12 VSエクレア・sideギルドマスター
ギルドマスターは微笑みながらも、内心でエクレアを見くびっていた。
どうせコイツも口だけの野郎だ、と。
大口を叩く奴はいつもそうだ。
できもしないことを大々的に言いふらす。
ヌシを一撃で倒しただの、混沌の森に住んでるだの。
本当に強者ならば、そんなこと言う必要もない。
それに、もしそれが真実ならばどうして今まで発見されなかったのか。
強大すぎる力は、必ず話題になるはずだ。
だからこそ、ギルドマスターは余裕を持って一歩目を踏み出した。
現役の頃のような足取り。
今日はかなり調子がいい、と目の前に立つ男の不幸に同情した。
Sランク冒険者とは、こういうものなのだと教え込まなくてはならない。
そしてSランク冒険者を持ってしても、決してヌシのようなドラゴンは倒せず、混沌の森は住むような場所じゃないと。
振りかぶった右手。
同時に、左手を引いて横に広げる。
隙だらけの構えのように見えるが、突っ込んでくれば挟み打ちにできるし。
もしこのままこちらの様子を観察するのなら、神速の踏み込みで打ち倒すだけだ。
二歩目。動かない。
三歩目。動かない。
四歩目。動かない。
もう一歩で間合いだ。
この男――エクレアは一切動く様子を見せない。
――まさか、本当にこちらに一撃目を譲るつもりなのか。
冒険者特有のブラフかと思ったが、そうではないらしい。
エクレアのまっすぐな目はこちらをじっと見つめている。
心の内を見透かすかような深い空色の瞳。
鋭い目つきの奥で、眼光がこちらを捉えて離さない。
――だったら。本気で打ち込んでやる。
さっきまでは試すつもりで、少しは手加減する気だった。
だが本当に初撃を譲られるまでコケにされてしまっては、ギルドマスターの名が泣いてしまう。
五歩目で一気に加速し、タイミングを崩す。
同時に左右から囲うように木剣を振るい、剣閃からの逃げ場をなくす。
――さぁ、後退しろ。
挟み込むような攻撃から逃れるには、後ろに下がるしかない。
だが後ろに下がれば、猛追の一撃を放つことができる。
全ては流れだ。
追い詰める一撃につなげるための、布石でしかない。それが剣技であり、戦いだ。
エクレアに迫る木剣。
熟練冒険者が把握できるわずかな時間の攻防。
その最中、
「なっ……!?」
2本の剣は空を切った。
交差する剣閃が行き場をなくし、ギルドマスターは勢い余ってたたらを踏んだ。
――どこにいった!?
一瞬の間にどこかへ消えたエクレア。
ギルドマスターが慌てて周囲を見回すと、
「悪いが」
「はっ!?」
背後から声がして、咄嗟にバックステップで距離を取る。
ギルドマスターはありえない体験をして、驚愕に顔を染めていた。
理解したくない現実を目の前に突きつけられ、背中に滝のような冷や汗が流れ出す。
「本気でやってくれないか?」
「ほ、本気ってお前……いつの間に後ろに……」
脳が状況に追いつかない。
深呼吸して落ち着こうにも、心臓がうるさくて呼吸が浅くなる。
数年前に引退した身だ。本当は怪我させたくなかった。手合わせの上に木剣だし。そもそも仕事が忙しくて剣を握ったのも数日ぶりだ。動きだってだいぶぎこちなかった。本気じゃなかった。
数々の言い訳が頭を巡る。
だが、それらをひれ伏せさせるように、先程までの自分が顔を出す。
――今日はかなり調子がいい。
――手加減するつもりだったけど、本気を出すことにした。
そこまで考えていたのは、どこの誰だったのか。
それほどまでに集中できていたのに、一切の動きを視認させなかったのは……。
――そもそも実力を言いふらしてたのはコイツじゃない。フランが勝手に言い始めただけだ。
ぞくりと、背筋が粟立つようだった。
まるで得体のしれないモンスターを目の前にしたような恐怖感。
それと共に沸き立つ高揚感。
加齢を理由に諦めた冒険者という夢が、ギルドマスターの胸の内で燻っていた。
――世界は広い。
冒険者ギルドの調査範囲、探索レベルを持ってしても、まだまだこんな男が埋もれていた。
たった一瞬だけで、自分とはどれだけ差があるのか理解させられてしまう。
――だったら。
ギルドマスターは2本の木剣を握り直した。
「本当に、本気でいいんだな?」
「頼む」
気負うギルドマスターに対し、エクレアは自然体だ。
あのファイティングポーズだって、構えというよりはとりあえず拳を前に出しているだけ。格闘術を学んだわけじゃないのは、ひと目見ればわかる。
だと言うのに、ギルドマスターはそれを崩す術が全く思い描けなかった。
――ったく。厄介な奴を連れてきやがって。
ギルドマスターは口の端を吊り上げながら、観戦中のフランへ視線を向けた。
彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。まるで自分が勝利したかのように。
――あいつの時もそうだった。年齢の割に、魔術の才能が突出していて。
当時の騒動を思い出す。
魔術の力量だけでSランクにあげていいのか、経験が少なすぎる、年齢が若すぎると、追い抜かれることを危惧したAランク冒険者や、決まりを重視する堅物ギルド職員たちの抗議。
それでも力ある者が立場を得なくてどうする、という冒険者ギルドの体制側。
結局はフランほどの力量を埋もれされるわけにはいかなくて、特例ということでようやくSランク冒険者に格上げしたのだ。
だが、今回はその上をいく。
才能なんて言葉では片付けられない。
