐かしむことはある。自分が世界最強であると勘違いしていた若かりし時期を。
だがそれを気恥ずかしく思っても、決して生き様として恥だとは思わなかった。それに獣王が大人しく従ったことで、獣人族は皆殺しを避けられ、反乱できないほどに戦力を削られただけで許されたのだ。奴隷でもなく、自由意志で生きることを許されている。
しかも闘技場の王者である獣王は多額の賞金をもらい、帝都で良い暮らしもできていた。
これに感謝こそすれ、英雄への恨みなど以てほかである。弱肉強食の世界。自分が弱者だとわからされても、肉塊に成り果てなかったことを喜ぶ以外にないだろう。
だからこそ。
目の前の挑戦者は許し難いもの。
獣王が闘技場の中央に出た時、その挑戦者は一切恐れを感じていないように見えた。胆力だけはあるようだが、力量がない。
ここに立つ資格がある者は、獣王に並ぶ、もしくは近い力を持つものだけだ。
だというのに、目の前の男にはそれを感じない。察知できる力量としては並以下だ。
力量を隠している可能性もある。
だが闘技場が割れんばかりの歓声に包まれ、対戦相手である獣王が姿を見せてもなお隠す理由があるのだろうか。それもこれほどまでに、完璧に。
否。
その可能性はない。
闘技場に来るほど強者を求めている者が、そんなことをする理由がないからだ。
故に、獣王は問う。
「オレの大剣を受けられた者はいない。かの英雄ドレイクでさえ、回避するだけだった。それはこの一撃を受けた者は、残らず轢き潰されてきたからにほかならない……と、これがオレの強さだ。そのような矮小な体躯でどうするつもりだ? 人間」
獣王は相棒の鉄塊のような大剣を片手で肩に乗せ、見下して鼻を鳴らした。挑発のつもりだったのだが、思いのほか本心が出てしまっていることを自覚する。
対して、挑戦者の男――エクレアは首を鳴らしながら短く返してきた。
「どうもこうもあるか。戦って勝つ。それだけだろ」
「フン! Sランク冒険者とやらはいつもそうだ! あるのは自信ばかりで歯ごたえがない! 少しはオレを楽しませてみろ!!」
「わかった。なら全力で来い。そうしたら返してやる」
それが獣王の逆鱗に触れた。
強者とは、そんな生ぬるい存在ではないのだ。それに相応しい振る舞いと威厳をもってして強さなのだ。
全力でぶつかるのならば、全力で返す。それは当然のことであり、余裕を持って相手を見下すのは愚か者のすること。獣王は英雄ドレイクとの闘いからそれを学んでいた。
それを軽んじる目の前の人間に、温情など必要ない。
殺すことは不許可の闘いではあるが、あまりにも弱すぎて事故が起きたとでも言えばいいだろう。
獣王は腰を落として、大剣を上段に構えた。
抜くは必殺。一撃必殺の振り下ろし。それだけでいい。この程度の男、視界に映っていることすら腹立たしいのだから。
『それでは……試合開始ッ!!』
戦いの火蓋が落とされた時、獣王は全力で踏み込んだ。
その武技の名を、〈山崩し〉という。
並程度の者では反応すらできない神速の一撃。敵を叩き潰す為だけに鍛え抜いた、渾身の振り下ろしだ。
それは目の前の挑戦者も同じ。こちらに顔を向けてはいるが、それだけだ。剣の動きも、獣王の動きも追えてはいない。その瞳はこちらに向いているだけで、捉えているわけではなかった。
あまりにも弱い。
どうして獣王に挑戦しようと思ったのか。
これから死にゆく挑戦者へわずかな同情を抱きながらも、強者の誇りを傷つけたことへの怒りを晴らす為。
獣王は、大剣を完全に振り切った。
瞬間。
「なッ……!」
まず両手の感覚が軽くなった。
いや、軽くなったなどというものではない。突然、大剣が空気のようになってしまったのだ。
それから、眼前で砕け散る真っ黒な鉄の塊がある。それは獣王が何十年と相棒として使ってきた武器であり、闘技場用に精錬を重ね、丈夫さも切れ味も以前とは比べ物にならない一品だ。
続けて耳をつんざくような金属音。大剣が中腹から両断されたことによる轟音は、闘技場の大歓声を貫いて獣王の耳を支配する。
そして、砕けた大剣の向こうに見える挑戦者。先ほどまで弱者だと思い、見下していたはずの男だ。
その男は右手だけを軽く上げ、手の甲で大剣を砕きつつ、こちらをしっかりと見据えていた。
獣王が攻撃する時にこちらを見ていなかったのは、その必要がなかったから。彼にとって、研鑽に研鑽を重ねた獣王の振り下ろしなど児戯にも等しかったのだ。
獣王はその事実に気づき、身体の芯から震え始める。
武者震い? 強者に出会えたことの興奮?
否。
恐怖だ。
かつて幼少の折に抱いたことがあるだけの、忘れかけていた感情。
英雄ドレイクの時は戦士として闘い、そして負けたという清々しい感情しかなかった。
だが、今。
この身を支配しているのは、幼き頃に親とはぐれたような途方もない孤独感。
恐怖に支配された獣王の両手から残った大剣が滑り落ちた時、闘技場は痛いほどの静寂に支配される。
「……今のが全力か?」
呟いたような声量。しかしそれは闘技場全体に聞こえたのではないかと思えるほどに、重厚な響きを持っていた。
「おっ……オオオオオォォォォォぉぉぉぉぉぉ!!!」
獣王の心は大剣と共に折れた。
これほどの存在がいてはいけない。
こんな、自分の最大威力の技――〈山崩し〉を片手で砕け散らせるような存在が。
獣王は現実から目を背けて自らの爪をまっすぐに伸ばし、がむしゃらに腕を振り回しながら接近する。
そうすれば目の前の存在が、幻となって消え去ることを信じているかのように。
「そっか。なら……お前も違う」
挑戦者がなにか言ったようだが、もうどうでもいい。
(消えてくれ! 早く目の前から消えてくれ!!)
そう願う獣王の額に、鋼鉄が飛来したかのような衝撃が走り、獣王は一瞬動きを止める。
だが、次の瞬間には獣王の身体は矢と見紛う速度で宙を飛び、闘技場の壁へと叩きつけられていた。
デコピン。
たったそれだけの一撃。
だがそれは獣王の無数の爪撃を越えて放たれたものであり、観客の目にはエクレアが動いたことすらわからなかった。その為、闘技場内は未だに沈黙が下りたまま。
当のエクレアは指を握って開いてを繰り返し、
「俺もまだまだ弱い」
そう言って、踵を返すのだった。
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