第3話 おにぎり ①―①
王都が眠りについているような錯覚に陥る時刻。
まだ朝日がひょっこり地平線から顔を覗かせたくらいで、辺りは静か。
リーネとノブユキは店の外に出て、すぐの場所にいた。
そして、大衆食堂『りぃ~ね』の入り口ドアに木札がぶら下げられる。
「料理長の体調不良につき、本日臨時休業――っと」
本来なら具材を仕込む時間なのだが、リーネが今日は休みにすると言い出したのだ。
いったい何を考えているのかわからず、ノブユキはリーネの後ろで作業を見学中。
元の世界にいた際、ノブユキは厨房に立ちっぱなしだったため、店の細かな運営というものには、うとい。料理人の息子だから、と甘やかされてきたつけが回ってきたとも言える。
早朝から自分のふがいなさに気持ちが滅入るノブユキ。まあ、こんな心境で魔法を使って、とんでもないゲテモノ料理が召喚されたりしても困るのもある。冒険もののファンタジーだとしたら、召喚魔法は精神の状態によって出現するものが変わったりするし。
ひゅうぅぅぅ――
冷たい空っ風が吹き抜けていった。
「リーネさん、なんで今日は休みなんですか?」
返事はなし。
ノブユキは黙って見ていることしかできない。
ちょっとした間があって、リーネは向き直る。腰に手を当て、はあ……、とため息をつく。
「ノブユキくん、きみ、昨日は魔力切れを起こしたじゃないの」
「それが?」
この世界の常識を当然のようにしゃべられても困る。
ノブユキは頭に『?』マークを浮かべながら待つ。
「一晩である程度は回復するでしょうけど、いきなり全開は無理よ」
「ならお昼のみ営業とかできるんじゃないですか?」
チッチッチと人差し指を立ててノブユキの目の前で振るリーネ。
仕草とは別に表情は真剣だった。どこか凄みがある。
「本来ならマジックポーションで回復できるものなのよ? それがあなたには効かなかった。料理魔法そのものが特異なのか、きみに原因があるのか調べなきゃいけないじゃない」
「昨日はご迷惑をおかけしました」
ノブユキは昨日、魔力切れと思われる状態になり、料理の召喚ができなくなった。
そんなこともあろうかとリーネが仕込んでおいてくれた、具材やスープのおかげで久々に自身の手で料理を行ったところ……幸い、味に若干の変化はあったようだが、お客の舌を満足させることができたので一安心した次第である。
しゅんとするノブユキを、あやすように頭を撫でるリーネ。
スラッと伸びた身長は、ノブユキと同じくらいだ。この世界に詳しくないノブユキだが、尖った耳の特徴を持つリーネは、やはりファンタジーにおけるエルフとかいう種族なのだろうか? 聞く勇気はない。
わしゃわしゃ。わしゃわしゃ。しゃっしゃっしゃ。
髪の毛を手櫛で通され続ける。
嫌ではないと思えてしまうノブユキ。
「……で、急にお店を休んだりしてお客さん怒りません?」
「客足はすこし遠のくかもしれないけれど、仕方がないわ。ノブユキくんの体調だか体質だかわからない現状をなんとかするのが最優先ですもの」
「すみません」
「あら、謝る必要はないのよ。わたしときみのお店なんだもの」
「どういう意味でしょう?」
ノブユキはリーネに聞いてみる。
リーネは長い髪を手で振り上げて答えた。
「じゃあわたしが体調不良でお店に出られないとしたら、『今の』客足をひとりで何とかできる自信があなたにはあるかしら?」
「……想像しただけで血の気が引きました」
無理すぎる。
現状でもリーネが料理の場から離れて、接客に専念することで、かろうじて回せているのだ。休まれでもしたら臨時休業が待ったなしである。
「はい、ということで、今日は料理人ギルドにいって、ノブユキくんのことを詳しく調べてもらいます。ついでに時間があれば王都で遊びます。異論はある?」
「俺のことはともかく、遊ぶ必要ってあります?」
「あら、うちの世界の料理人は、創作意欲をかき立てるために、けっこう遊んでるのだけれど、ノブユキくんの元いた世界は違ったの?」
「料理三昧でしたね」
「いけないなあ。この世界に来たからにはこっちのやり方にも慣れてね?」
優しそうな声音。
ほがらかな表情。
すべてが自分を気遣ってくれていることに、ノブユキは涙がでそうになった。
「寒いからなかに入りましょ」
「そうですね」
◇ ◇ ◇
店内に入り、ドアを閉めて、ふたりきりの時間が訪れる。
テーブル席に並んで座り……ノブユキはそれとなく椅子の位置をリーネに寄せた。
