第27話 スープ ①―②

「食事の時間だ。さあ食え」

「お断りいたしますわ」


 場所は王宮の牢屋。

 獄吏のひとりが、妙齢の女性に食事を持ってきていた。

 女性はそれを断ってしまったが。


 古代の牢屋と言えば薄暗い地下室で、衛生面もあまりよろしくない印象があった。だが、現代のスープン王国では、密偵は新しい住人として迎え入れるため、要人とも言える待遇におかれる。牢屋は真っ白な宮殿のようで、ホコリもほとんどない。食事だって、スプーン料理として申し分のないものが用意されている。

 だと言うのに。

 不服らしいのだ。


 獄吏には理由がさっぱりわからない。

 というか、犯罪などというものと縁の遠い王都において、まだ牢屋などという時代錯誤なものが存在していることが、すでにおかしいのだ。


「食べなければ死んでしまうぞ」

「あら、他国の使者を密偵扱いしたあげく、死なせてしまったほうが問題では?」

「減らず口を……」

「わたくし、このような状態でいただく料理など知りませんの。もっと、使者にふさわしい待遇への改善を要求いたしますわ」

「くっ、上役へは進言しておいてやる」

「よろしくおねがいいたしますわ」


 女性は思った。

 ああ、ぶらりと立ち寄った大衆食堂で食べた料理が、恋しいと。



 ◇  ◇  ◇


 ノブユキとバイスは国王に招かれて、お城の最上階にきていた。

 無駄に広い部屋の奥に、背の高い椅子が設置されており、白い髭をたくわえた老人が座っている。

 きっと国王なのだろう。老人が口をゆっくり開き、朗々と語り始めた。


「よくぞまいった。バイスに、ノブユキよ。そなたらの活躍は、ドランを通して聞き及んでおるぞ」


 バイスは平伏しているものの、ノブユキはそんな作法など知らない異邦人なのだ。ぼんやり突っ立っていても仕方がない。


「ああ、よいよいバイスよ。楽にせい。ノブユキもそのままでよいぞ。して、今回、うぬらを呼び出した要件はすでにドランから聞いておるな?」

「ははっ!」


 バイスが答えた。

 ノブユキはとりあえず彼に任せることにする。


「うむ。密偵の拷問に、うぬらで最高のスプーン料理を作ってほしいのだ」

「承知いたしました。お題は何にいたしましょう? 僕はノブユキと同じジャンルで勝負させていただきたいのですが」

「わかっておる。うぬらの真剣勝負に余の無粋な真似を持ち込んだこと、許せ」

「もったいなきお言葉!」

「かしこまらずともよいのだぞ。お題は広い定義でよい。極上のスープで密偵の脳をゆさぶり、我が国の一員とするのだ」

「スープでございますね。承知いたしました」


 言うと、バイスは隣で突っ立っているノブユキに聞いてくる。


「おいこら、ノブユキ! 貴君もそれでよいか?」

「まあ……別になんでも」

「ええい、王の御前だぞ! しゃっきりしたまえ!」

「つっても……、本当にその密偵って悪いことしたんですか?」

「なに? どういうことだ?」

「いや、もし密偵が、どこぞの国の使者だったとしたら、すげーやばいことになるんじゃないかなーと」

「王の判断が間違っているとでも?」

「そこまでは言わないよ。ただ、ドランさんの言い方からするとなーんか引っかかるだけ」


 ノブユキがだらしなくバイスに話しかけていた時。国王は背筋を伸ばして、きりりと引き締まった様子で、座りながら聞いていた。さすがのノブユキも、威光に押されて、すこしのけぞってしまう。


「お、王様」

「なんだ、ノブユキよ」

「その密偵って人との面会は可能ですか?」

「うぬ一人だけでは、いささか不安ではある。兵をつけてよいのならば許可する」

「ありがとうございます」


 と、そこに。


「王様! 僕も同行させていただいてもよろしいでしょうか!?」

「むう、なぜじゃバイスよ。相手は密偵であるぞ。余はそちが心配でならん……」

「ノブユキは異邦人です。この世界、そしてこの国の内情にはうといでしょう。僕が万が一に備えてサポートしてあげたいのです」

「おおお……バイスよ。よくぞ申した。特別に余の近衛をつけてやろう!」

「はっ! 身にあまる光栄!」


 さすが王家とも交流があるというバイスだ。

 信頼されているんだな、とノブユキは感心した。


 国王はパンパンと手を打ち鳴らす。

 すると、気品あふれる鎧を身にまとった兵士が、国王の傍までやってきた。兵士の着込んでいる鎧の肩には、でかいスプーンを横にしたものが飾られている。胸の部分にはスプーンを交差させた意匠が見受けられるが、さほど過度な装飾といった印象は受けない。


