第40話 メインヒロインはラブコメ王道展開に巻き込まれる

「さぁさ、そんなところでずっと立ってないで、上がって上がって!」

「え、あ、は、はい」


 瑞穂が満面の笑みで戸惑った侑を引き連れてリビングに戻ってくる。


 晃晴はこれから起こる展開が見えてしまっているので、それを頭痛を堪えながらただただ見守ることしか出来なかった。


(こうなった母さんは父さんしか止められないからな……)


 瑞穂の推しの強さに押し切られることが多い晴翔でも、晃晴に比べればまだ瑞穂に言うことを聞かせることが出来るのだ。


 今回はさすがに家族以外の誰かに迷惑がかかるケースなので、暴走が行き過ぎる前にどうにか諌めてくれるのではないかと期待して晴翔を見る。


 晃晴が見ていることに気がついた晴翔は、なにを考えているのか読みづらい目でこっちを一瞥し、また料理に戻った。


 アジフライを作るよりもこっちの台風を一刻も早く止めてほしいと思わずにいられない。


「彼女さん、あなたお名前は?」

「あっ、えっと……浅宮侑、です」

「そう、侑ちゃんね!」

「は、はい……」


 侑が早速瑞穂の勢いの餌食になっていた。


 その賑やかさと勢いに押され気味か侑が、こっちに向かって助けてほしいと視線を飛ばしてくる。


「……母さん、浅宮が戸惑ってるから」


 加勢しても無駄だ、とは思ったが自分の身内が引き起こしている事態なので、放っておくことも出来ず、一応口を挟む。


 すると瑞穂は「あ、ごめんなさい」と一旦だろうが、一応勢いを緩める姿勢を見せた。


 しかし、瞳は好奇心で爛々と輝いている。


「それにしても、晃晴! 可愛い子を捕まえたじゃない! こんなに可愛い彼女が出来たっていうのになんで報告しないのよ」

「彼女じゃないから報告してないんだよ。というか出来ても絶対教えねえ」


 こんな感じに面倒事になると分かっているのに報告なんてするわけがないだろう。


 晃晴の彼女じゃないという発言も、やはりまるで信じていない。


 完全に照れ隠しだと思われていることに、晃晴は顔を顰めた。


「それで? 2人の出会いはいつ? なんのきっかけで付き合い始めたの?」

「だから付き合ってないんだって!」

「えー? でも、こうして部屋まで来てるわけでしょ?」

「たまたま部屋が隣だっただけだ」

「なにそれ運命じゃない!」

「運命じゃない、じゃあないんだよ……!」

「あ、あの……お母様……」


 不毛過ぎる言い争いを繰り広げていると、侑がおずおずと瑞穂に話しかけた。


「まあ! 聞いた、晃晴? お義母様だって!」

「絶対母さんが考えてるニュアンスじゃないだろ……単に名前が分からないからそう呼ぶしかないだけだって」


 晃晴がちらっと侑の方を見ると、瑞穂の勘違いに頬を赤くした侑がこくこくと頷いて同意を示す。


「あっ、そうだったわね。改めて、初めまして。日向瑞穂みずほです」


 にこにこと邪気のない笑みを浮かべたまま、瑞穂は今更ながらにぺこりとお辞儀をしてみせる。


「ぜひ瑞穂さんって呼んでね。個人的にはお義母様のままで全然構わないんだけど」

「いえ、それは……と、とにかく、瑞穂さん。私と日向くんは本当に付き合っているわけではなく……」

「けど、今日だってわざわざ晩御飯作りに来てるのよね?」

「それはいつもの……あっ」


 口を滑らせた侑が口元を片手で覆うと、瑞穂はにまーっと笑みを深めた。


(マズい。どんどん言い逃れが出来ない状況に……)


 ここまできたら瑞穂に晃晴と侑が付き合っていないと納得させるのはほぼ不可能だろう。


 晃晴は今日何度目かも分からない大きなため息を吐きながら、ここにいない友人、咲と心鳴の思慮深さに改めて感謝をする。


 普段から早く彼女を作ってダブルデートを、などとのたまっている咲は、なぜか侑との関係が露見した時も、侑の横に立つ為に主人公になると宣言した時も、侑との関係について余計な邪推をしてこなかったのだ。


