06 弟子入り志願

「ああ、すまんな。拠点に服があるから、ちょっと戻るか」


 全裸男は私がなにを気にしているのか理解したのか、くるりと背を向ける。下半身のソレは見えなくなったものの、今度は引き締まったお尻が見えるようになってちょっと落ち着かない。


 ただそれ以上に気になった情報がある。彼は何気ないように言ったが、この森に拠点を築いたという重大な事実が判明したことだ。


 ここ『混沌の森』は人間と魔族の生活圏を分かつ巨大な森である。


 それは水龍である『ヌシ』の存在が一番大きかったが、そもそもこの森に棲んでいるモンスターは比較的強力な者が多い。それもあって、人間も魔族も無理にこの森を抜けてまで攻め込むことはなかったのだ。


「拠点? 拠点を作ったんですか?」

「池の側だけどな。ここからすぐだから、一緒に行くか?」


 彼の提案に私は頷き、その後ろを歩くことにした。

 私は立ち上がり、先程魔族から受けた物理ダメージは全く残っていないことを確認する。衝撃で一瞬呼吸が乱されたぐらいで、至って健康体だ。


 立ってみてわかったのだが、全裸男は随分と大きい。私が小柄なのもあるだろうが、顔を見るには首をややキツイ角度で上げないといけないほどだ。


 あとさっきまでは戦闘中だったから気にならなかったが、目つきが鋭い。というか悪い。怖い。顔の作りはさほどでもないのに、目元が吊り上がっているせいで悪人面に見えるほどだ。


 私はそんな彼の後ろを付いて森の中を進む。

 全裸なのに堂々と草木の近くを歩いていく豪胆さはすごいと思うが、同時に平気なのかと心配にもなった。


 彼は……先程から彼とか全裸男とか呼んでいるが、名前はなんなのだろうか。

 と、そこで私は自分も名乗っていないことに気がついた。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はフラン。冒険者です」


 Sランクの、とは付けなかった。別に付けなくてもいいだろう。なんか自慢に聞こえても嫌だし。そもそもこんな場所に住んでいる人に、それが通じるかどうかも怪しい。


 全裸男は首だけで振り返り、私を見下ろす。


「俺はエクレア。職業はないが、修行中の身だ」


 修行中。なるほど。それで『混沌の森』に拠点を構えているのだろう。

 上級魔術を初級魔術で打ち破るような謎の技や魔力の持ち主だ。このあたりでないと、修行にならないのかもしれない。


 彼が――エクレアさんが言ったように、拠点はわりとすぐ近くにあった。

 ただその場所は湖の――彼は池と言っていたが、この大きさは湖だろう――ほとりであり、周囲にモンスターが生息しているはずなのに、森閑としてどこかのどかな空気が漂っている。


「水龍が……いない?」


 私はなによりも先に湖へ近づく。湖の中には大きな気配はなく、影ひとつ見えない。私のクエストは『水龍の存在を確認する』というものだったが、いないことはすぐに理解できた。


「なにかあったのか?」


 大きな葉っぱに包んでいた軽装を取り出しながら、エクレアさんはこちらに顔を向けた。

 撥水性の高い葉っぱを収納に使っていたらしい。修行をするとそういう知恵も付くのだろうか。


 横を見れば、木で屋根まで作られた小屋があって本当にここで生活していることが察された。石で作った物干し台や、焚き火の後も現実感を後押しする。ひとりで作ったのならば、なにかしらの魔術を持っているのだと思われた。


「この湖に、大きな龍がいませんでしたか?」


 だが、そも湖のほとりに拠点を作れることがおかしいのだ。こんな近くまで足を踏み入れれば、水龍が必ず襲いかかってくるだろう。


 事実、近づいて観察しようとしただけで、何人もの冒険者が追い返されている。ひどいものとなれば、その尻尾で圧殺されていたこともあるとか。そういう経緯もあって、水龍の存在確認は遠距離からの観測が常だった。


