05 森の中の戦闘・エクレア編

「なに!? どこに変態がいるんだ!?」


 変態だと呼ばれても自覚がないのか、全裸の男は首を左右に見回した。

 いや、その格好で変態じゃないと言い張るのは無理がある。


 全裸男は白色の髪の毛が逆立っているだけで、あとはもう完全にすっぽんぽんだ。肌が全身丸見えである。


 生傷のような傷跡が無数に付いているが、全裸で歩いているからだろうか。全裸なのでハッキリ見えるが、なかなか筋肉質な全身をしており、なにかしらの戦いを勝ち抜いてきたらしい風貌だ。

 

 だが、それ以上に気になる下半身のアレは、こちらからは足の陰になって見えないのが幸いか。いや別に見たいわけじゃないし。むしろ見たくないまである。


「お前だお前! なんだお前、人間か!? 裸でうろつきやがって!」


 魔族の男ですら、剣を振り上げた体勢のままで全裸男を指差した。

 むしろ魔族がそう指摘しなければ、先程までの演技も忘れて私が声をあげただろう。


 しかし魔族から指を差されて、男は憤慨した様子で指を突き返してくる。


「さっきまで雨が降ってたからしょうがないだろ! お前こそなんだ! その青い顔は!」

「オレは魔族だ! 魔族も知らんのか!?」

「知らん!!」


 ハッキリと言い返す男に、私はどうすればいいのか小さくため息を吐いた。

 男の乱入で既に杖先に集めた魔力も集中力も霧散してしまっている。上級魔術を魔族にぶち込むのはもう不可能だろう。今からでは再度集中できそうもないし。


 魔族の隙を突いて中級以下の魔術で脱出してもいいが、あの男がどういう立ち位置なのかが不明瞭だ。

 おそらくは人間の味方だとは思うのだが、こんな森の奥で全裸でいて、魔族の存在すら知らない者を味方だと妄信していいのだろうか。


 いまいち答えが出ない状態で私は動けず、とりあえず防御魔術を掛け直しておくことにした。


「〈完全なる盾パーフェクト・シールド〉」


 小声で詠唱し、自らに掛ける。

 先程より防御力のしっかりとした上級魔術だ。これでどう転んでも一撃で死ぬことはないだろう。


 そんな私の様子に気づかないらしい魔族は、完全に全裸男へ意識を持っていかれていた。

 だからこそ、私も防御魔術をこっそりと掛け直せたのだが。


「なんなんだこの人間は……本当に人間なのか?」


 それは私が聞きたい、と魔族に心の内で答えておく。

 こちらの動揺を知ってか知らずか、全裸男は腕を組んで仁王立ちになった。


 いや、あの、その姿勢はやめてほしいんですけど。

 一応、こっち生娘なんで、その下半身のアレが完全に見えてしまってなんだか気まずい。


 かといって全裸男から視線を逸らすのも、戦況が見えなくなってマズイので、常にアレを視界内に収めておかなくてはならないのだ。これはこれでツライものがある。


「そんなことより。子どもを殺そうとするのは見逃せないな」

「全裸で真面目な顔をするなよ……」


 あまりにも全裸であるインパクトが強い為か、魔族ですら頭を抱えていた。

 だがさすがに切り替えたようで、魔族は首を振ってから全裸男を睨む。


「ふん。まあいい。魔族が人間を殺してなにが悪い」


 魔族という存在自体を知らない人間には通じなそうだが、思ったよりも理性的な全裸男は考え込むような仕草をした。


「それが悪党ならば自業自得だろうが……。いや、もし悪党でも子どもが殺されそうになってるのだけは我慢できん」


 ちょっとまって欲しいのだが、先程より"子ども"と呼ばれているのは私のことだろうか。


 確かに見てくれは小柄だけど、そこまで子どもっぽくはないと思うのだけど。髪型だって頭の後ろでひとつに括っていて、ちょっとだけ身長をかさ増ししているし。いや座っているから意味がないのか? いやいやでもこの赤い髪色は大人っぽくていいじゃないだろうか、と自分でも思っているのだけど。


 とはいえ。

 やられている振りを続けている以上、私自身が抗議することはできないのだが。


「なら、こうしたらどうよ!?」

 