リーネも何を思ったのかはわからないが、ノブユキにならって寄せてくる。
沈黙を破ったのはリーネのほうからだった。
「さて、ノブユキくん。ギルドに行く前にとりあえず料理魔法が使えるように戻っているか試してみましょうか」
「と、言いますと?」
「公園や広場なんかに設置されている長椅子で食べるようなものを作ってほしいの。ええっと『おべんとう』って言って通じるかしら?」
「ああ、『お弁当』! こっちの世界にもあるんですね!」
「よかった……通じた。おべんとうで何か手ごろなのはないかしら? 魔力に負担がかからなそうなのがいいかしらね……」
すぐにギルドに行かず、まずは料理魔法が復活しているかどうか試そうということだろう。リーネなりに考えがありそうだ。
ノブユキは首をひねり。
「魔力っていうのがまだよくわかってないんですけど」
「うーん……言い換えると想像力かしらね。蛇口からでる水を召喚するくらいなら、魔力の消費は少ないの。でも王都の公園に水を撒こうとしたらかなりの魔力を必要とするわ」
「ふむふむ」
なるほど、わかりやすい。
要するに、調理過程が簡単な料理にすればいいというわけだ。
ノブユキはしばし沈思し……結論に至った。
「『おにぎり』なんてどうでしょう?」
「『おにぎり』? どんな料理なの?」
弁当の概念は存在するのに、料理と言っていいのかわからないおにぎりという名の代物はこの世界にないらしい。
ノブユキは説明をする。
「ええっと、白いご飯を三角形にまとめて固めたものでしてね。中心部に鮭や明太子や、おかかとか色んな具材を入れて楽しむんです」
「ああ! 『炊いた白米の三角固め』のことね!」
「こっちではそう言うんですか?」
「ええ。でも具材まで入れるチャレンジャーはなかなかいないかなー」
おにぎりほど味のばらつきが出にくい料理もないと思うノブユキ。
本当にこの世界はどうなっているのだろうか。
摩訶不思議で面白すぎる。
「じゃ、召喚しますね」
「うん。いっちょやってみてちょうだい」
ノブユキは木製のテーブルに両肘を乗せて、祈るようなポーズをとり……
唱える!
「《レシピ》しゃけおにぎり」
すると、白さの残る透明な白米が出現し、徐々に湯気が立ってきた。透明さが完全になくなり純白の輝きを放ち始める。宙でくるくると回転していた単体のそれらは、次第に三角形の集合体へと変化する。中央に、桃色に近い赤みのある鮭の切り身が、高級な装飾品の主役を張るかのごとく、どどんっと存在感を表した。
ぎゅっ。
あたかもひとつの世界が形成されたかのように、純白の三角世界が完成。
「わあ! やっぱりいつ見ても素敵な光景ね! 見た目もとっても美味しそう」
「……」
さすがにおにぎりの味は変わらないと思いますよ。
とは言えないノブユキである。
果たして、反応は……。
「んんん――――塩っけが利いてていいわね、これ! お米がほどよくしょっぱいのに、さらに塩気のある赤身のお魚、かしら。すっごく食欲をそそられるわ!」
「気に入ってもらえたようでなによりです。でも紅鮭ってこっちじゃあまり扱われないんですか? 特別な具材とも思えないんですが」
「ああ、しゃけ! しゃけなのね、これ! うーんっと魚はね……近隣の川で取れるものなら出回るんだけれど、海や遠くで取れるようなのだと鮮度の問題があってね。氷の大魔法使いが魔力を使い切ってようやく王都まで入荷するくらいだから、うちの店みたいな弱小じゃまず回ってこないのよ……」
色々と事情がありそうだった。
それにしてもいい食べっぷりだった。彼女はぺろりと完食してしまった。大きめのを召喚してしまったというのに。
「さて、他にも『おにぎり』は出せるかしら?」
「ええ、力を使ったっていう感じもしませんし」
「ならよかった! あ、外出先で食べるからもうすこし出してもらってもいい?」
「お弁当ですよね。いくつくらい持っていきます?」
「うーんこの大きさなら5つくらいかな」
「……」
けっこう食べますね。
とはやはり言えないノブユキ。
今日の大衆食堂『りぃ~ね』は臨時休業である。
料理人ギルドでノブユキの精密診断だ。
しかし、その後ふたりして、ぶらぶらと王都を歩くのは……。
「……もしや、これはデートなのでは?」
「ん? なにか言った? ノブユキくん?」
「い、いいえ!」
リーネの耳にノブユキの小声が届いたのかどうかはわからない。
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