第71話 保健室の2人

「……晃晴くんのこういうところ、やっぱりちょっとずるいと思います」


 友人関係を明かしてから、油断してうっかり名前で呼んだりしないように、学校内では基本的に苗字で呼び合うというルールが2人の間で作られているのだが、近距離かつ近くに誰もいないこともあり、侑が名前で呼んでくる。


 ちらっと一瞥すれば、侑はどこか拗ねたような顔でこっちを見上げていた。


 晃晴は胡乱な目で侑を見つめ返す。


「こういうところって?」

「……優し過ぎるところとか」

「優しいことのなにがダメなんだよ」

「ダメではないけど、ダメなのですっ」

「なんだそれ……?」


 結局侑がなにを言いたかったのかが分からずに、首を傾げた。


 これ以上この話を続ける気がないのか、侑が別の話題を口にしてきた。


「ところで、このことってあり……心鳴ちゃんたちに言ったりしましたか……?」

「いや、俺もトイレ行くって言って来た。というか、名前で呼ぶようになったんだな」


 急に出てきた名前に驚きつつ、隣を見ると、侑はへにょりと眉を下げる。


「私が距離を取ろうとしたのまだ怒ってるから、名前呼びしてくれたら許すって言われたのです」

「ああ、なるほど」


 なんとも心鳴らしい理由だった。

 

 そんな他愛のない話をしていると、保健室に辿り着いたので、扉を開けて中を見る。


「って、先生いないのか」

 

 タイミングが悪く、擁護教諭は室内にいないようだった。


 ひとまず侑をソファに座らせてから必要そうなものを棚から取り出して、自分で用意していく。


「……勝手に触ってもいいものなのでしょうか」

「仕方ないだろ。待ってたらいつになるか分からないし」


 咲と心鳴には心配をかけないようにトイレと言って来ているのだから、あまり遅くなるとなんの為に嘘をついたのかが分からなくなってしまう。


 湿布や包帯などを用意した晃晴は、侑の前にしゃがんだ。


「ほら、靴下脱げ」

「え」


 しゃがんだ状態で見上げると、侑がなんだか微妙な顔をしていた。


「なんだよ?」

「あ、あの……さすがに手当ては自分でやりたいのですが……」

「そりゃお前は器用だし、出来るだろうけどさ。人にやってもらった方が確実じゃないか?」

「そ、そういう問題ではなくて……!」


 侑が恥ずかしそうに視線を逸らし、居心地が悪そうに身体をそわそわとさせ、ぽつりと呟く。


「さすがに、運動したあとに素足に触られるのは、その……」


 その声を聞いた晃晴は侑の懸念にようやく気がついた。


 侑自身は自分の今の状態を汗臭いと思っているが、晃晴は本当にまったくそんなことは思っていない。


 むしろ、どうして汗をかいているのにこんなにいい匂いがするのかと疑問を持っているくらいだ。


 なので、晃晴はまったく問題ないと思っているが、侑的には運動直後の素足に触られるのを躊躇ってしまうのは、至極当然のことなのだろう。


 自身の配慮不足を悟った晃晴は「悪い」とだけ呟き、立ち上がる。

 

「いえ。お気持ちは嬉しかったです。ありがとうございます」


 侑が穏やかに微笑んでから、靴下を脱ぐと、白く小さな足が露わになった。


 晃晴の視界に丁寧に整えられた爪先と薄く血管の浮いた足の甲がなんとも蠱惑的に映る。


 普段から侑は露出が少ない服を着ていて、部屋に来る時はいつも靴下を着用している。


 なので、晃晴も爪先まで見るのは初めてだ。


 肌面積が増えただけなのに、なんだか見てはいけないものを見た気分になって、とても落ち着かない。


 更に、侑は応急処置の為に足をソファに乗せる。


 その際、短パンの裾が垂れ下がり、少しだけ出来た隙間からつるりとした真っ白な太ももの裏がちらりと見えてしまい、晃晴はそれとなく視線を逸らす。


(……結果的に断ってくれて助かったのは俺の方かもしれない)

 

 さすがに、あの足になにも思わず触るのは無理だっただろう。


 今見えてしまったなにもかもを努めて意識の外に追い出しつつ、侑が手当を終えるのを待つ。


 と、そこで晃晴は侑に伝えないといけないことがあるのを思い出した。


「あのさ、侑」

「はい? なんですか?」

「俺、バスケ部の助っ人引き受けることにしたから」


 言ってから視線を戻し、侑の様子を確認すると、ぱちりと蒼い瞳を瞬かせていた。


 意外だったというよりは、突然告げられて驚いているというニュアンスの表情だろう。


「そうなのですか。桜井くんにはもう既に?」

「ああ。さっき伝えたよ」

「そうですか。……頑張ってくださいね」


 向けられた優しい微笑みに「ああ」としっかりと頷き返す。


「それで、その、さ。侑さえよかったら、応援に来てくれないか?」

「え?」

「ほら、前に応援に行けないって残念がってただろ? それ、解決したからさ」

「あ……」


 以前とは違い、晃晴と侑の関係は校内でも露見している。


 付き合っている疑惑は飛び交っているものの、侑が晃晴の応援に来ていることはなんら不自然なことではなくなっていた。


 自らの今の立場を思い出し、蒼い瞳を丸くした侑に晃晴は続ける。


「もちろん。大事な予定が出来たらそっちを優先してくれていい。ただ、まあ、応援に来てくれると嬉し——」

「行きますっ」


 食い気味に返事をされ、今度は晃晴が目を丸くして面食らった。


 侑は応急処置の手を止め、真っ直ぐこっちを見上げてくる。


「絶対に行きます。例え熱があっても、交通事故に遭ったとしても、絶対に応援に行きますから」


 決意は固いと言わんばかりの例えとふんすと意気込んだ侑に、晃晴はふっと笑みを零す。


「その2つが起きた場合絶対に来るなよ? ……ありがとう」


 侑の気持ちは十分伝わってきたので、お礼を伝えた晃晴は、止まっていた手当の続きを促したのだった。

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