 などと考えている内に、魔族はロングソードを私の首元に突きつける。

 煌めく刃がすぐ側まで迫っていて緊張感が走るが、掛け直した防御魔術によってどんな攻撃でも一撃なら防ぐことが可能だ。


 よって、この状態は人質にはならない。

 むしろ情報戦でこちらが優位に立っている。もし全裸男が魔族の注意をもっと引いてくれるのであれば、この態勢から上級魔術を叩き込むのも不可能ではないかもしれなかった。


「どうだ!? 正義の味方さんよ!?」


 勝ち誇った様子の魔族が吠える。


 それもそうだろう。魔族からしたら既に瀕死の私を人質に取っているのだから。私から反撃されるなど露ほども考えていないはずだ。


 それでいて私を助けようとする全裸男が相手なのだから、どうやったって負けはないと踏んでいるのだろう。


 この状況で全裸男がどう動くのかと観察していると、彼は魔族に向けて手招きをした。

 かかってこい、と。明確な挑発動作を見せたのだ。


「来い。一番強い技を俺に放て」


 全裸男は堂々と宣言する。

 それは強者が弱者に見せる寛大な処置のようにも見えた。


「は? なんでそんなことする必要があるんだよ? 降参しろ! ひざまずいて命乞いしろ! コイツを助けてくださいってな!!」


 当然、全裸男の様子に魔族は怒り心頭となって声を荒げた。

 ロングソードの切っ先が私に近づくが、本当に刺す気はまだないらしい。


 おそらくだが、魔族のプライドが傷つけられたのだろう。

 人質を取った以上、全裸男は弱者で、魔族が強者だったのだから。


 故に魔族の恫喝は修羅場をくぐっていない者には、なかなか響きそうな怒気を含んでいた。

 だが全裸男は微塵も動揺を見せず、むしろやれやれと首を振っている。


「いいんだな? その選択で。力量を測れないのは残念だが……」


 全裸男は構えるようにやや腰を落とし、足を下げる。

 いつでも飛び出せるような姿勢だ。まさか、魔族が私の喉に剣を突き刺すよりも早く助ける手段があるとでもいうのだろうか。


 魔族の意識が全裸男に向いている今、私は自力で脱出すべき状況だ。

 しかし全裸男がなにをするのかが気になってしまい、このままでいることを選んでしまった。


「チッ……しょうがねぇ。それで満足するんだな?」


 魔族は私の首元に剣先を向けたまま、全裸男に向けて空いた腕を伸ばす。


 収束していく大量の魔力を見て、私の目は自然と大きく開く。

 木々を揺らし、空気を震わせるそれは、明らかに上級魔術のものだ。


 ――自分で戦士だと名乗っていたが、魔王の力によってそこまでの魔術を操れるようになっているのか!


 私は自分の対応が後手になったことを悔やむ。

 まさか上級魔術までも使えるとは思っていなかった。せいぜい中級魔術の無詠唱止まりだと勝手に思っていたのだ。


 それは魔族が自分のことを戦士だと言っていたせいだろうか。

 いや、いずれにせよこの状況はマズイ。上級魔術を放たれて対応できる術が、あの全裸男にあるとは限らない。


 だが私にはある。むしろ私ならまだ勝てる。

 だから先程の最善手は、私がすぐさま脱出することだったのだ。


 自分の好奇心に負けたことを後悔しながら、私はまず脱出しようと杖を握り直す。

 だが私が杖先に魔力を集めた時、魔族の手には既に魔術が完成していた。


「後悔しながら死にな、変態! 〈大竜巻の刃独楽サイクロン・ブレード・トップ〉!!」


 瞬間、森の広場では収まりきらないほどの豪風が吹き荒れる。

 風は意思を持ったように集い、広場の中心で竜巻と化す。


 周囲の木々を吹き飛ばしてしまうかと思える風量。風圧で舞った塵や砂埃ですら、今では身を穿つ驚異となっているだろう。

 そんな中、その風のひとつひとつが鋭い刃となって全裸男に迫っていく。


「さぁ! そいつで血煙となりな!」


 無数の風刃が形成した巨大な竜巻。それはまるで壁のように全裸男に接近していく。

 絶望を味わわせるために、わざとゆっくりにしているのだろう。この魔族に感じた残虐性は正しかったようだ。


 私は対抗すべく、上級魔術を詠唱しようとする。

 だが今からでは間に合わない。あれだけの上級魔術を相殺するのなら、こんなわずかな時間で放てる魔術では力不足だ。ただあの竜巻に飲み込まれてしまうだろう。


 私がどうやって全裸男を救おうか思案している時、不意に届くはずのない声が響いた。


「違う」


 広場では暴風が吹き荒れており、木々ですら悲鳴を上げている状況だ。

 だから、そんな声が届くはずはない。私の希望的観測が聞かせた幻聴だろう。

 