 そのことが気になった晃晴が尋ねると、


『だってお前、彼女作れならまだしも特定の誰かとの仲を邪推されてからかわれんの嫌だろ?』


 と咲から実にあっけらかんと返されて、少し面食らった覚えがあった。


 話してもいないことを見抜いてみせたその洞察力には舌を巻いたものだ。


 まあ、それはそれとしてたまに軽くイジってきはするのだが、あくまでも晃晴が嫌がるラインまでは咲も心鳴もからかってこない。


 自分の母親だし、嫌いではないのだが、こういうところは本当に面倒くさくて苦手なので直してほしいと常々思っていた。


「と、とにかく、私たちは本当に付き合っているわけではありませんので……」

「もー頑なねー。恥ずかしがらなくてもいいじゃない」


 侑が困ったようにまたこっちを見てきた。


 見られても困っているのは晃晴も同じなので、少し眉を顰めて見つめ返す。


 晃晴と侑のそのアイコンタクトをどう受け取ったのかは知らないが、瑞穂が殊更に目を輝かせた。


 最悪のマッチポンプである。


「じゃあ質問。侑ちゃんは晃晴のこと、どう思ってるの? というかどこが好き?」

「え、そ、それ、は……」

「おいなにを聞いてるんだよ」

「大事なことよ。将来の義娘が息子のことをどう思ってるのか、母親として気になるじゃない」


 だから付き合ってないんだよ、という晃晴の疲れ混じりのぼやきは当然瑞穂には届かない。


(というか階段を何段すっ飛ばしてるんだ)


 もはや結婚して侑が嫁に来ることまで瑞穂の脳内では確定事項となってしまっているようだ。


「ねえねえ、どうなの? 教えて教えて?」

「え、えっと、その……」

「……言わなくていいからな」


 こっちをちらちらと見上げてきていた侑にツッコミの疲れから死んだ目を向けると、侑はきゅっと唇を引き結ぶ。


「努力家で、誠実で……自分の考え方を人に押し付けたりせず、人の考え方をちゃんと尊重出来て、誰かに寄り添える優しさと強さを持っているところ、です……」


 ぷるぷると震えながら喋っている途中でどんどん顔を赤くしていった侑に、瑞穂が「きゃーっ!」と歓声を上げた。


 傍で聞いていた晃晴も「なっ!?」と驚き、目を剥く。


 それから、片手で額を覆うようにしながら、呻いた。


「言わなくていいって言ったのになんで言うんだよ……!」

「だって、友達のご両親に対してそれは印象も悪くなりますし……かと言って適当なことを言うわけにもいかないじゃないですか……!」


 生真面目め、と晃晴は熱を持った顔で恨みがましい目を侑に向ける。


 晃晴としては色々思うところはあったが、選択肢としては正解だったらしく、瑞穂は今ので侑のことを完全に気に入りきったらしい。


(……せめて名前呼びだけは断固として隠し切って墓場まで持っていこう)


 もはやツッコミを諦めた晃晴が手に持ったままだった服の紙袋を邪魔にならないところに置いた。


 それから顔の熱を冷ますついでに整髪料を落としてこようと洗面所に足を向けると、


「それで、晃晴の方は侑ちゃんのことをどう思ってるの?」


 突然背中に爆弾が飛んできて、晃晴は思わず足を止め、半身で振り返った。


「……なんでそんなの母さんに言う必要があるんだよ」

「あら、女の子がちゃんと答えてるのよ? なら、男の子もきちんと答えてあげるべきじゃない?」

「それも言わせたのは母さんだろ」

「けど、侑ちゃんは答えたのよ? 女の子が言ったのに男の子が言わずに逃げるのはいいのかしら?」


 そう聞くと、自分は悪くないはずなのに悪く思えてきて晃晴は言葉を詰まらせる。


「さあ、どうなの晃晴! 侑ちゃんのこと、好きなの? それともまさか嫌いなの?」


 言葉を詰まらせた晃晴を見て、好機と見たのか、瑞穂は更に言い募ってきた。


(質問変わってるじゃねえか……)