 だというのに。

 それだけの猛威を振るっていた水龍は、既に影も形もない。


 すると、エクレアさんは服を着ながら間延びした声を上げる。


「あー、龍じゃないとは思うが、デカイのはいたなぁ。せっかくの大型の食料だったのに、惜しいことしたぜ」

「……はい?」


 私は聞き間違いであってほしいと思いながら、もう一度質問を繰り返す。


「えっと、龍を倒したんですか?」

「龍じゃない。デカイ蛇みたいなやつな。あれだけデカけりゃ何日分の食料にもなったのになぁ」


 本当に悔しそうな表情を浮かべるエクレアさん。

 どうやら彼には龍を倒した自覚がまったくないらしい。


 いや、私だって最初からその情報だけをもらっていたら信じなかっただろう。

 しかし目の前にいるのは、初級魔術で上級魔術を打ち破る常識外の魔術師なのだ。


 龍を倒した話だって、荒唐無稽と断じるには早すぎる。龍を倒せる人間にはひとりだけ心当たりもあるし、人間には絶対に不可能というわけではないはずだ。


 ただし当然、条件として様々な技や魔術を持っているという前提がある。


「それは……もしかして、初級魔術で?」


 そうであってほしくないと思いながら、私は一歩踏み込んでみた。

 もし、本当に私の質問が肯定されてしまえば、この人は『初級魔術で龍殺し』を成し遂げた英雄となる。それは過去どれだけの歴史をさかのぼっても存在しなかった偉大な存在だ。


 ただ、そこまでの力を持つ人間が存在してほしくないと思うのも事実。

 そんな人間がいるというのなら、Sランク冒険者になった程度で浮かれていたこともある私などは、どれだけ矮小な人間になってしまうと言うのだろう。


 自身の実力を突きつけられるのを恐れながら彼の返答を待っていると、


「おぅ。俺、〈ライトニング〉しか使えないしな。殴ってもよかったけど、肉を焼くついでに撃っとけって思ったのがマズかったよなぁ」


 まさか消し飛ぶなんてなぁ、などと嘆いている彼をよそに私は愕然とした。


 〈雷撃ライトニング〉しか使えない?

 もしそれが事実だとすれば、どういうことが考えられるだろうか?


 初級魔術で上級魔術を打ち破るのは常識的に不可能である。

 だからこそ、初級魔術の魔術名を口にしながらも実際には別の魔術を放った、という可能性も考慮していた。


 いや、それだって並の魔術師には無理だ。口に出した魔術名に発動魔術は引っ張られる。故にそれを無視して、上級魔術を打ち破る魔術を発動させる時点で実力は保証されるのだ。


 しかも外見まで〈雷撃ライトニング〉を偽装した魔術。相当、高位の魔術師だと思ったのだが、彼は元から〈雷撃ライトニング〉しか使えないと言う。


 もちろん、これが私という存在を警戒した上での嘘という可能性もある。

 しかし、と私は彼の方へ視線を向けた。


 服をようやく着終わり、身体の動きを確認するように腕や背中を伸ばしている。

 そこには微塵も警戒心などないように見えた。


 そもそも私を自らの拠点に招いたという点からして、彼がこちらを騙そうとしているとは考えにくい。魔族との戦いに突っ込んできて、私を助けようとする人なのだ。あんまり疑っても悪いだろう。


 けれど、そうなると考えがまた一周してしまう。

 〈雷撃ライトニング〉しか使えない、とはどういうことなのか?


「えっと……〈雷撃ライトニング〉しか使えないんですか?」


 私はもう考えるのが面倒になって、直接訊いてしまった。

 既に彼は規格外の存在なのだから、いくら考えたって答えなんか出るはずもない。


 素直に答えてくれるかどうかに一抹の不安を覚えたが、彼はなんでもないように頷いた。


「どうにも〈ライトニング〉以外は覚えられなくてな。ガキの頃から〈ライトニング〉だけを鍛え続けてきたんだよ。今じゃすっかり馴染んで、〈ライトニング〉で身体強化もしてたこともある。今はしてねぇけど」


 簡単に言って腕を組むエクレアさん。

 私はまた答えの出ない問いを脳内で回す。


 だから、彼は強いのだろうか。いや初級魔術はいくら鍛えても初級魔術だと思うのだが。っていうか〈ライトニング〉で身体強化ってなんだ。常識がガラガラと崩れていくような音がする。


 ――いや、ちゃんと受け止めなきゃ。


 現に常識を打ち壊す存在が現に目の前にいるわけで。これまでの常識を彼に当てはめるほうが失礼なのかもしれない。


「ありがとうございます。わかりました」


 貴方の力量がわからないということが、と心の中で付け加えた。

 私はふとエクレアさんをじっと見てしまう。


 最近、私は自身の強さに頭打ちを感じていた。

 Sランク冒険者となり、人間の中では上位の強さを持っているのだろう。


 ただ魔族やモンスターを含めれば、どこまで順位が落ちるかわからないし。

 なによりも私の目的の為に、まだまだ強さが必要なのは確かだ。


 となれば、私が取るべき行動はひとつ。

 この人の下で、その強さの秘密を知ることだ。


 私は身体を伸ばしている彼の目の前に行き、頭を下げた。


「お願いします! 私を弟子にしてください!」

「ダメだ」

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