第14話 コーヒー ①―①
大衆食堂『りぃ~ね』の給仕長、あまりの忙しさでぶっ倒れる。
ウワサはあっという間に広まったようで、店への客足はすこし遠のいた……。
みな、遠慮してのことだろう。
曜日を決めて、その日にだけ顔をだす、なんて気配りをするお客もいた。
いまは、昼の営業を終えて、休憩中。
ノブユキとリーネはいつものように、テーブル席に隣同士で並んでいる。
ちゅんちゅん。
すずめだろうか。
開かれた窓に、小鳥が一羽、止まった。
のどかだ……。
ノブユキは、窓から見える空の青を眺めた。
季節は春。
こうして、のんびりした時間があってもよいのではなかろうか。
と、耳に、生きがいを奪われた傭兵のような、だらしない声が届く。
声のしたほうを、うかがうと、テーブルに上体をあずけるリーネの姿があった。
「『コーヒー』が飲みたい気分」
「『コーヒー』ですか。ってあのコーヒーですか?」
「ノブユキくん、春の陽気にやられて頭がぼけた?」
「いえいえ、あの黒くて艶があって独特の苦みが特徴のコーヒーですか?」
「うん、それがどうかした?」
「いえ、俺の元いた世界にも同じものがありますよ、コーヒー!」
「あら、不思議ね。初めてじゃない? うちの世界と名前が一致したものって」
こくこく。
ノブユキは首を縦に振って、うなずく。
そして、首をかしげる。
「なんでだ? なんでだろう?」
「ノブユキくん、コーヒー作って」
「え」
「道具ならあるわよ。豆もあるわ」
「……すみません。飲んだことや、作っているところを見たことはあるんですが」
「自分で挽いたことはないのね」
「たぶん、魔法でなら出せると思いますけど、どうします?」
「じゃあお願いしようかしら」
「わかりました。『キリマンジャロ』『ブルーマウンテン』『モカ』『グアテマラ』えーっと他には……」
「ちょ、ちょっと待ってノブユキくん。なに、その呪文みたいな名前は」
「何って……コーヒーの名前ですよ。産地名……あっ」
ノブユキは気づいた。
数々のコーヒーにつけられた名前の由来は、産地だ。
この世界に元の世界の産地があるはずもない。
まあ『モカ』だけはあってもおかしくはないか、とも思うが。
リーネが続きを引き取る。
「こっちで有名なのだと『ヴィズダン』『フレイブ』『マスダー』『リミッツ』『ファインナル』このくらいかしらね」
「なるほど……さっぱりわかりません」
「まあ、コーヒーを頼むお客さんが今までいなかったことだし」
「そうなんですか?」
「ええ。コーヒーを飲みたいのなら、大衆食堂じゃなく、本格的な喫茶店にいくのが普通よねえ」
ノブユキは、ふむふむと、納得する。
しかし……。
「じゃあどうして豆や調理器具を揃えてあるんですか?」
「うちは場末の弱小店舗よ? もしご要望のお客さまがいたとして、当店では扱っていません。なんて言ったらもう絶対に来てくれないもの」
「ウソですね」
「あら、バレた?」
リーネとの付き合いも1年近くになる。
リーネはウソをつく際に、身体をぷるぷると揺らすクセがあるのだ。
今回も震えていた。
「趣味よ、趣味。わたしの完全な趣味」
「趣味、ですか」
「そ。いつか喫茶メニューもやってみたいなあーって思っててね」
「なるほど……。リーネさん、じゃあ味わってみます?」
「何を?」
「異世界のもので悪いんですが、本格的なコーヒーってやつを、です」
できるの!?
と、リーネはずいっとノブユキに迫った。
「まあやるだけやってみます。《レシピ》キリマンジャロコーヒー」
ノブユキは、天井へと高らかに片手をあげて、唱えた。
コーヒーと言えば、格好のいい男や女のイメージ。
ここはいっちょ、魔法の世界らしく、形から入ってみた次第だ。
だが――。
「ノブユキくん」
「……」
「何も起こらないわよ」
「……」
「いつまで雷魔法を使ったポーズみたいなことしてるの?」
「…………」
恥ずかしくて死にそうになったノブユキだった。
落ち着こう。
ノブユキはひとつの仮説を立てる。
ここは異世界だ。
異世界に元の世界の原料としたものを求めたのが失敗の原因ではないか?