 はぁ、とため息を吐いた晃晴は後頭部を掻いて、身体ごと瑞穂の方に向け直し、「あのなぁ……」と口を開いた。


「——そんなもん好きに決まってるだろ」


 泰然と言ってのけた晃晴に、一瞬この場が静まり返る。


 数瞬置いて、瑞穂が「あらあらあら!」と喜色の声を上げた。


 その声を合図にしたように、侑がどんどん顔を真っ赤に染めていき、服のすそをきゅっと握って俯きがちになり、上目遣いでこっちを見てくる。


「あ、あの、す、好きって……?」

「……なんで浅宮が動揺してるんだよ。人としてってことだ。好きか嫌いかの2択なら好き1択だろ。嫌いなやつを部屋に上げ続けたりするか」

「あ、ああ! そうですよね!」


 そもそも、隣に並び立ちたいと思っている相手を嫌いなわけがない。


 瑞穂に勘違いを加速されるのは面倒なのだが、どう思ってるのかと聞かれて、隣に立っていたいから主人公になりたいと実の母親に語るよりは、精神的にマシだろう。


 完全に誤解を解くことは諦めきった晃晴が更にかしましくなった瑞穂を見て鼻を鳴らすと、


「瑞穂。そのぐらいでやめておけ。あまり人の仲を引っ掻き回すようなことを言うな」


 キッチンで料理をしながら、今まで傍観していた晴翔がようやく瑞穂を止めに動いてくれた。


「えー、だって晴くん、息子に彼女が出来たのよ? これが黙っていられるわけないでしょ?」

「……人前で晴くんはやめろと何度も言ってるだろ」


 はぁ、と大きなため息を吐いた晴翔がキッチンから出てくる。


「もういい。とにかく僕は作り終わった。次は君が作る番だ」

「はーい」


 仏頂面の晴翔がこっちに歩いてくるのと入れ替わりで、ご機嫌に鼻歌を歌う瑞穂がキッチンに入った。


 それから、晴翔がなにを考えているのか読みづらい瞳で侑を見る。


「……日向晴翔はるとだ。悪いな、妻が迷惑をかけた。それから、息子が世話になってるみたいだな。ありがとう」

「い、いえ! お世話になっているのはこちらの方なので!」


 温度のない瞳とどことなく機嫌が悪そうにも見える無表情に圧を感じたのか、侑は瑞穂に対するそれよりも緊張したように、頬を赤くしたままの面持ちで頭をぺこりと下げた。


「もー侑ちゃんが怖がってるでしょー? ダメだって、ちゃんと表情明るくしないとさー。晴くんただでさえでも普段からむすーっとしてるように見えて怖いんだから」

「うるさい」


 晴翔はキッチンから飛んでくる瑞穂の野次を一蹴したが、瑞穂の言うことにも一理あると思っているのか、心なしかバツが悪そうだ。


 晴翔が緊張と言うよりは萎縮して見える侑に対し、わずかに申し訳なさそうに顔を歪める。


「……すまない。表情を意識して作るのは苦手なんだ。別に機嫌が悪いわけじゃないから、安心してほしい」

「そ、そうなのですか……?」

「ああ。父さんは誤解されやすいんだよ。本人からしたらただ普通にしてるだけなのに機嫌悪い? とか聞かれるタイプだ」


 晴翔は身内から見てもぶっきらぼうで、気難しそうに見える上、他人にあまり興味がない冷たい人間と思われがちだ。


 しかし、実際はその逆で、他人の感情の機微がしっかりと感じ取れる面倒見のいい性格だったりする。


 まあ、他人への興味が薄いというのは見たままなのだが、根本的にはお人好しと言っても過言ではないだろう。


「よかった。もしかしたら、私がなにか粗相をしてしまったのではないかと……」

「……すまない」


 誤解が解けて緊張も少しはほぐれたのか、侑は再び謝罪の言葉を口にする晴翔に、くすりと微笑んだ。


「よかったわね、晴くん。将来の義娘に嫌われるようなことにならないで」

「うるさい」

「だ、だから私たちは付き合っていないのですが……」


 困ったように呟いた侑が、またもやこっちに視線を飛ばしてきたので、晃晴は首を横に軽く振る。


 それだけで諦めろという晃晴の意図が伝わったのか、侑がそっと息を吐いた。


 侑も身内に似たようなタイプがいるので、瑞穂の暴走を止めるのがいかに困難なのか、よく知っているのだろう。


「あの、瑞穂さん。もしよろしければ、私にもお手伝いさせてください」

「あら本当!? 私、娘と一緒にキッチンに立つのって夢だったのよ!」


(……さっきまで将来のとか言ってたのに、もう将来始まってんのか)


 彼女から始まった勘違いも、ものの十数分で遂に辿り着くところまで辿り着いたらしい。


 瑞穂が侑に抱きついたのを皮切りに、晃晴はくるりと踵を返し、洗面所に入る。


 ひとまず整髪料を落とそうと、蛇口を捻って水を出したところで、


「晃晴」


 後ろから晴翔の声がしたので、すぐに水を止めて振り返った。


「なに、父さん」

「……いや、少し見ない間にいい顔をするようになったと思ってな」

「あー……まあ、そうかもな」


 少なくとも、実家にいる頃よりはマシになったと、自分でも自負出来る。


 人と関わるのが怖くなって、塞ぎ込んでいた時期を知っている晴翔からしたら、今の晃晴の変化は劇的に見えるのだろう。


「というか、もっと早く母さん止めてくれよ」

「悪かったな。浅宮さん、だったか? 彼女が信用に足る人間なのか、測ってたんだよ」


 息子が人間関係で痛い目を見ているからな、と続けられ、晃晴は無意識に奥歯を噛み締めた。


「……浅宮、と友達のお陰で、また少しだけ前を向いて歩き出すことが出来たんだ。いい奴らだよ」

「……そうか」


 晃晴がほんのわずかに微笑んで見せると、晴翔もわずかに頬を緩め、短く呟いた。


「僕は瑞穂みたいに晃晴と浅宮さんが付き合っていると思っているわけではないが……」


 そこで言葉を切った晴翔は、ちらりとキッチンの方を一瞥し、


「いい出会いに恵まれたようだな」

「……ああ」


 晃晴がしっかりと胸を張り、頷いてみせると、晴翔はふっと小さく笑みを零し、洗面所から出て行った。

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