第7話 プリン ①―②

 臨時休業日が明けた翌日。

 昼前の仕込みも済むと、いよいよリーネのプリンに対する食欲が爆発した。


「ノブユキくん、プリン! プリンプリン!」

「リーネさん、俺よりもお姉さんですよね。子どもみたいですよ」


 リーネは待ちきれないらしく、すでにテーブル席の椅子に座っている。

 ノブユキも隣に腰を下ろして彼女をすこし眺めた。


 両腕を上げ下げするリーネは、子どもっぽくて可愛い。

 美人なだけじゃなく可愛い一面もあるなんて反則ではなかろうか?


「ノブユキくんったら! ねえ、早く!」

「はいはい。《レシピ》プリン」


 ぽんっとテーブルの上に出現する木皿。

 白く輝く牛乳が宙に浮かび、ぴゅるぴゅると音を立てる。

 透明な白身と黄色くふくらんだ卵黄を宿す生たまごが、合流し混ざり合う。

 白砂糖が細やかな粒子をまんべんなく行き渡らせる。

 それらは、円錐のてっぺんをくり抜いたような形で黄金色の山を形成し、ひとつの世界となった。


「まさに黄金色の小さな山ね」

「あんまりじろじろ見ないでくださいよ。手作りじゃなくて魔法ですよ、魔法。味気ないことこの上ないですって」

「じゅるり」

「ちょっ……リーネさん、よだれ! よだれ!」


 あら失礼、とリーネは紙ナプキンで口を拭いた。

 それを見て、ノブユキはため息を吐かずにはいられなかった。


「じゃ、じゃあ、いただくわね……」

「味に自信はないですが、どうぞ」


 昨夜、親子連れのお客にプリンを出した際のことだ。

 食べた子どもは「あまい」「新しい」などは言ってくれたのだが、「おいしい」を引き出すことはできなかった。

 そのことが、ノブユキをすこし暗い気分にさせている。


 そんなノブユキの不安をよそに、リーネはスプーンで山の一角を掘り崩して、口に入れる。

 

「!?」


 言葉はなかった。

 が、リーネの表情が劇的に変化した。


 まゆ毛をつり上げ、目を大きく開く。

 口のなかは噛むのではなく、舐めているようで、頬がぽこんぽこんと、ふくれる。


 ごくん。

 飲み込んだ音がした。

 いったいどうだったのだろうか?


「あま――――――い!!」

「やっぱり美味しいんじゃないんですね……」

「いやノブユキくん、これは美味しいの前に甘いがくるわよ。理由はわからないけれど……」

「ってことは?」

「もちろん美味しいわよ!」


 それを聞いたノブユキは、ほっと胸をなで下ろす。


 リーネはノブユキの様子はお構いなしだ。

 夢中でプリンにしゃぶりついている。

 ――はむはむ。もきゅもきゅ。れろれろ。

 あっという間に黄金色の山は消えてしまった……。


 彼女の口内から分泌された透明の液体が、つつっとあごの途中までつたう。


「だからリーネさん、よだれよだれ!」

「……」


 リーネはぼーっとしていて動かない。

 代わりにノブユキがあわてて、紙ナプキンで口元を拭く。

 おっちょこちょいなところもある人だ。


 ノブユキは、リーネのつややかな唇に目を奪われそうになりながら、彼女の口から流れる唾液をぬぐいつづける。


 と、ふいにリーネが発した。


「わたし、結婚してもいいわ」

「え」

「プリンとなら」

「……」


 まったく。

 とんでもないフェイントをかけてくるものである。

 ノブユキは一瞬だけ、ドキッと鼓動が高まってしまったのだった。


 リーネは、冗談を言えるだけ正気に戻ったようだ。

 早速、本題に移してくる。


「ノブユキくん、プリンをメニューに加えましょう」

「魔力切れの問題はどうするんですか? これ以上増やしたらもっと魔法が使えない事態になりそうなんですけど」

「そこよねえ……。負担をかけずにメニューを増やす方法はないかしら」

「あるにはありますが、おすすめはしないと言いますか……」

「え、なに!?」


 リーネは、ずいっと顔を近づける。


 ノブユキは椅子から降りて腕を組み、ぐるぐると回り始めた。

 悩ましい。

 提案していいものか。

 とりあえず言うだけ言ってみることにした。


「俺、プリンはあまり作ったことないんですけど、シチューならかなりあるんです」

「ふむふむ、それで?」


 言い出そうとするも口が震える。

 しかし、これ以外に方法は思いつかないのだ。

 意を決して、ノブユキは話した。


「シチューは魔法に頼らずに俺が作るんです。その代わり、プリンは魔法で召喚させます。そうすれば、今までとそれほど負担は変わらないと思うんですよね」

「ノブユキくんの腕はわかっているけれど、賭けってわけね。味の安定で定評のあるうちの店が、味にばらつきがでちゃうっていう……」


 こくり。

 ノブユキは「その通りです」と意味を込めて、深くうなずく。

 リーネは顎に長細い指を乗せて、しばし悩む素振りを見せると。


「いいわ! やってみなさい! 店主のわたしが許可します!」

「いいんですか?」

「ノブユキくん、この世界の料理人において、一番いけない状態がなんだかわかるかしら?」


 ぶるぶるとノブユキは首を横に振った。

 すると、リーネは目を半開きにしつつ、どこか優しげな雰囲気を出して。


「それはね、『停滞』よ」


 言い放った。

 なんてことのない発言なのに、ノブユキには重く、重くのしかかるようだった。


 リーネは続ける。


「常に先へ。常に前へ。常に遠くへ。それがこの世界の料理人たちの精神よ」


 ノブユキは、返す言葉がなかった。

 確かにノブユキにもリーネの言うような、いわゆる向上心はあったと思う。

 しかし、いつしか忘れてしまっていた。

 なぜ、どうして、いつそれがなくなってしまったのかは、わからないが。

 きっと大切なことだったのだろう。


 リーネは優しげな微笑みから一転して、快活そうにニカッと笑った。


「さあ、ノブユキくん。いっちょこの世界に新しい風を吹かせてちょうだい!」

「おおげさです」


 と、ノブユキは言いつつ。

 この時のリーネの発言と、表情は忘れないだろうと、思ったのだった。


 大衆食堂『りぃ~ね』は臨時休業日を抜けて、新しい営業日を迎える。

『営業中』の札に変えるためリーネは入り口のドアを開く。わいわいがやがやと声が聞こえて、すでに並んでいたお客がいることに安心するノブユキ。それと同時に身の引き締まる思いだ。


 ――常に先へ。常に前へ。常に遠くへ。


 リーネに導かれて、ノブユキの新しい挑戦がはじまろうとしていた……。

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