あるいは『キリマンジャロ』と同じ豆が存在しているかもしれないが、おそらくは名前が異なっているのだ。
となると……。
「リーネさん」
「なにかしらノブユキくん」
「さっき言っていた豆を原料としたコーヒーのレシピってわかります?」
「うん、わたしのレシピでよければだけど」
リーネは魔法を唱える。
「《指先執筆》、《虚空用紙》」
リーネの指先が水色の輝きを放ち始めた。きらきらと、周囲にまで粒を撒いているようだった。
そして、手元には半透明の紙が浮かびあがる。
リーネが光る指先で、虚空の用紙に指を滑らせる。すると、水色の光が紙に吸われてゆき、文字が残る。元の世界のものと同じ文字だったので、ノブユキにも読めた。これがもし中世ヨーロッパ風のファンタジー異世界だったとしたら、きっと主人公は異界の文字で大いにあわてていたことだろう。
ノブユキのやってきた異世界では、そんなことはなさそうだ。というか、1年間も住んでいて不思議に思わなかった自分があほらしくなった。
――ま、でも、いっか。
ノブユキはとぼける。
「これなんだけど、どうかしら。ノブユキくん。読める?」
「……ばっちりです」
リーネは、耳にかかっていた長髪を掻き上げ、顔を寄せてきた。
――近い、近い、近い!
色香でどうにかなりそうなのを、ノブユキは必死にこらえた。
ええっと。
ふむふむ。原料となる謎の豆以外は、元の世界と変わらないようだ。
これならイメージができそうである。
「リーネさん」
「なに? ノブユキくん?」
「休憩時間も減ってきていることですし、パパッと魔法でいいですか?」
「うん、好きにしてちょうだい」
「では。《レシピ》ヴィズダンコーヒー」
陶器でできた、小さな深い茶色のコップが、ことりとテーブルの上に出現する。
こりこりこり。音からは想像もつかないほど細かく焦げ茶色の豆が挽かれていく。
円錐を逆さまにしたフィルターに細かくなった豆粒が入る。
おいおいこんな乱暴で大丈夫か、と心配になるほど、早い。とにかく全ての工程がとてつもない早さだ。
フィルターのなかに敷かれた豆粒に、蒸気を立たせる熱湯が入り。
ぽたぽたぽたぽた。
粒で色づけられた雫がコップの中に落ちてくるのだが……、やはり早さが尋常じゃない。早送りで見ているようだった。
顔を近づけたリーネは、「高度な時魔法でも使っているのかしらね」などと、感心している様子。
ぽたぽたぽたぽた。
コップいっぱいに黒に近い茶色の液体がそそがれ、完成した。
「とりあえずできました」
「うん、見応えがあったわ。やっぱり『奇跡』みたいな魔法ね」
「奇跡が宿っているらしいので」
ノブユキなりに皮肉を言ってみたつもりだが、スルーされた。
さて、リーネだが、ちょうどコップに口をつけるところだった。いつの間にか容器が手元から消えていることに、ノブユキは遅れて気づく。
ほうっ、と吐息を漏らしたリーネがひと言。
「うん、知っている味」
「よかったー」
ノブユキは出来映えもそうだが、魔法がちゃんと発動したことで安心した。
『この世界に存在しない原料や材料を思い浮かべても魔法は発動しない』ということだろう。
すごい収穫だ。
これで、地名や産地を名前の由来とするものは、作れないと判明した。あるいは、同じ味のするものを改めて見知る必要があるのも間違いない。
ぽかぽか陽気にゆっくりと飲む午後のコーヒー。
青い小窓を背景に、リーネが一枚の絵画とも見てとれた。
……なんだかノブユキも飲みたくなってきた。
「《レシピ》ヴィズダンコーヒー」
すぐにもう一杯が召喚され、ノブユキも、ひとくち。
――ん?
「って、この酸味と苦みと香り……『キリマンジャロ』じゃねえか!」
「ノブユキくんうるさーい」
「あ、すみません」
探し物はいきなりひょっこりと現れるものだ。
ノブユキは、なんとも言えない気持ちになりつつ、今度はこの世界に由来している原料や材料についても学ばなきゃ、と決意を新たにした。
――これでキリマンジャロを意識すれば、キリマンジャロが召喚されるのかな?
試したいのだが、まったりとした雰囲気を台無しにしてしまうのは嫌だ。
「それにしても、いい天気ねえ……」
「そうですねえ……」
――まあ休憩時間の今くらいはのんびりするか。
ずずっ。
2人だけの店内で、ほろ苦いコーヒーのすする姿を、よその誰かに見られることはなかった……。
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