第2話 シチュー ①―②

 夜の営業がはじまって、すぐ店内はお客で満席になっていた。

 お客はノブユキが言うところのシチュー目当てでやってきているのだ。

 どんどんオーダーが入る。


 ノブユキは厨房で忙しく魔法を唱える。

「《レシピ》シチュー!」

 昼から数えて、どれだけ使ったか、考える暇もない。


 深さのある木皿がぱっと出現する。

 白くとろみのあるスープが湧き上がる。

 煮込まれた野菜がゴロゴロと出現する。

 ブロック状に刻まれた豚肉は、脂身と桃色ぎみの赤身がまだら模様を描いている。


 ノブユキは味見をして、リーネを呼ぶ。


「リーネさん、3番カウンターあがりました!」

「ありがとう! 3番カウンターのお客さまおまちどおさまでーす!」


 接客を手伝いたいノブユキだが、厨房から出ている暇などない。

 入り口からお客の出入りを管理するのもリーネの仕事だ。


「おいしかったよぉ、リーネちゃん。またくるねー」

 お客が一人帰り。


「4人なんだけど入れる? リーネちゃん」

「すみません! 今テーブルは満席でして!」

「じゃあ待たせてもらうね」

「はい! 寒いのにすみません!」

 ひょっこり顔を覗かせた3人連れのお客を丁重に待たせたり。


「お先にお一人のお客さまどうぞ!」

「おお、お先にすまんね。じゃあ遠慮なく……」

 店内に入るお客の数に対応したり。


 リーネは長い金髪を振り乱し、端正な顔に汗をかきながら、仕事をしていた。

 とても活発に動いていた。


 対するノブユキは厨房にこもり、金属製の調理台の上でレシピと唱え続けるのみ。

 なんとも虚しさを感じずにはいられない。



 ◇  ◇  ◇


 客足は途絶えず、夜の営業開始から3時間が経とうとした時だった。


「ノブユキくん! 4人分シチューお願い!」

「わかりました。《レシピ》シチュー」


 ……あれ?


「《シチュー》、《シチュー》」


 ……んんん?

 で、出ない。シチューが召喚できない!!

 ノブユキはすぐに緊急事態をリーネに伝える。


「リーネさん大変です! 料理が出ません!」

「どういうこと!? もうちょっと詳しく!」


 リーネもすぐに応じる。

 ノブユキの焦りが伝わってきたのだろう。


「リーネちゃん、注文まだー?」

「はーい、少々お待ちください!」


 リーネは尋ねてきたお客に、いつもよりすこし雑な対応をした。

 そして急いでフロアから厨房までやってきた。


「で、どうしたの、ノブユキくん!」

「料理が出ないんです!」

「魔法を唱えても?」

「そうです、唱えても出ないんです!」

「んむむ……料理魔法なんて前代未聞ですもんね、どれだけの『消費』なのか気にはなっていたのだけれど、ついにきちゃったわね……」


 リーネが何を言っているのかさっぱりわからない。

 リーネは腕を組んで右往左往している。


「とりあえずこれ飲んでみて」


 厨房の片隅にリーネは小走りで移動し、棚から何かを手に取ると戻ってきた。

 ノブユキは手を広げて受け取る。

 中身は小瓶に収められた黄色い液体だった。


 リーネの目を見るノブユキ。

 こくりと頷くリーネ。


「んぐっんぐっんぐっ!」


 ノブユキは一気に飲み干した。

 

「それでもう一回、料理魔法を使ってみて!」

「はい! レシピ《シチュー》!」


 しかし何も起こらない。


「駄目かあ……!」


 頭をぐったりと下げるリーネ。

 何を飲まされたのかわからないノブユキは、おずおずと尋ねた。


「あの、何を飲まされたんですか?」

「マジックポーション。魔法力を回復させる薬よ」


 ノブユキはすぐに概念を理解できた。

 要するにRPGにおけるMP(マジックポイント)と同じだろう。

 魔力切れを起こして、魔法が一時的に使えない状態になったと察した。


「しばらく料理は作れないということでしょうか?」


 うなだれるリーネにノブユキは声をかける。

 リーネはがばっと頭を元の位置に戻し、握り拳をつくって力説をはじめた。


「まだよ、こんな時のための『仕込み』だったんだもの!」

「し、『仕込み』?」

「ノブユキくん、きみは特別な魔法が使えるけれど、それだけじゃないでしょう?」

「それだけですよ!」

「謙遜しないで。きみの世界では、味の決まった料理をそのまま出すことが当たり前だったかもしれないわ……でもこの世界では味の安定は滅多に出来ないことなのよ。というか誰にもできない、あなただけの立派な技能だわ!」

「……つまり、今ある材料を使って、魔法に頼らず自分の手で調理しろ、と?」

「その通りよ! さあ、今こそあなたの腕を見せつけてちょうだい!」


 ノブユキは不安だった。

 リーネがいつもシチューの材料を用意していたことには理由があった。ノブユキの使う料理召喚はおそらく魔法だと判断したのだろう。魔法は無限に使えるものではないということか。体力と同じく、魔力が尽きればしばらく使えなくなってしまう。

 その際に対処できるよう、通常の調理もできるように準備をしてくれていたのだ。しかし、それは、ノブユキの調理の腕を見込んでのこと。信頼されている事実にノブユキは涙が出そうになる。


「俺は……元いた世界では二流の料理人ですよ?」

「なら、あなたはこの世界で一流になりなさい!」


 ばんっ!

 リーネに背中を叩かれた。平手だ。熱い。

 胸も、熱い。


「シチュー、調理します! 下ごしらえも済んでいるようですし、スープもありますけど、しばらくかかると思います!」

「了解よ! それまで私の話術で保たせるから、きみは調理に集中して!」

「……ありがとうございます」

「ん!? なにか言った!?」

「いえっ」


 ノブユキは久々に自分で調理をした。

 手が、震えた。

 しばらく忘れていたが、料理が恐ろしいことを、改めて知った。

 不味かったらもう二度とお客は来てくれないのだ。

 料理は一期一会。


「リーネさんお待たせしました!! お出ししてください!」

「はーい! お客さまお待たせしました!」


 客間から厨房にリーネがすっ飛んできて、シチューの載ったお盆を手に、戻る。

 まだ注文は詰まっている。急いで次の皿を準備しなければならない。

 しかし、お客の反応が気になるノブユキ……果たして。


「んんんま――――い!!」

「ああ、やっぱり『野菜と肉のゴロゴロ煮』はここだな」

「ん? でもいつもと味がすこし違うような?」

「はっはっはなーに言ってんだ、違うのが当たり前だろ」


 どうやら気に入ってもらえたようだ。

 味がすこし違うというところが気になったが、今はとにかく注文をこなす。

 

 そして……。


「ありがとうございましたー、よい夜をー!」


 リーネが最後のお客を見送り、ようやく大衆食堂『りぃ~ね』の業務が終わった。

 ノブユキにとってもリーネにとっても激動の一日だった。

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