第72話 近づき、また戻る

 念の為にと向かった病院で診察を受けてから、部屋に戻ってきた。


 どうやら自己診断通り軽度の捻挫で、2、3日安静にしていれば治るだろうとのことらしい。


 球技大会も終わったことで数日は授業で体育もないので、とりあえずは悪化する心配はないだろう。


「痛み、どうだ?」


 シャワーを浴びてラフな部屋着に着替えてから部屋に来た侑に晃晴は気遣いの言葉をかける。


「少し違和感はありますけど、痛いってほどではないですよ」

「そりゃよかった。けど、なるべくジッとして動かないようにしろよ」

「はい」


 それなら侑には自分の部屋で大人しくしてもらっていた方がいいのかもしれないが、隣の部屋まで歩く程度なら問題はないだろうと双方で判断したのだ。


「あと今日の晩飯は俺が作るから」

「え、いや、そこまでしてもらうほど、酷いものではないですし……」

「安静にするって言ったんだから、任せろよ」


 侑が申し訳なさそうに眉を落としているので、晃晴は少し考え、口を開く。


「いい機会だし、これも人を頼る練習だと思えばいいだろ」


 先日、侑の抱えている問題が1つ解決したとはいえ、まだ目下最大の問題である、人を頼るのが苦手という課題が残っている。


 いきなり改善するわけでもなし、少しずつやっていくしかないのだから機会があればどんどん行っていくべきだろう。


「……そう、ですね。分かりました。では、お、お願いします」

「ん。任されました」


 と言っても、晃晴の腕では変わらず大したものは作れないのだが。


 一応普段から侑の料理を補助する形で色々と手伝いはしているので、前に比べれば上達した方ではあるが、まだまだこれを作ろうと思って作れるほどのものではない。


(変に挑戦して失敗してもあれだし、無難にチャーハンだな)


 あとは付け合わせにサラダとスープを出来合いのもので賄えば、それなりの夕食になるはずだ。


 今度ちゃんと侑に料理を教えてもらおうと心に決めつつ、スマホで時刻を確認した。


「晩飯食うにはまだ早いし、とりあえずゲームでもするか?」

「そうですね。今日こそは勝率を安定させてみせます」

「協力ゲーっていう選択肢はないんだな」


 気合いたっぷりに意気込みを語る侑の蒼い瞳には言葉通りの闘志が見える。


 晃晴としては協力でも対戦でもよかったので、文句はないのだが、端から対戦1択という侑の選択肢に苦笑を零す。


 最近は侑も続けてゲームをしているせいか、腕が上がってきていて、さすがに少しずつ負ける回数も増えてきている。


 油断は出来ないな、と思いつつ、ゲーム機の準備をして、ソファに腰をかけ、侑にコントローラーを渡す。


「ありがとうございます」


 受け取った侑はお礼を言って、なにやら思案顔になる。


 どうしたんだ、と聞く前に、侑が座る位置を少しこっち側にずらしてきて、満足そうに頷いた。


 2人が普段座る位置はソファの端と端くらいなのだが、今は拳2.5個分くらいの距離感だ。


「……なんで近づいてきたんだ?」

「さあ、どうしてでしょう」


 問いかけても、返ってきたのは侑のイタズラっぽい笑みだけ。


 ますます訳が分からずに怪訝な顔をすると、侑がくすくすと笑い声を上げた。


(ついこの前まで顔赤くして逆に距離を空けようとしてたのに、変な奴だな)


 吹っ切れた、ということなのかもしれない。


「もしかしてそれで俺の動揺を誘う作戦か?」

「0点です」


 にこりという可愛らしい笑みとは裏腹にかなり辛口採点だった。


 あれこれ考えてみるが、結局それらしい理由は思いつかず、晃晴は「ギブアップ」と肩を竦めた。


「ふふっ、私の勝ちですね」

「いつの間に勝ち負けありになったんだよ。まさか、今日球技大会で負けた腹いせじゃないだろうな」

「0点です」


 まさかの2度目の無得点。このままだと赤点コースまっしぐらだ。

 

 今度こそ解答を放棄し、諦めた晃晴の釈然としない表情を見て、侑がまた口元を綻ばせた。


「今はまだ分からなくてもいいのです。これは今の私の特権だと思うので」

「……さいで」


 終始手玉に取られたので、さしもの晃晴もなんだか負けた気分になってしまうが、侑が満足そうなのを見てしまえば、口を噤む他ない。


 気を取り直してゲームを始めようと、画面を操作したところで、部屋の中に着信音が鳴り響いた。


「すみません。私です」


 侑はローテーブルに伏せて置いていたスマホを手に取る。


「席外してようか?」

「あ、いえ。大丈夫ですよ」


 侑がスマホの画面を見せてくる。


(……ひまり?)


