第6話 プリン ①―①
「定休日なんて設けて平気なんですか? お客さん来てくれなくなりそうですけど」
「平気よ。もううちの看板メニューのとりこだもの」
「『シチュー』ですか?」
「そう。『野菜と肉のゴロゴロ煮』よ」
「確かに評判はいいですけど、一品だけで評判を維持できるものなんですか?」
「まあ無理ね」
リーネとノブユキが、並んで大衆食堂『りぃ~ね』に戻ってくると。
早速、作戦会議がはじまった。
夕陽が沈んでしまったので、天井の照明を灯してある。
電気ではなく、ランプのなかで燃える火を用いた、おもむきのある店内。
2人の影がゆらゆらゆらゆらと揺れている。
今朝のように隣同士で椅子に座って、話をしている。
「なので、もう一品だけ簡単なメニューを加えようと思っているのよ」
「それはいいアイデアだと思いますが……」
ノブユキは、自分の胸をちらりと見る。
ミッフィから決して無理はするな、と言われているので、ためらってしまう。
それを見越したリーネは提案を続ける。
「ノブユキくんの負担が少なそうなもので、簡単に作れる料理ってないかしら?」
「と言われましても……」
ノブユキは考える。
「なんでもいいのよ。ちょっとつまめるものとか」
「つまめるものですか。居酒屋の料理はあまり詳しくないし……あ、お菓子とか?」
「お菓子! いいじゃないの! 子どもも大人も満足できるお菓子なんてないの?」
「うーん……」
頭の後ろがちりちりと熱くなる感覚がやってくるノブユキ。
何かを忘れている気がする。
そして、思い出した。
「あ。『プリン』なんてどうでしょう?」
「また聞き覚えがない料理名ね……どんなものなの?」
「えーっと、たまごを原料としたお菓子でして、ぷるんぷるんの食感と、甘くてとろけるような舌触りが特徴ですね。横から見ると台形のような形をしています。円錐のてっぺんをお皿と水平に切り落としたようなのが代表的ですが、瓶詰めのもあったりしますよ」
「ひょっとして、『牛乳とたまごを溶いた甘くやわらかい固体』のことかしら?」
「た……たぶん」
相変わらず、この世界の料理のネーミングは直接的だな、とノブユキは思う。
よくもまあ特徴をつけた固有名詞に走らないものだ、と関心する。
プリンなんて、ぷりゅんぷりゅんしているからプリンなんじゃないか?
なんて思っていたりする。
まあ、料理名の由来なんて考えることはなかったのだが。
「はいはい、食べてみたいでーす!」
「昼間あれだけ食べたのに、まだ食べるんですか……」
あきれを通り越して清々しさすら感じる。
しかし、リーネがノブユキに向けるキラッキラした期待の視線には逆らえず。
「じゃあ作ります」
「やった!」
「最初に言っておきますけど、一個だけですよ?」
「わ、わかってるって」
「……」
絶対にお腹いっぱいまで食べる気でいた。
食べ過ぎで身体を壊されでもしたら大事なのだ。
リーネはノブユキの保護者として守ってくれているようだが、ノブユキもこの店の料理長として業務をこなす義務を感じている。
しっかりしなくちゃいけない。
「《レシピ》プリン」
ひょこん、と底の薄い木皿が、テーブルの上に出現した。
橙色の照明に照らされた白い液体が、木皿の上でちゃぷんちゃぷんと音を立てる。
太陽を思わせる生たまごが、ぎゅんぎゅんと回転をはじめる。
牛乳と生たまごが混ざり合い、白と黄色の世界が融合する。
白砂糖がそこに飛び込んできて、深奥へと沈んでゆく……。
円錐のてっぺんを削がれた物体へと収縮し。
ここに、黄金色の新たな世界が誕生した。
「はい、完成っと」
「なによこれ……尋常じゃない質感じゃないの……」
「そんなに変ですか?」
「こんなに揺れてるのに、どうして崩れないの?」
できたてほやほやのプリンは木皿の上で、ぷりゅんぷりゅんと揺れていた。
王都のプリンはもっと固めのものが多いのだろうか?