敵に回れば、どんな相手でも押さえつけられない――脅威だ。
エクレアは、まさにギルドにとっても、国にとっても脅威といえるべき存在になるだろう。
もちろん、ギルドマスターが自分の力量を見誤っている可能性はあった。
引退して、思っているよりも能力が下がっているのかもしれない。
しかし、だとしても。
一瞬の動作すら見えずに、背後に回り込まれたのだ。
それだけでギルドマスターとしては、合格にしてやりたい気持ちでいっぱいだった。
それをしないのは、ひとえに。
――オレ自身が、挑みたくなったからだ。
本気の本気。
これで負けたら言い訳なんてできない技。
ギルドマスターは低く構え、腕を交差させる。
これから出す技は、ギルドマスターにとって奥義とも言える技だった。
――これを受けて、無事だった奴はいない。
それ故に模擬戦でも使ったことはない。
そもそも人間相手に放つ技ではないのだ。
動くことに全力を出さなければリズムが崩れ、技として未完成になる。
手加減というものが存在しない技。
それでも。
ギルドマスターはこれを使うと決めたのだ。
――この技で死ぬなら、それでもしょうがねぇ。大口を叩いたツケだ。
けれど、もし。
もしこの技を、無傷でなくとも受け切ることができるのなら。
――認めてやる。誰にも文句は言わせねぇ。
スッと、訓練場の温度が下がった。
フランも異常に気づいたのか、身体を乗り出して見守る。
ギルドマスターは一心にエクレアを見つめ、機を待った。
風が吹き、頬を撫でていく感覚。
それが痛いくらいに感じるほど、練り上げられた神経。
自身の集中が最大に達し、舞い散る砂埃の一粒一粒が視認できるようになった時。
「――〈七流星剣〉!!」
ギルドマスターが動いた。
まず〈流星剣〉という技がある。
類まれなる剣士にしか達することができない、音速の剣技。
モンスター程度では死んだことすら理解できないと言われている。
それほどの速さで両断する横薙ぎによる一閃。
〈七流星剣〉は文字通り、それを7回。
横だけでなく、死角を無くすように縦や斜めを入り乱れて。
7回の剣閃は、放ったギルドマスター自身にも見えはしない。
極限までの集中力を持って、剣を振るうことだけに全神経を注ぐのだ。
ただ、討ち滅ぼすだけの剣技。
そこに打ち合いの概念はなく、放てば必中・必殺を意味する。
木剣だからと侮るなかれ。
この技は切れ味で勝負するのではなく、速度によってどんな物質も叩き斬る。
故に、業物の剣だろうとヒノキの棒だろうと同じこと。
すべては音を超える一振りに両断される。
それほどまでの技。
ギルドマスターをかつてSランクに押し上げたのは、紛れもなく〈七流星剣〉だった。
認識することが不可能な、7つの斬撃。
気付いたときには細切れになって地面に散らばる。
「がっ!?」
はずだった。
突如、顔面が壁にぶつかったような衝撃を受ける。
思わず仰け反るが、ガッチリと固定されていて逃げられない。
剣技の反動が身体を襲う。
強大な技は当然ながら身体の限界を引き出すので、連続での行使どころか、その後の戦闘すら危うい。それ故に、この一発に賭けたのだ。
くわえて頭部を掴まれたギルドマスターは立っていることもできず、その場に崩れ落ちる。
その動作に伴い、顔面を覆っていた固定具が緩んだ。
「本気で来てくれて助かった。だが、この程度なら俺もお前も弱いってことだ」
顔を掴んでいた手が離れ、開けた視界の中心にいたのは笑顔のエクレア。
目つきが相まって凄絶な笑みを浮かべているように見えたが、ギルドマスターにはそれが喜びの表現なのだと理解できた。
――この程度。人間の中でも最上位に近い剣技を、この程度よばわりか。
「ったく……世界は、広ぇなぁ」
何をされたのかも理解できない。
足に力が入らない中、ギルドマスターはそれでも事実だけを認める。
エクレアは7つの斬撃を躱すか受けるかして、ギルドマスターの顔を掴んだのだ、と。
――これだから若い奴はやだねぇ。才能どころか……化物じゃねぇか。
ボロボロになった身体をなんとか起こすと、フランがエクレアに駆け寄ってきていた。
「やりましたね先生! っていうか、どうやって抜けたんですか?」
「どうやってって……こう、普通に避けただけだぞ。剣の軌道もわかりやすかったし」
エクレアの無慈悲な追撃がギルドマスターに届く。
〈七流星剣〉は振るうことに全力を注ぐので、確かに剣筋はまっすぐなのだ。
とはいえ、常人では視認することも不可能なはずなのに。
それを「普通に避けた」とは。
――フランは天才だったが、コイツは……。
「そういえばさっきの魔族も頭を潰してましたよね? なんか理由あるんですか?」
「だって、頭砕いたらだいたいの生物は死ぬだろ」
「あー、なるほど。反撃を許さないようにしてるんですね!」
なぜか満面の笑みで話すフランと、息ひとつ切らしていないエクレアを見る。
平静に戻った目つきのせいで無愛想に見えるが、先程の笑顔は本物だった。
――化物、で済めばいいけどな。
理解可能であればまだいい。
だが、理解不能な領域に足を踏み入れてしまえば、人間かどうかも怪しくなる。
そうなれば、必ず難癖をつけてくる奴らが現れてくるだろう。
――ま。そこはオレの考えることじゃねぇか。
ギルドマスターは技の反動で震える足を抑えながら、エクレアに合格を告げるのだった。
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