第14話 泊まりの終わり

「……もうこんな時間か」


 侑を寝室に残し、スーパーへ買い物に出かけた晃晴が部屋に帰ってきてから、更に数時間ほど経過していた。


 時刻は14時過ぎ。

 

 暇潰しにスマホで電子書籍をひたすらに読み漁っていた晃晴は、ソファの背もたれに身体を預け、ググッと伸びをして、立ち上がる。


(……浅宮、そろそろ起きるかもしれないな)


 買い物から帰ってきてから寝室を覗いた時には、侑は既に寝入っていた。


 水分補給用にと枕元に買ってきたスポーツドリンクを置いてはいるが、様子を見に行くべきだろう。


 晃晴はなるべく音を立てないように、寝室の扉を開く。


「……あ、おはようございます」


 寝室に入ると、身体を起こしていた侑と目が合った。


「もしかして、起こしたか? 悪い」

「いえ、起きてから数分は経ってますから」


 枕元に置いていたスポーツドリンクが減っているところを見るに、晃晴に気を遣ったわけではなさそうだ。


「そうか。体調はどうだ?」

「随分良くなったと思います。今から熱を測ろうかと」


 侑は手に持っていた体温計を見せてきた。


「……タイミングがいいのか、悪いのかよく分からないな」


 様子を見に来て、起きていたのはよかったが、測るのを邪魔してしまったらしい。


 晃晴はさっきの検温の時の無防備な姿を思い出し、侑に背中を向ける。


 背後でごそごそと音がするのを聞きながらスマホを取り出し、体温を測り終えるのを待っていると、体温計が鳴った。


「どうだ?」


 侑が体温計を取り出し終えたのを音で判断し、振り返りながら、尋ねる。


「えっと、37.3度です」

「……今度は嘘じゃないみたいだな」


 念の為に自分でも体温計を見て、嘘ではないことを確認。


 まだ微熱はあるが、顔は朝よりも赤みが抜けて声にも覇気が戻っている。


 どうやら、悪化することはなさそうだった。


「とりあえず一安心だな」

「はい。ご心配をおかけしてしまって、すみません」


 言いながら、侑はベッドから立ち上がった。


「おい、まだ完治してないんだし、横になっとけよ」


 こっちに向かって歩き始めた侑に眉をひそめながらたしなめると、


「あ、い、いえ……その……お、お手洗いに……」

「…………………………悪い」


 もじもじと恥ずかしそうに視線を逸らされ、せっかく赤みが引いた頬にまた赤色を付け足してしまう形となってしまった。


 晃晴はバツの悪い顔をしながら、侑より先に寝室を出る。


 2人の向かう先はそれぞれ別方向。


 侑は宣言通りトイレへ向かい、晃晴はキッチンへ。


 別に気まずくなって、闇雲にキッチンに駆け込んだわけではない。


 侑も起きてきて、時刻も14時過ぎ。


 色々とちょうどいいので昼食を作ろうと考えてのことだった。


 鍋に水を入れ、コンロに乗せて加熱させていく。


 沸騰を待つ間に、自分が食べる分のカップ麺を取り出して、ケトルに水を注ぎ入れた。


 そこまでの作業を終えたところで、侑がリビングに姿を見せた。


 なぜか微妙に離れた位置から、声をかけてくる。


「なにを作っているのですか?」

「浅宮の分のおかゆと俺の分のカップ麺。悪いな、レトルトで」

「いえ。作ってもらっているだけで、ありがたいですから」


 と言う割に、侑の顔はどこか晴れない。


 侑が難しい顔をして視線を向ける先は、よくよく見ればおかゆではなく、カップ麺の方のようだった。


「どうした? そんなに親の仇を睨むような顔して」

「……カップ麺は身体に悪いではないですか」


 どうやら、身体に悪いものを晃晴が食そうとしているのがお気に召さないらしかった。


「もしかして、普段からこういうものばかり食べているのではないですか」


 ジトリとした目を向けられる。


 体調が快復してきたことで、いつもの調子も取り戻してきたようだ。


「そんなに頻繁には食べてないけど、基本的には冷食、スーパーの惣菜とかでご飯だけ炊いて手早く済ませることが多い」

「その際、きちんと野菜も食べていますか?」


 真面目な侑らしい言葉に、晃晴は肩を竦める。


「1人暮らしの男子高校生に栄養バランスなんか求めるなよ。言ってしまえば、炭水化物をおかずに炭水化物を食うような生き物だぞ、男子高校生は」


 偏見にもほどがある晃晴の発言に、侑は「信じられません……」と呟く。


 ついでに、頭痛を堪えるようにこめかみに手をやっていた。


「日向くんはきちんと運動はしているからまだいいものの……そんな不摂生な生活を送っていたら、身体壊しちゃいますよ」

「……まあ、気を付ける」


 お小言っぽく聞こえるが、声音には確かに心配の色が滲んで聞こえたので、ありがたく忠告を受け取っておくことにした。


 本当に直すのかは不明だが。


「とりあえず座って待つなりしててくれ。人の体調をどうこう以前にそっちの体調はまだ完全には治ってないんだからさ」