ノブユキは割と液体に近いものが好きなので、自分の手で作ったとしても同じ質になっていたと思われる。
と、その時だった。
『ママー、ここがおとうさんから聞いたおみせー?』
『そうよ、あら、でも今日はおやすみのようね』
『えー、たべたいたべたいたべたい!』
『困った子ねえ……』
店の外が何やら騒がしくなっている。
リーネはプリンを食べる前に外を確認しに行った。
店の扉が開き、ノブユキからも店内の灯りで全身を照らされた人物が見えた。
成人女性と子どものようだ。親子だろうか。
「とりあえず外は冷えるでしょうし、どうぞ!」
「いいのですか?」
「はい、臨時休業ですが、お話くらいは聞きますので」
「すみません」
リーネの案内で、店内に親子らしき2人組が入ってきた。
臨時休業の札はそのままのはずだが?
特別に入れたのだろうか?
「今日はどういったご用件で?」
「おとうさんがね、『りぃ~ね』のごはんはすごいんだって!」
「あら、うちの常連さんのお子さんかしら、ねえノブユキくん?」
リーネは子どもに向けていた視線をノブユキに移す。
もちろん、普段からフロアに出ないノブユキがわかるはずはない。
わかりませんよ。という意味を込めて、首を横に振る。
しかし……ノブユキはふと思った。
大衆食堂とは言っているものの、普段やってくるお客は成人たちばかりだ。一流の料理人を両親に持つノブユキの料理だが、元の世界で食べて、感想をくれていたのも成人。それも料理人や評論家たちで。
子ども相手に料理を振る舞った記憶は、ほぼない。料理に詳しくないであろう彼ら彼女らの舌を信じられなかったのだ。だが、これから子どものお客もくるようになるとしたら、出せる料理はあるだろうか?
――ない。これは危険だ。
貴重な機会がやってきたと、とらえるべきではなかろうか。
椅子から降りて、親子連れにノブユキは向き合った。
プリンなら、プリンならきっと子どもにも受け入れてもらえる気がした。
あま~いおやつは子どもと女性に好評なはず……元の世界の常識で言えば。大丈夫なはずだ。今までも料理なら元の世界の常識が通用してきたのだ。
「リーネさん」
「な、なにかしら、ノブユキくん。真剣な顔をして?」
「無理なお願いかもしれませんが、お子さんに料理を食べてもらいたいんです」
「もしかして……」
リーネの視線が、ノブユキから隣の空いている席に移る。正確にはその上に乗っている、プリンに向かって。
「だめよ、それわたしのでしょう!?」
どんどんどん。
リーネが足音を鳴らしながら近づいてきた。
「わ・た・し・の……でしょう?」
上目遣いで迫ってくるリーネ。
色香に惑わされてはいけない。
ここからは料理人ノブユキになるのだ。
「また次の機会に作ってあげますから」
「本当に? 絶対よ?」
ようやくリーネは折れてくれた。
入り口からすぐの場所に立っていた親子のところに戻ると、営業モードに入る。
腰を落とし、子どもの背丈と同じ目線になるよう姿勢を整える。
そして、手を肩の位置にまで持ってくると、虚空を抱きかかえるようにして、胸を抑えた。
「小さなお客さま。ようこそ大衆食堂『りぃ~ね』へお越しくださいました。今宵は貸し切りでございます。ごゆっくり当店の料理をお楽しみください。さあ、お席へ」
よっこいしょ、とリーネは子どもを脇から両手で持ち上げると、ノブユキの座っている席の隣へ腰を落ち着かせた。
子どもとリーネがやり取りをしている間。
親御さんは、すみませんすみません、とノブユキに何度も頭を下げている。
ノブユキは頭を上げるように説得するも、子どもの反応が気になって仕方がない。
手振りだけ応対しつつ、視線は隣の小さなお客とリーネへ。
リーネが子どもを挟むように、ノブユキとは反対の席に立った。
そして語りかける。
「小さなお客さま。こちら当店の、当店だけの、当店による『牛乳とたまごを溶いた甘くやわらかい固体』でございます。ご賞味ください」
「しょーみってなーに?」
「食べてみてください、って意味ですよ」
「うん、わかった!」
子どもが木製のスプーンでプリンの一角をすくう。
プリンは崩れることなく、その身を震わせた。
口に運ばれる。
ばくり、と吸い込まれ、姿を消す。
もにゅもにゅ、もにゅもにゅ、子どもの頬が揺れる。
――ど、どうだ!?