 国王はそんな兵士に耳打ちする。

 兵士が国王の背の高さまで腰を落とし、耳を近づけていた。当然と言えば当然なのかもしれないが、ノブユキにとってはとても新鮮な光景に映る。


「この近衛兵にうぬらを案内させる」


 王様は広い部屋でもびーんと響く声を、ノブユキとバイスに向けて放った。

 すると近衛兵は、がしゃがしゃと鎧の擦れる音を立てながら二人に近づいてきた。


「つつしんで任につかせていただきます。お二方ともよろしくお願いいたします」

「ど、どうも」「こちらこそよろしく!」


 二人して会釈で挨拶を交わしたのだった。



 ◇  ◇  ◇


「こんな綺麗な場所が牢屋?」


 ノブユキは近衛兵の後を追いながら、疑問を口にした。

 それに対してバイスが説明をしながら3人で歩く。そうこうしているうちに近衛兵が立ち止まった。


「お二方ともつきましたよ。この部屋です」

「本当に要人のいそうなドアだな」


 牢屋と言えば鉄格子。だが、そんな物騒なものはない。むしろ、王女とか、姫とかがいる部屋の扉だよ、と言われても不思議とは思わない綺麗な装飾が施されている。


「開けますよ。危険がないとは言い切れないので、警戒はしておいてください」


 近衛兵は、牢屋の入り口で獄吏から鍵を預かっていたようだ。がちゃがちゃといじって、施錠を解く。


 トントントン。

 近衛兵がノックをする。


『……どうぞ』


 くぐもった声がドア越しに聴こえた。


 扉が開き、捕らえられている人物が見えた。ベッドに腰をかけて、もの憂げに窓の外を眺めている。ひと目で、美しいヒューマンだとわかった。


 ――あれ? この人どこかで……。


「って、あの時の姉ちゃんじゃねえか!」

「こら、ノブユキ。牢屋なのだから静かにしたまえ」


 バイスの忠告など知ったこっちゃない。

 見た瞬間に既視感に襲われたノブユキは、すぐに思い出した。

 彼女は、リーネが無茶をしてぶっ倒れた際に、一緒に助けてくれた女性だった。


 ――この人が、密偵? あり得ない……。

 密偵だったら目立つ行動は避けるはずだ。あの時だって見て見ぬ振りをしてもおかしくはない。


 ノブユキは情に厚い男だ。

 命の恩人であるリーネの願いを叶えるために、奮闘した。今回も見過ごすわけにはいかない。絶対になにかの間違いだ。ノブユキは確信する。


 とりあえず、バイスは置いておくとして、彼女に話しかけようとした。近衛兵に顔を向けて入ってもいいかどうか尋ねる。あっさり認められてひと安心……というわけでもない。経緯を聞かなければならない。


 ノブユキが女性の前に立つと、女性も視線を向けて応えた。


「なんで捕まったんですか?」

「うっかり、食事に……。お国からこっそり持ち込んだお箸を使ってしまって……」

「お箸を使うとまずいんですか?」

「ここはスプーンの国ですからね。お箸は調理用でしか使用できないのです」

「ドジですね」

「申し開きもできませんわ……」


 うーん、このお姉さん。

 密偵にはまったく向いていない。

 ノブユキにもそれはわかった。


 お姉さんは、しゅんとうつむきながら続けた。


「王都の中心でお箸の文化を広めようとした、と勘違いされてしまいまして」

「完全にお姉さんの不注意ですね」

「あはは……。わたくし、どうなってしまうのでしょうか?」

「なんでも極上のスプーン料理を食べさせて、この国の民にしてしまうそうですよ」

「まあ、それではわたくしの役目が果たせませんわ!」

「役目?」

「『フォーグ=ナイブ帝国』がわたくしの『ハシィ連合国』と『スープン王国』へと攻め込む動きを見せているのです。それをお伝えにうかがった次第ですわ。このままうやむやにしてしまっては、帝国の思うつぼでございます」

「はっはっは、こんな平和な世の中で戦争が起きるみたいなことを言いますね」

「あなたさまは、確か異邦人……でしたわよね。信じられませんか?」

「ん? まあ、そうですね」


 いきなり戦争が起こると言われても、まるで実感が湧かない。


「でしたらこちらの世界の事情にうといのも納得ですわ……」

「と、言いますと?」

「武力による戦争はすでに古代のものとなっているのです。現代では、料理によって他国の料理を否定し、また取り込むことが勝利条件となっていましてよ」


 ノブユキは首をひねって、顔を隣にいるバイスに向けた。


「バイスさん、マジですか?」

「むしろ貴君が知らなかったことに僕は驚きだよ、ノブユキ」


 本当らしい。

 ノブユキは改めて今回のミッションを整理する……。

 国王を説得して、拷問をやめさせる。

 バイスと料理勝負をして、彼を満足させる。

 ハシィ連合国とスープン王国の間を取り持つ。

 ……これ、本当に料理人の仕事か?


 くらり、めまいがした。


 密偵、じゃなく使者のお姉さんが話しかけてくる。

 ノブユキはふたたび首を回してお姉さんを見た。


「おねがいでございます、ノブユキさん。わたくしを、いえ。世界を救ってくださいまし」

「……」

「おねがいで、ございます……」


 お姉さんは、目に涙を浮かべて、今にも泣き出しそうだった。

 ノブユキは、どうにでもなれ! と開き直って告げる。


「ああー! もうわかった。わかりましたよ。俺がなんとかしてみせます!」


 その声は、白亜の牢屋に、とてもとても響き渡ったという……。

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