 まだなにかを言いたげにしているので、会話を途中で切った。


 治りかけで油断して悪化なんて笑えない。


「というか、さっきから気になってたんだけど……なんでそんな離れた位置にいるんだ?」


 会話をするにしては不向きな距離に立っている侑に、怪訝な顔を向ける。


「……その、今、私……汗をたくさんかいてしまっているので……出来れば、日向くんからも近づかないでもらえると……」


 極めて乙女らしい理由を聞いた晃晴は少し考え、


「それじゃ、洗面器に水入れて、タオルも用意しとくから、これ作るの待ってる間にでも身体を拭いてくるか?」

「そ、そのぐらいは本当に自分で出来ますので……浴室をお借りしてもよろしいですか?」


 頷いてみせると、侑はとててっとやや早歩きで浴室をへと姿を消した。


(出てきたら制汗剤でも渡してやるか……遠回しに汗臭いって言ってるって勘違いされるかもれないけど、ちゃんと説明すれば大丈夫、だよな)


 そんな晃晴の葛藤を笑うように、ケトルがかちりと音を立てた。





 ———ピピピッ。


 時間は流れ、夕方。

 3度目の体温計の音が、部屋に鳴り響いた。


「……36.8度、です」

「ほぼ平熱まで下がったか。もう大丈夫そうだな」


 もちろん、自分の部屋に戻ったあとに無理をしなければの話。


 侑に限ってはその心配はしなくてもいいだろう。


「大家さん。早めに帰ってきてくれて助かったな」


 スマホが壊れた侑の代わりに、晃晴の方から連絡しておいたところ、数分前に晃晴の部屋に大家がやってきて、侑の部屋の鍵を開けたことを伝えられた。


「……大家さんにも予定を邪魔してしまい、ご迷惑をかけてしまいました……」

「あの人なら気にしないと思うけどな」


 2人が住んでいるこのマンションの大家は、学生で1人暮らしをしている晃晴と侑のことを、個人的に気にかけてくれていたりする。


 いい人だからこそ、侑の性格上、なるべく迷惑をかけたくないと思っているのだろうが。


 ちなみに、侑は昨晩は友達の家に泊めてもらい、夕方まで晃晴の部屋で待たせてもらっていたと、大家には説明している。


 その方が、色々とややこしくならなそうだったからだ。


「とにかく……体調もほぼ完治したし、鍵も無事に開けられた。これで問題は解決だな」

「そうですね。なんだか、たった1日なのにすごく長く感じられました」


 口には出さないが、晃晴も同じ感想を抱いていた。


 侑は既に自分の服に着替え終えていて、買ってきた食料品も、ある程度まとめ終え、あとは本当に帰るだけ。


 ここに至るまでの時間は、体感で1日では収まり切らないほどだった。


「……いつまでもこうしているわけにはいきませんし、私はそろそろお暇させてもらいますね」

「ああ」


 2人で玄関まで移動して、侑が靴を履いた。


「このお礼はまた後日させていただきます」

「別に礼なんていらないけどな。ほとんど拉致したようなものだし」

「いえ。熱こそ出してしまいましたが、逆に言えば、これだけで済んだのは日向くんのお陰です。お礼は必ずさせてもらいます」


 鹿爪らしい表情で意気込んでみせる侑に、軽く苦笑を漏らす。


「……ま、いらないって言っても聞いてもらえないとは思ってたよ」

「はい。諦めてください。受けた恩はきちんと返します」

「……さいで」

「……はい。さいです」


 それきり、少しの間会話が途切れ、お互いに無言で見つめ合う形になる。


(……いや、これ以上なにを言えばいいんだ。なんだ、この時間は)


 とりあえず、晃晴の方から帰ることを促してみようと口を開く。


「……帰らないのか?」

「あ、い、いえ。帰ります」


 どこかぼんやりとしていた侑は緩慢な動作で踵を返す直前、頭を下げた。


「この1日の間、大変お世話になりました。迷惑をおかけしてすみま……」


 そのままの体勢で、侑は言葉を止める。


 そして、すぅっと息を吸う音が聞こえたと思うと、顔を上げた。


「迷惑をかけてすみません、ではなく……助けてくれて、ありがとうございます。ですよね?」


 顔を上げた侑は、微笑んでいた。


 その笑みを受けた晃晴は、ぱちりと瞬き、軽く笑みを零す。


「ああ」


 それだけ返すと、侑は「お邪魔しました」と頭をもう1度下げ、今度こそ部屋を出て行った。


 侑が途中で言葉を変えて、謝罪から感謝へ切り替えたのは、晃晴が先ほどその方がいいと言ったから。


 晃晴がそう伝えていなければ、きっと、今、侑がしている表情は全く別のものだったに違いない。


 しかし晃晴は、侑が最後に見せた微笑みに、どうにも引っ掛かりを感じてしまっていた。


(なんで、名残惜しそうに見えたんだろうな)


 やがて、気のせいだろうと軽く頭を振ったのだった。

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