ノブユキは気が気ではない。
心臓がばくばくと音をたてているようだった。
子どもは頬を押さえると。
「ぷるぷるしてる! あまい! たべたことない! すごい!」
「お気に召したようでなによりです」
「やっぱりここのおみせ、すごい!」
「そうですか、そうですか。ぜひいつでもいらしてくださいね」
「うん、ともだちにも教える! すごいおみせがあるって!」
――よし、手応えあり!
ノブユキは内心でガッツポーズを取った。
しかし、心残りもある。
ノブユキの揺れる心はともかく。
プリンはあっという間に完食されてしまい、子どもは余った汁までぺろぺろと舐め始めた。
「こ、こらっ! 行儀が悪いでしょう! もう、この子ったら本当にわがままで!」
「いえいえ、最後まで味わってもらえて、俺も嬉しいですので」
「ありがとうございます! ほんっとうにありがとうございます! こらっ、あんたもちゃんとお姉さんとお兄さんにお礼をしなさい!」
子どもを叱りつける母親。
ノブユキは両親をあまり困らせた記憶がなく、怒られたこともなかった。
新鮮な光景だなあ、と感慨に浸っていた。
「はぁーいママ。おねえちゃん、おにいちゃん、ありがとね。またきてあげるよ」
「また来させていただきます、でしょう!」
そして。
ご迷惑をおかけしました。と言い残し、親子は去って行った……。
◇ ◇ ◇
ノブユキとリーネは再び隣同士で座り、話し合う。
先に言葉を発したのはノブユキだ。
こてっ、と脱力して机につっぷしながら、しゃべる。
「子どもは素直ですね」
「なにが? 絶賛してくれたじゃないの」
「『美味しい』とは言ってませんでしたよ」
「そうだったかしら?」
リーネは気づかなかったようだ。
だがしかし、ノブユキは確かにその単語がなかったことに気がついていた。
「やっぱり俺の料理は二流なんだろうな……」
「そ、そんなことないわよ! ほら、子どもはまだ舌が肥えてないから!」
「うーん」
「の、ノブユキくん?」
「リーネさんはプリンをもう一品に加えようとしてますよね?」
「その、つもり、だったけれど……」
まさか断るつもりではないかと思ったらしく、リーネは気が気ではないようで。
ノブユキの肩をゆすって、説得してくる。
「充分おいしそうだったわよ! それにまだわたし食べてないじゃないの!」
「それはそうですけど……」
「わたしの舌が信じられないっていうの?」
「舌の問題じゃないんですよねえ……」
「どういう意味?」
「俺がなんで二流なのか、ちょっとだけつかんだような気がしまして」
ノブユキは、なぜ元の世界で同級生たちに料理を食べてもらわなかったのか、後悔していた。一流の人たちの舌で判断してもらえれば充分だと思っていた。驕っていたとも言えるかもしれない。
「なにが二流だ、馬鹿やろう……これじゃ三流以下だ……」
「ノブユキくんの料理はおいしいって!」
その後、就寝まで2人のやり取りは続いた。
ノブユキがシチューだけのメニューに満足できなくなっているのも事実だ。
色んな料理に触れてきたつもりだった。
しかし、いざ看板メニューができると、お客のオーダーが集中してしまうことを知った。見習い時代には経験できなかったことに戸惑いを隠せない。
それに今回はイレギュラーで済んだものの、子どものお客を満足させるための料理も考えなければ……。
「そろそろ寝ます。リーネさん、おやすみなさい」
「うん、あんまり考えすぎないでね、ノブユキくん」
ノブユキは、フロアの端にある階段をとんとんとんと上ってゆく。
2階にある自室のベッドに入り、眠りにつくまで新しい料理のことを考えていたのだった……。
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