 だが、私はなぜか今聞いた声が全裸男のものだったと確信していた。

 なぜなら、竜巻の向こうに立つ全裸男は、未だにその場から動いていなかったのだから。


 恐怖のあまりに逃げられないのかもしれない。その可能性だってある。むしろそちらのほうが高いはず。

 だというのに、私は風の向こうにいる男から目が離せなかった。


 男はゆっくりと直立姿勢に戻り、右手の人差し指を突き出す。


「〈ライトニング〉」


 やけに静かな声が、風が吹き荒れている広場に落ちた。

 今度こそ明瞭に聞こえた。そう、〈雷撃ライトニング〉と。


 その言葉を聞いた瞬間、私は思考回路が停止してしまった。


 〈雷撃ライトニング〉は所詮、初級魔術。


 どれだけ魔力を込めようと、上級魔術である〈大竜巻の刃独楽サイクロン・ブレード・トップ〉をどうこうする力はない。それこそ数百倍の魔力差があってもどうにもできないだろう。魔術のランクとはそういうものだ。


 だが、ならなぜ男はそれを選んだのか?

 魔術を扱う者ならば、その程度の常識を知らぬはずもないのに。


 死に際の抵抗? そうかもしれない。

 死を前にした動揺? それだって考えられる。


 だから私は、今でも自力で脱出をしなければならないはずなのに。

 どうしても。男の指先から放たれた、か細い真っ白な雷光に目を奪われてしまっていた。


 雷光は中空を進み、竜巻へと突っ込んでいく。

 大海原に針で挑むような無謀さだ。決して勝てるはずのない戦い。いや戦いにすらならない自殺行為だ。


 だというのに。


「なっ……!?」


 直後に起きたのは予想外、いや理解外の出来事だったと魔族の声色が語っている。

 たった一筋の白い雷が、全裸男の数倍はある竜巻を何事もなく消滅させたのだ。


 広場には風が立ち消え、空間に残ったのは雷光のみ。

 細い雷光は竜巻を消してもなお直進し、魔族へと迫っていた。


「まずっ……!」


 魔族は慌てたように声を上げたが、逃げるだけの時間はない。

 あれだけの上級魔術を消し去って、未だに進み続ける〈雷撃ライトニング〉だ。


 そこにどんな細工がしてあるのか。

 〈雷撃ライトニング〉と言いつつも、無詠唱で他の魔術を使ったのか。

 それとも、未知の技によって上級魔術を上回るほどの魔力量が込められているのか。


 様々な考えが、私のように魔族の脳内をよぎっただろう。

 だが、電撃が迫る数瞬の間に、魔族ができることはなにもない。


「ァバァッ!!」


 奇怪な叫びを上げながら、魔族が真っ白に煌めく。

 わずかな時間、照明と化した魔族だったが、光を失った時には全身が炭化して真っ黒だった。周囲には肉が焼け焦げる異臭が広がっていく。

 

 空中に投げ出される形になってロングソードが地面に落ちる。

 その金属音を契機にして、魔族だった黒焦げのソレは更に細かい粒子へと変わっていった。風で吹かれた塵のように、魔族だったモノは天へと昇っていく。


 そんな光景を見ながら、私は「ああ、ロングソードが残っているってことはコイツが使ったのは〈下級収納ロー・ストレージ〉だったのか。〈下級武器創作ロー・クリエイト・ウエポン〉なら魔術の使用者が死んだ時に一緒に消えるはずだ」などと、どうでもいいことを考えていた。


 目の前の光景を理解することを、脳が拒否したのかもしれない。

 初級魔術で上級魔術を破り抜くなどという、魔術の常識が確実にひっくり返る場面を目にしたのだから。


「俺も……そしてお前も弱い」

 

 魔族が完全にどこかへ消滅した時、全裸男の呟きがこぼれた。

 それと同時に、私の思考回路も元に戻る。


 そうだ。こんなことができるこの男は何者なのだろう。

 子どもだと勘違いしていたとはいえ、私を助けようとしたのだから悪者ではないと思うのだが。


 と同時に、私は咄嗟に全裸男から視線を逸らす。

 下半身のアレが思いっきり視界に入ったからだ。


「大丈夫か?」


 だが全裸男は何も構うことがないようにこちらに近づいてきた。

 あー! それをブラブラさせながらこっちに来ないでくれー! などと思っていても全裸男には関係ない。


 私は意を決して、こちらを心配する全裸男に向き直るのだった。


「あの……まずはソレを隠してもらえますか?」 

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