 そこに表示されていたのは、侑の従姉妹であり、義理の妹でもある姫川ひまりの名前だった。


 それなら、なおさら自分はいない方がいいのでは、と思ったが、口にする前に侑が通話を繋ぐ。


 しかも、通常の通話ではなく、ビデオ通話だ。


「どうしたのですか?」

『あ、うん。どうって用事はないんだけど、せっかく連絡先も交換したし、なにしてるかなって気になって、電話してみた』


 ひまりは前に侑の連絡先を知らないと言っていたはずだが、どうやら順調に今までの溝は埋まってきているらしい。


「そうなのですか」

『うん。……そこってお姉ちゃんの部屋?』

「いえ、晃晴くんのお部屋ですよ」

『ってことは、晃晴もそこにいるんだ』

「隣に座っていますよ。もしよければお話ししますか?」

『あ、うん。そうだね。せっかくだし』


 ひまりの返事を受けた侑が、ちょいちょいと手招きをしてくる。


(いや、ビデオ通話に映るならかなり近くに座らないといけないんだけど)


 それこそ、肩がくっつくくらいには、だ。


 晃晴が無言でいると、侑の手招きがぽんぽんと隣を叩く動作に変わる。


 穏やかな微笑みなのが、なおタチが悪く思えて仕方がない。


 本人にはまったく自覚と他意がないのだろう。


 侑のこういった無意識無自覚無防備は今に始まったことではないので、晃晴は諦めのため息と共に、侑の隣に移動する。


 画面の向こうでは相変わらず眠たそうな蒼い瞳が特徴的なひまりが、ぼんやりとこっちを見つめていた。


『えっと、そっちじゃこんばんはくらいになるんだよね』

「ああ、そうか。時差があるのか」

『そう。こっちは13時間くらい前だからね』


 ひまりが今いるのはアメリカで、どの辺りに住んでいるのかは聞いていなかったが、それにしたって自分にとっては過ぎ去った時間にいる相手と話すのは妙な感覚だ。


「夜更かしは身体に悪いですよ?」

『逆だよ。さっき起きたの。引っ越しの作業でずっと動いてたから早めに寝たんだよ』

「そうでしたか。それで、こっちに帰ってくるのはいつ頃になりそうなのですか?」

『荷物は殆どまとめ終わってるんだけどね。こっちでお世話になった人たちに色々とお礼したりするから、今月の終わりくらいになるかも』


 静かに話を2人の話を聞いていると、隣から伝わってくる体温だとか、シャワーを浴びてより漂ういい匂いだとかがより気になって仕方がない。


「なら、試合には間に合うかもしれないんだな」

『……試合?』

「実は晃晴くん、バスケ部の助っ人で来月の頭くらいに試合に出るのですよ」


 ひまりの疑問にはなぜか誇らし気な侑が代わりに答えた。


 スマホから『えっ』という驚きの声が聞こえてくる。


『なにそれ。わたしも見たい』

「私も応援に行くので、ひまりちゃんが間に合うなら一緒に行きませんか?」

『うん。行く』

「即答かよ」


 食い気味に答えたひまりに、こんなところまでそっくりなのかよ、と思い、少し吹き出した。


(でも、この2人が揃ってたら会場の視線集め過ぎて試合どころじゃなくなりそうなのは、気のせいじゃないよな……?)


 そしてその白髪美少女2人から応援を受ける自分の姿を想像し、自分の変化に気がつく。


 目立つことが億劫な気持ちよりも、頑張らないとなという気持ちが強かったのだ。


 内心で自身の変化に驚き、晃晴はふっと笑みを漏らす。


「まあ、現役バスケ部員だらけの中だし、どこまでやれるか分からないけど、それなりに頑張るつもりだ」


 決意を込めて頷くと、ひまりも『うん。頑張れ』とエールを送ってくれた。


 挫折した者同士、侑の隣に立とうと思った者同士、ひまりとはなにかしら自分と似たようなシンパシーがある気がする。


「……なんだか仲がいいのですね。2人とも」


 不意に、不安と不満をない混ぜにしたような声が耳朶を打つ。


 顔をそっちに向ければ、声と同じように寂しそうにもなんだかむくれているようにも見える侑がいた。


 晃晴がどういう感情なのか読み取ろうとしていると、その答えに一足先に辿り着いたらしいひまりが、苦笑を零す。


『いや、お姉ちゃんたちほどじゃないから。話には聞いてたけど、当たり前のように晃晴の部屋にいるし、その距離感とかもさ』


 ごもっともな指摘過ぎてなにも言えない。


「距離感……? あ……」


 指摘されてようやく晃晴との距離が近過ぎることを意識したのか、侑の顔が徐々に赤くなっていく。


 ただそれでもすぐに距離を取ろうとしないあたり、彼女の本音がそこにあるわけだが。


 気まずくなって、お互いに顔を背けると、


『それじゃ、お邪魔虫はそろそろ退散するから』

「もうっ、ひまりちゃん!」

『じゃあ、また電話するので』


 ぷつり、と切られた通話のあとに残されたのは居心地の悪さだけだった。


「……とりあえずゲームするか。離れて」


 いたたまれなさの中、未だに侑と肩をくっつけ合っていた晃晴がどうにかそれだけ絞り出すと、


「……は、はい。そうですね」


 侑がすっと静かに距離を取った。


 こうして、2人の距離はまたソファの端っこどうしに戻ったのだった。






 一方、電話切ったひまりはベッドに倒れ込んだ。


「……どう見たって入り込む余地なんかないじゃん」


 その言葉の真意は、本人以外知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る